アシタカを振り返る
あんたもジブリのアニメ映画を楽しんでいたかい?
宮崎駿さんが長編映画から引退を表明してから、結構な世代交代がアニメ映画界で起きているような気がするんだけれど、それでも好きな過去のジブリアニメってのは色褪せるわけじゃないんだよな。
なかでも、ナウシカ、ラピュタ、もののけ姫ってのは俺のなかに結構なインパクトを残している感じがするんだ。
他の作品も良いものはいくらでもあると思うけれど、この三つは俺のなかで別格なんだよな。
今回はこの中でもののけ姫について思い出してみる回だ。
ちっと思出話に付き合ってくれよな。
アシタカという聖人
もののけ姫というタイトルなんだけれど、事実上の主人公はアシタカってことになると思う。
いわゆる宗教的な作品を除けば、こんなに聖人としての生きざまを見せつけた主人公ってのはあんまり記憶にない。
どういう環境で育てば、こんな風に自己を省みずに他人の幸せを意識の中心における人物が出来上がるのかって思ったりする。
だってそうだろ?
話のはじめから、アシタカは他人を救うために自らの体に呪いをやどすはめになったし、その呪いが村のみんなを傷つけてしまうかもしれないから戻ることもない旅路につくし、旅先で出会った村人を救うために呪いを進行させてでも救うための戦いをして、その村人に襲いかかってくる神々とすら対峙する。
この精神性ってどうやったら育つんだ?
現実的にこの感覚を今の俺が得られる気がしないし、子どもにもこの精神性を得るための環境を整えられる気もしない。
それゆえにアシタカみたいなやつのことを嫌いになれるやつっていない気がするんだ。
エボシも村人を守るためにアシタカと対立したし、モロも立場としてアシタカを非難した。
でもエボシもモロもアシタカのこと絶対嫌いじゃないって見てて思うんだよね。
アシタカを好きと言うサン
物語の最後のシーンでもののけ姫たるサンはアシタカに「お前は好きだ」と言う。
このシーンをどうも英語字幕では「I love you」って訳しているらしい。
いやいやいや、違うだろ。
あのシーンで描かれているのは恋愛じゃないじゃんか。
確かにアシタカとサンは恋愛してるかもしれないとは思うけれど、あのシーンの好きは恋愛のそれとは違うもんじゃんか。
じゃあなんて訳せばいいのかってことだけれども、ううむ。難しい。
I want you.
じゃあ間違いなくダメだ。
I like you.
でも、なんか違う。
もっと人類愛的ななにかが欲しいわけだ。
I'm proud of you.
これか?
これなんか?
俺たちはなぜアシタカが好きなのか
サンがアシタカを好きだと言う言葉だけでこんだけ色々考えられる訳だけれども、なんで俺たちはこんなにアシタカというキャラクターを受け入れられるんだろう?
いろんな立場の存在がせめぎあっているって意味では進撃の巨人と同じような構図があると思う。
でも、アシタカはエレンとは全く違う選択をした。
守りたいヒトや神々を全力で守ろうとアシタカはした。
そして、エレンも同じように守りたいヒトを全力で守るための行動をした。
思いとしては全く同じなのに、行動については真逆とも言えるような感覚すらある。
そして結果としてはアシタカもエレンも物事を解決することは出来ていない。
アシタカは侍、タタラ場、土地神の対立を解決してないし、エレンも世界の対立を解決していないから、最終的にはまた戦争が起きている。
でもだ。
俺はアシタカもエレンも好きだ。
多分、これは今後も揺るぐことはない。
なぜか?
やつらがただ「自分以外の誰か」のために行動していたからだ。
自己犠牲なんてシンプルな言葉で表現していいものかってのはあるけれど、「誰かに幸せになってほしい」という欲求って俺たちの根っこの部分にあり続けるもんだと思うんだよ。
もしくは「そうありたい」という俺の中にある欲望ってことかもしれない。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどうすれば、俺たちの好きなやつになれるんだろうな?
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