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自分の発信に求められるもの

あんたは自分の発信に何を求められているのかって考えることあるかい?

Twitterのような短い文章ではなく、Facebookのようにヒトとのつながりが主軸にある発信でもないnoteでの発信ってのは、実のところ「何を表現したいのか」ってことが主軸になるのが普通にあることなんじゃないかって想像するんだよな。

つまり自分の伝えたいことってのがまずあって、その伝えたいことをどうすれば伝わるのかを工夫するってのがnoteでの発信の流儀って感じ?

ところが、ダッシュボードを見ると明らかに自分の中で書いた時に「これなら伝わる」って手応えを感じた記事でも、全然読まれなかったり、読んでもらえても共感してもらえないことって普通にある。

逆に「うまく書けなかったかも」って手応えがワリカシなかった記事で共感をいっぱい貰うこともある。

その意味では共感してもらったってことを振り返ることは意味があることだよな。

今回はぼんやりと俺のダッシュボードを眺めて俺に求められているものってのが何かを想像してみる回だ。

ちっとオッサンの振り返りに付き合ってくれよな。

過去で一番共感をもらった記事

俺の場合は、とりあえずnoteの投稿を続けているってのはあるけれども、俺のタイムラインに流れてくる魅力的な記事を書くヒトに比べれば、全然露出出来ているわけじゃないので、あんまり爆発的な数の「スキ」を貰えることは無いんだけれども、その中でも一番「スキ」をもらえた記事ってのはある。

書いている内容としては、ネットに対して発信して、その内容を読んでもらうためにはSEOをキッチリして、検索されやすくするって言うどこかの誰かに読んでもらいやすくするってよりは、読んでくれるヒトを具体的に想像しながら、そのヒトがオモロイって思ってもらえるもの書いたほうが良いかもねって話だ。

俺としては内容的に特に尖った表現を出来ているとは思っていなかったんだけれども、過去で一番「スキ」を貰える記事になった。

おそらく「有料note」って存在に対して、実に多くのnote利用者が課題感を抱えているって現実があるってことなんだろうね。

地味に読まれ続ける記事

同じ様に「スキ」を貰える記事の中でも、結構なロングテールで読んでもらえている記事もある。

内容的にはSDGsは絶対的に正しいって話が世の中に出回っているけれども、その理念の良し悪しとは別に、その枠組が文章で表現せざるをえない以上はその枠組を使ってヒトから搾取する仕組みってのがあり得るよねって話を書いている。

この記事は俺としてはワリカシ自分らしさってのを表現できたかなぁって手応えみたいなものを感じることが出来たことを覚えてるんだよね。

なんつーんだ?
世の中を斜め下から見上げるような感じ?

多分、この記事に共感してもらったヒトも「ホントに大丈夫か?」って世の中の動きを眺めているヒトなんじゃないかな。

自分なりの分析を楽しんでもらえた記事

上の2つの記事とは別に、純粋に自分の分析ってのを楽しんでもらえた記事もある。

内容としては、昔に比べて最初から物語の終わらせ方をキッチリ設計して、その終わらせ方の通りにキッチリたたまれる作品が増えてきているけれど、その原因が何なのかってのを数字を追っかけることで見えてこないかって分析をするってものだ。

たまに、こう言う数字を使った分析ってのもするようにしてみているんだけれども、結構内容を客観的に表現する方法としては、数字ってすごく力を発揮するものだって思うんだよね。

この記事を書いたときは、まず現象を捉えた時に純粋に「何でだ?」って思って、そこに仮説を立ててみて、その仮説を裏打ちする数字って何かを考えてみて、調べてみたら確かにそうだって感じだった。

そう言う意味では書いていて実に爽快だった記憶がある。
自分の考えがどんどん裏付けられていく感じってやつ。

多分だけれども、その爽快感を読んでくれているヒトも感じてくれたってことなんじゃないかな?

こうして過去の記事を振り返ってみると、共通して俺に求められていることって何かってのが少し見える気もするよね。

つまり俺は「考えるヒト」なんだろう。
考えて、疑って、確かめて、また考える。

なあ、あんたはどう思う?

あんたはあんたの何を求められている?

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