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俺たちの人生ビジョン

あんたにはあんたの人生のビジョンなんつーものがあったりするかい?

俺みたいに流されながらいろんなものを見て聞いて体験して、時にはつらい思いも楽しい思いもさせてもらっているとだ。
そもそも俺は何のために生きてきたのかなんて言葉が俺を責め立てることなんてのは日常茶飯事なわけだ。

なに?そんな青臭いことは若者の間に済ましとけって?

俺たち大人はそんなことに思いを馳せている暇があるんなら、さっさと目の前の課題に対応しなさいなって求められるわな。

いや、求めるヒトが悪いとかそう言うことを言いたいんじゃあなくてだ。

シンプルに世の中はそう言う「眼の前の事」への対応で回っているって側面がある気がするわけよ。

あんまり耳障りがよくない言葉で言うなら「ただ生きているための活動」が組み合わさって世の中が回っているってことかな。

今回はこの「ただ生きる」って状態について考えてみる回だ。

せっかくの人生だ。
きっちり楽しんで生きたいよな。


例えば仕事

あんたの仕事はどんな仕事なんだろうね?

俺みたいなシステム屋として汗水垂らして働いているヒトもいるだろうし、経営者として巨大な組織を率いているようなヒトもいるかもしれない。
同じ経営者でも一人社長みたいな形式で日々なんかを工夫しているヒトも居るだろう。

たぶんポイントになるのは「そのヒトにとっての日常は他のヒトにとっては日常じゃない」ってことなんだよな。

例えば、俺の妻の仕事内容は俺の想像の世界でしか無いけれど、だいぶ俺の仕事内容と違うし、その仕事環境に突っ込まれたら俺としてはあたふたしちまうのは火を見るよりも明らかってやつだ。

逆もそうで、妻が俺の仕事環境の中に突っ込まれたら「わかんないわよ!きー!!」とか言いながらやっぱりあたふたするだろう。

これが中小企業の経営者だったり、一人社長の活動だったり、中間管理職のヒトの苦労だったり、自らの能力を活かしきれていない若者だったりと実に多様な「立場」ってのが世の中には存在するわけだ。

言い換えるなら、俺たちそれぞれに対する「非日常」の世界は案外手を伸ばせばすぐに届く範囲に転がっているってことになるのかもな。

例えばプライベート

これはプライベートでも同じことが言えると思うんだ。

例えばこのnote。
どんなヒトに読んでもらいたいとか言う思いは俺としては持ってはいるんだよ。
でも、それはこれを読んでくれるあんたにはアンマシ関係ないことなんだよな。

単純に読んでオモロイって思ってもらえればそれでいいし、オモロイと思えないなら読み飛ばしてもらうってのが普通だと思う。

で、みんながみんな俺と同じように考えて、何かを書いているのかっていうと、そんな訳はねーわけだ。

いろんな文章をいろんな感性で言葉として刻みつける。
その目的は千差万別。
つまり「非日常」がそこに転がっているってわけだ。

このnoteと言うワリカシ限定的な世界観の中ですらそうなんだ。

これがさ、アートだの演劇だの町内会だの地方政治だの、ありとあらゆるヒトのプライベートに対する思いなんてものに想像を羽ばたかせてみるとだ。

ホントに想像がおっつかないほどの世界がそこにはあるんじゃないかって思ったりするんだよな。

満足行く人生

で、そこまで考えて思うんだよな。

俺の満足行く人生ってどんなんだ?ってね。

まあ、ありきたりな答えになっちまうが、「どうヒトと関わってこれたか」ってのが俺の人生の満足度を上げていくって感覚があるわけだ。

つながるって言ってもこんな感じの絵で描かれる「点と線」でつながるってのはちっとイメージが違うんだ。

点と線のつながり

もっとなんつーのか。
面でお互いを混ぜ合うような感じ。

もちっと違う言い方をするならば「どれだけ多くのヒトの立場を親身になって感じられるか」って感じかな。
それこそ「非日常」をお互いに楽しみ合いながらさ。

理想を言うなら、その上で誰かに「がんばったな」って言ってもらえて臨終を迎えることが出来たなら、初めておれは満足行く人生を歩んだって感じられるのかもしれないな。

なあ、あんたはどうだい?

あんたの満足行く人生のビジョンってどんなんだい?

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