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葬送のフリーレンと俺たちの勇気

あんたは自分の日々の行動について振り返ることがあったりするかい?

日々の状況にてんやわんやで対応していくのが精一杯で振り返る余裕なんてそうそう持てるもんじゃないってのはあるとは思うんだけれど、それでも振り返りってのは大切だと思うんだよな。

そんな振り返りって大事だよなぁと思い起こさせてくれる記事があったんだ。

葬送のフリーレンはアニメ放送が始まってからその存在を知って、オモロイと思ったからソッコーでコミックを最新刊までそろえて、読んでいるんだ。

いろんな魅力が詰まった作品だとは思うんだけれど、俺の中で「勇者ヒンメル」って表現が結構なパワーを持っている様に感じたんだよね。

今回は勇者ってものについて考える回だ。

ちっと、一緒に自分の生きざまについて考えてみようぜ。


「勇者ヒンメルなら」という言葉

あんたも葬送のフリーレンを見ているなら、なんとなく感じると思うんだけれど、この勇者ヒンメルというキャラクターって特殊なヒーローだと思うんだよな。

ヒンメルは「前を向く力」を最大の武器にしている勇者って特徴で表すことが出来るんじゃないかって思うんだよな。
戦力としての価値じゃなくてね。

いや、確かに葬送のフリーレンの魔王討伐パーティーメンバーはそろいもそろってめちゃくちゃ特殊能力で固められているんだけれどさ。
そのパーティーリーダーであるヒンメルはその「強さ」ってものにあんまりフォーカスして表現されていない印象なんだよな。

いや、確かに勇者の剣のレプリカというその辺にある剣を一振りするだけで大木を薙ぎ払うとか、十分に化け物じみた力の表現はあるんだけれどさ。

それよりも、「ただ勇者である」ということがこれほど全面に出されているキャラクターってのも珍しいと思ったんだよね。

勇者であるということ

葬送のフリーレンというコンテンツにおいて、勇者ってちょっと特殊な役回りだと思うんだよな。

戦士は実に化け物じみたフィジカルを持ってるじゃん。
僧侶は聖典って言う特殊なものを使いこなせるじゃん。
魔法使いは修行によって培った魔力と知識を用いて圧倒的な何かを実現するじゃん。
いや油汚れを落としたりもするけれどさ。

でもさ。
勇者を勇者として成立させているものってなんだ?

力じゃない。それは戦士のものだ。
癒しじゃない。それは僧侶のものだ。
知識じゃない。それは魔法使いのものだ。

勇気……。たぶん勇者に必要なのはそれだけれど、勇気ってなんだ?

俺たちが求める勇気

たぶんだけれどさ。
勇気ってさ。
誰でもちょびっとづつ持ってるもんじゃんか。

どこかの誰かのために動く勇気。

どんな形かはいろいろあるとは思うけれど、あんたも持っているだろ?
普段は自分の感覚の中に埋もれちまって意識することもないような勇気がさ。

そう考えるとさ。

この「ヒンメルなら」という言葉。
「あの時の俺なら」って言葉に置き換えられないか?

葬送のフリーレンって物語はさ。
「記憶」の物語だと思うんだよ。

あの時はああだった。
あの時はこうだった。

それを振り返るときによぎる実に様々な勇気。

それは俺たちの周りにいた誰かのものだったり、俺たち自身の中にあるものだったりする。
もしかしたら「持ちたかったけれど持てなかった勇気」なんてのもあるかもしれない。

な?
勇気ってのは俺たちの誰もが持っていながら求め続ける何かってことじゃんか。

で「ヒンメルなら」だ。

これさ。
俺たちの中にある勇気を引き出すための言葉じゃないか?

物語の中でもフリーレンは魔法使いだけれども「ヒンメルなら」と言いながら「勇気」を引き出しているじゃん。
記憶の中に埋もれている勇気をさ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちの中に埋もれている勇気を「ヒンメルなら」と言いながら引っ張り出せると思うかい?

表紙素材出展:
https://kabekin.com/wallpaper/anime/blue_flower_frieren_rough_sketch_2023_1013/A6Xp/1920/1080

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