一千億光年と経験
あんたは家族の成長について考えたりするタイミングがあるかい?
2024年4月9日。
我が家の息子が中学校の入学式を迎えたんだ。
よりにもよって警報級の雨が降る中での入学式だった。
まともに校門で記念撮影も出来やしない感じだった。
考えてみりゃあ、俺自身の大学入試センター試験のときも大雪だったなぁ。
割と俺の一族は荒天に恵まれているのかもしれない。
そう考えると、2024年は辰年だし龍神様が息子の門出を祝ってくれたってことだろう。
今回は、ぶっちゃけ息子の入学式の備忘録だ。
まあ、今どきの入学式ってやつを眺めてみてよ。
国歌斉唱
俺たちが中坊の頃なんてさ、国歌なんてものが学校のイベントで歌われることなんて無かったじゃん。
この間の小学校の卒業式も今書いている入学式でも君が代が歌われたんだよね。
なんでだろう?って考えてみると、国旗及び国歌に関する法律が成立したのが1999年なんだよな。
つまりそれまでは君が代が国歌として法的に規定されていなかったんだよ。
それまでは法的な後ろ盾がない状態だったから日教組とかの影響もあって君が代を学校の公式イベントで歌わせるってのに抵抗感もあっただろうしね。
そんなことを思い出してみると、今の学校も変わってきているってことなんだなぁと感じたんだよ。
校歌斉唱
これは昔から学校行事ではあるもんだと思う。
ただね。
ちっと息子の学校の校歌が歌詞が斜め上な感じだったんだよ。
だってさ。
校歌のタイトルがだよ。
「一千億光年」だぜ?
なんかのヤンキーマンガで「百億光年早ぇ」とか言う頭悪い系のセリフを彷彿させるじゃんか。
なんか宗左近さんという御仁が作詞なさったらしい。
おおう、結構なエリート様だな。
ざっくり宇宙の年齢が138億年くらいだってんだから、物理的に一千億光年はこの宇宙に存在しないんだがとか、心の底から沸き起こる何かと戦い続けるしか無かったぜ。
他にも1番で「ひまわりの花 燃えている」とか歌っとるんだが、明らかに戦争の被害を想像させる。
同じとこの2番は「ぶどうの粒 濡れている」とくる。
これはまあいい。
問題は3番だ。
「バナナの房 光ってる」
もう、意味がわからない。
なんか息子が育って同窓会とかするときに笑いながら歌うんだろうなぁ。
誓いの言葉
で、新入生代表の子が校長先生に向かって「頑張ります」的な宣誓をするんだ。
これは単純に俺が忘れているだけかもしれないんだけれど、こんなん俺たちの頃にあった記憶がない。
しかもその宣誓の中で英語を混ぜてくる。
いやぁ、時代は変わっとるってことか。
たぶん成績の良い子を選んでるんだろうけれど、ちゃんと発音も出来てた様に聞こえたし、そりゃあこれからの世界観で生きていくには英語が必要だってのは自明の理ってやつだしな。
ただ、俺がガキンチョの頃には想像もしてなかったような状況になっているってことなんだなぁと実感したんだよね。
こういう子どもたちが次の世代を担っていくんだなぁ。
頼もしい限りだぜ。
学校の思い出
で、息子の入学式を眺めてきたんだけれど、ぶっちゃけ小中高大含めて学校のイベントってほとんど記憶に残ってないんだよな。俺自身は。
あえて言うなら小学校の卒業式の後に涙を流しながら友達と分かれたのが記憶にあるくらいだ。
文化祭も体育祭もな~んも覚えてない。
何?それはお前の記憶力の問題だろって?
いやまあその通りなんだけれどね。
なんだろ。
きっと俺の中で「学校生活」ってのは記憶から引っ張り出すきっかけがない感じがするんだよな。
大学の頃に俺にサックスの魅力を教えてくれた友達がいたんだけれど、そいつの顔をまともに思い出せるかって言うと実に怪しい。
いや、すげぇ良いやつだったのは覚えているんだ。
でも顔を思い出せない。
で、社会に出たての頃に関わったヒトの顔は鮮明に思い出せる。
たぶん、人間関係の重要性が学生時代と社会に出てからではぜんぜん違うってことなのかもしれないな。
でもそれってさ。
本質的にはおかしい話じゃん。
人間関係はどんな状況であっても大切なものじゃんか。
そいつを子どもが理解できるためには何が必要なんだろうな?
なあ、あんたはどう思う?
子どもたちの学校での経験を意味あるモノにするためには何が必要なんだろうな?
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