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空気を読む目的

あんたにも空気を読むことってのがあるかい?

よくネットで見かける話として、日本人は他の国に比べて空気を読むってのがあるじゃんか。
確かに、相手の言葉の抑揚だったり、表情や仕草から俺たちは多くの情報を受け取っているとは思う。
その情報を使ってコミュニケーションを円滑にしなきゃいけないって思っているのも事実だろう。

そこで、ふと考える。

あり?そういえば空気を相手が読んでるかどうかってわかるほど、日本以外のヒトとコミュニケーションしたことなくないか?ってね。

今回は数少ない日本以外のヒトとのコミュニケーションを振り返って、空気を読むってことについて考えてみる回だ。

ちっと、コミュニケーションの国の違いってやつに想像の羽を羽ばたかせてみようぜ。

インドネシアの若者と話したとき

最近、ひょんなことからインドネシアの若者と話す切っ掛けが出来たんだよね。

実に快活な若者で、家族とお金が大事だとえらくストレートに話してくれたのを覚えているんだよ。

確かにストレートに表現はしていたけれど、決して「空気を読まない」って感じじゃなかった。
そりゃあ、インドネシアから日本に出てきて日本の職場で働こうなんてヒトなんだから、日本の雰囲気に適応しているってのはあるかもしれないけれど、それにしたって俺の話が楽しそうなときは笑顔を絶やすことはなかったし、真面目な話をしているときは、その話にそぐった表情を崩すことはなかった。

俺から見るとキッチリ空気を読んでいたと思うんだ。

同じ時に中国のヒトもいて、そのヒトは逆にあまり空気を読まずに、自分の意見をどうやって伝えるかってことに注力していた。
話の内容がうまく伝わらなくても、空気を読むことなく自分の意見をしっかりと同じ様に話していた印象だ。

この差ってどこにあるんだろう?

お国柄って仮定を考える

仮にこの差がインドネシアと中国という国の差だと考えてみる。

中国もインドネシアも経済的な発展が著しい国だよね。
今は中国の方が経済規模がかなり大きいけれど、人口分布のバランスとかを考えるとインドネシアも今後めっちゃ発展することが予想されている国だ。

そう言う意味では中国もインドネシアもあんまり変わらない。

政治体制的には中国は場合によっては言いたいことを言えないケースも出てくるけれど、インドネシアはそんなことはないよね。

でもそれなら中国の方が「空気を読む」様になりそうなもんだから、多分このお国柄の差で空気を読む読まないって違いが出てるわけじゃなさそうだ。

触れている情報量の差

だとしたら何が差を産んだんだろう?

色々考えたけれど、多分「成功体験の数」なんじゃないかな。

中国のヒトはインドネシアのヒトよりも年齢が上で、仕事上でも色んな経験をなさってきたようだ。

おそらく成功も失敗もたくさんしてきたんだと思う。
それによってその中国のヒトの意見ってのは固定化していったんだろう。

固定化した意見は他の情報を取得することをしなくなる。
なんつっても自分の中に「正解」があるんだもんよ。情報を取りに行く理由がない。

逆に言えば、自分の行動範囲を狭めることで、この「正解」ってものにたどり着きやすくなるってのもある気がする。

そう考えると、どうしても年齢を重ねると自分自身の成功体験が自分自身の行動を抑制しているって側面が見えてくる。

対してインドネシアの若者は、当然自分の周りの世界の壁なんてものは感じていない。
情報を積極的に取りに行く必要がある。

その一つの手段として「空気を読む」という方法を使っていたのかもしれない。

そして、オッサンの俺は思うわけだ。
「俺は空気を読めているか?」ってね。

言い換えれば行動範囲を広げ続けようと出来ているかってことにもなる。

ニュースひとつとっても、「当たり前の感想」で終わってないか?
他のヒトの行動を見て「当たり前」で終わってないか?

なあ、あんたはどうだい?

キッチリ空気読んで世界を広げに行っているかい?

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