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生まれ続ける未完の物語

あんたも長編の物語を楽しんでいたりするかい?

大長編と呼ばれる物語は数多くあるけれど、その中には作者が亡くなってしまうことによってその壮大な物語が頓挫してしまうことも数多くあるよな。

最近であればベルセルクが記憶に新しい。

いくら医療が発達したとは言え、こう言う悲しいことは起きてしまうものだ。
それそのものは俺たちが生き物である以上、どうにか出来るもんじゃない。

問題はその作品が潰えてしまうことで、その物語によって揺り動かされた読者の感情が放り出されてしまうって現実だ。

今回はそう言う悲劇に見舞われた作品について考えてみる回だ。

俺たちが愛した作品についてちっと考えてみようぜ。

日本で一番の長編小説

長編小説と言えばあんたは何を思い浮かべる?

俺の場合はやっぱし「グイン・サーガ」なんだよな。

調べてみたら、やっぱり日本語の小説としては1番長い小説になるらしい。
2020年に147巻まで発行されている。

ただ、このグイン・サーガは作者である栗本薫さんが2009年に亡くなってしまったことによって未完の小説となってしまった。
いや、なってしまったと思われたが正しいかな。

その後、作者の栗本薫さんが生前にこの物語を誰かが引き継いで行くことを望んでいたことがわかり、現在は複数の作者さんによって外伝および正伝が継続的に刊行されているんだそうだ。

遺志を継ぐことで物語が継続されるってのは、なんつーか奇跡的な感覚すらある。

それだけの熱量を受け止めたヒトがいる物語がこの世の中に確かに存在していたってことだからね。

複数の作者が紡ぐ物語

実際、世界的に見てみると複数の作者で作り上げられる物語ってのはある。

有名なところだとペリー・ローダンシリーズがあるよな。

ドイツ語が原書らしいけれど、ドイツ語版では2700巻とか出ているらしい。えげつないボリュームだ。

このペリー・ローダンシリーズの場合は最初から複数の作者で作品が作られるっていうリレー小説形式で始まったって特徴があるらしい。

同じ世界観を共有して作られている物語としてはクトゥルフ神話を元にした作品がある。

さっきのグイン・サーガを書いた栗本薫さんもクトゥルフ神話をベースにした物語をいくつか書いていたりする。

そう言う複数の思いが一つのフィールドを使って表現するって素敵だと思うんだよね。

作品を引き継ぐハードル

こう言う作品の世界観を複数の作者で共有するためには何が必要なんだろう?

例えばで考えてみる。

例えばベルセルク。
あの作品を誰かが引き継いで物語を継続させることって可能なんだろうか?

ベルセルクの特徴として、あの緻密な絵ってのがあると思う。
あの絵を誰かが引き継いで描くってのは、ちょっと想像しにくいところはあるよな。

ただ、あの世界観そのものはふくらませることが出来るヒトってのはいる気もする。
もちろん三浦建太郎さんの思いを再現できるわけじゃないけれど、あの世界の続きを読めるとしたら、それはもぉ感激の極みだ。

なんとなくだけれども、世界観を引き継ぐとしたら鋼の錬金術師の荒川弘さんあたりならこなしちゃう気もするね。

こう考えてみると、複数作者による物語の引き継ぎってのはマンガってメディアでは絵柄ってハードルもありそうだね。

それとは別に作品の構造上、他の作者さんが引き継ぐのが厳しそうな作品ってのもある。

連載完結が危ぶまれている代表的な作品の一つでもあるHUNTER×HUNTERがそれだ。

あれだけ綿密に組み込まれている伏線を正確に回収できるのは冨樫義博さんを置いて他にありえないもんな。

未完を楽しむ

そう考えていくと、多くの物語には複数の作者が引き継ぐことに対する様々なハードルがあるってのが見えてくるわけだ。

それでも、ヒトが永遠に生きられない以上はこれからも未完の物語というのは生まれ続けていくんだと思う。

だとすれば、俺たちの様な作品に対するカタルシスを得られないってことなんだろうか?

多分だけれども、SNSによって俺たち全員が発信者になっているって状況に活路があるのかも知れない。

つまり未完の作品の先について語り合うことで、物語に対するカタルシスを得るってのが一つの方法にあるのかも知れないってことね。

100人の作品ファンがいたら100通りのカタルシスが得られる。
これができれば、未完の作品にも新しい楽しみ方ってのが出来るかも知れないもんな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは未完という状態すら楽しむことが出来ると思うかい?

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