お金と満足行く人生と
あんたも宝くじって買ったりするかい?
今年はんだ末ジャンボを買いそこねちまったんだけれども、前後賞合わせて10億円ってのはめちゃくちゃでかい数字過ぎてちっと想像ができないよな。
そんだけあれば、一生働かないで済むぜ!とか思ったりするのが普通の感覚だと思うんだけれども、逆に言うと「働かない状態」ってのは人生をどうやって満足行くものにするのかって課題でもあるよな。
それはある意味、ベーシックインカムが導入されて、多くのヒトが働かないでも生きていくことはできるって世界観を俺たちが手に入れたら何が起こるのかって話でもあると思う。
今回はお金と自分の求めている満足ってものについて考えてみる回だ。
ちっとこのお金ってものが俺たちに与えるものについて考えてみようぜ。
残りの人生で10億円を使い切るという計画
仮に今の経済状況が延々と続くという前提で考えてみると、この10億円という金額はワリカシえげつない。
いわゆる経営者視点で10億というお金を考えると、ちと物足りない。
できることは無限にあるので、いくらあっても足りないもんな。
ところが個人としての消費だけを考えると、この10億というお金は途方も無い金額になると思うんだよ。
例えば、俺なんかはアラフィフなので、人生どうあがいてもあと50年はないだろう。
例えば家族をそれなりに裕福に過ごさせるために毎月50万かかるとする。
そのペースであと50年過ごすのに必要なのは3億円だ。
……ほほう、7億あまるね。
そうだ、親の介護も考えないとな。
介護の程度にもよるけれども、こいつも毎月50万かかるとして、介護年数が20年とすると1億2千万。
……5億8千万あまるね。
じゃあ、いっそのこと毎月旅行に行っちまうか?
毎月50万を追加で旅行代金に使うとして50年で3億円。
……2億8千万あまるね。
こうして考えてみると、俺の場合、人生を楽しむためにお金を使う方法をあんまりにも知らないもんだから、10億あったら持て余すってのが見て取れるわけだ。
うわ、発想力貧困。
自らの欲望の薄っぺらさを眺める
こう眺めてみると、俺の欲望ってのは苦しみたくない、苦しませたくないってだけなんだよな。
一番最後に旅行って書いてみたけれども、別にそれによって俺の人生の満足度が上がるのかって聞かれたら、一時的には楽しいとは思うけれども、それ以上でもそれ以下でもないってのが俺の今の感覚なんだよね。
つまり、今の俺にはお金を使ってワクワクすることを思いつけていないってのが現実ってわけだ。
こいつはおかしな話だ。
お金ってのはヒトという生き物が協力し合うために作り上げた、究極のツールだと思うんだ。
どんな宗教もなし得なかった共通の価値観ってやつをこの世界にもたらしているわけだしね。
ところが、俺ときたらその究極のツールを使って満足行く人生を描けていないって現実がある。
なんたる発想力の欠如なんだ。
満足に必要なもの
じゃあ、俺は一体何に満足を感じるのかって話だよな?
あんたはどうだい?
一体何に満足を感じている?
こんなガキンチョみたいな疑問をアラフィフのオッサンが感じてるんじゃないよって話もあるとは思う。
でも、まあ、この類の話に答えなんてあるもんじゃないってのもあるじゃんか。
答えがないけれども、答えがあったことにするってのもオッサンの処世術の一つと思えば、それほど違和感もないだろ?
でだ、俺は一体何に満足を感じるのか。
色々イメージするけれども、やっぱり俺が満足するのって俺の身の回りに俺が「スゲー!」って思えるヒトの存在が与えてくれていると思うんだよな。
今の職場の仲間から感じる凄さ。
ネットでやり取りさせてもらっている一人ひとりの凄さ。
両親の凄さ。
妻の凄さ。
息子の凄さ。
その全てが俺を満足させていると思うんだ。
それに比べて俺の雑魚っぷりに絶望することもある。
でもそれ以上にスゲーやつらが確実に世界にいるってのはたまらない満足感を与えるもんだと思うんだ。
だとすればだ。
お金ってのはそのスゲーを感じる一要素でしか無い。
もしくは「俺よりもスゲーやつに会いに行く」って昔の格闘ゲームみたいなことに使うためのネタでしかない。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは俺たちが与える価値よりも俺たちの仲間が世界に与える価値に意味を見いだせると思うかい?
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