夢を形に
あんたも夢ってやつについて真剣に向き合っていたことがあるかい?
振り返ってみると、俺たちロスジェネ世代は生まれたときから生き残り戦略ってやつをそれこそ息をするように自然に身に着けてきた。
多くの同い年の世代のヒト。そのヒトたちの中でなんとか自分を選んでもらうための戦略。
受験戦争しかり、就職活動しかり、会社での生き残り戦略しかりだ。
そんな苛烈な競争にさらされている毎日は俺たちからあるものを奪っていった。
夢だ。
こんなことやれたら面白いな。
こんなことやってみたいな。
そんな思いは日々の雑務に飲み込まれていった。
でもよ?そんなことはお構いなしに夢を持ち続けているヒトもいる。
今回は夢を持っているヒトにいろんなことを達観しているつもりになってしまっている俺が会うことで刺激をもらった話だ。
あんたの中にある夢。ちっと掘り起こしてみないか?
平山葵くんがオッサンと会った
今回、俺に会ってくれたのは平山葵くんというVRに思いを馳せている若者だ。
うむ、noteの写真なんとかしたほうがいいんじゃないか?
貞子っぽいぞ。
で、この葵くんなんだが、非常に積極的にヒトと会っているらしい。
VRというキーワードをつてに、実際にVR開発に携わっているヒトと会ったり、俺のようなシステムエンジニアに会ったりしているんだそうだ。
その中で自分の中で課題を掘り出して、自分の歩むべき方向を探っているような印象を会話の中から受けた。
自分がやりたいことが何か。
自分が望んでいることは何か。
そんなともすれば禅問答のようなものになりがちなものを、自分の中で必死に言葉にしようとしている姿が印象的だった。
ちなみに俺との会話で感じたことをnoteにしてくれている。
ありがたいことだなぁ。
うん、悪かったよ。ルノワールはわかりにくかったよな。
次からウェンディーズにするよ。
夢を言葉にするおっかなさ
葵くんと話していて思ったのが、俺自身が夢を語るってことに対して抱いている感覚だった。
つまりは恐れだ。
俺くらいのオッサンともなれば、何かを実現したいだとか、何かをやっていきたいって言葉にすることの意味ってやつがすごく重くなることがある。
中途半端に実現力ってやつが伴っているもんだから、言葉にした瞬間に俺たちの肩にその言葉を現実にする責任が瞬時にのしかかってくるからだ。
そんなふうに捉える必要はないってあんたは言うかもしれないな。
それでもそう感じてしまうのが実際のオッサンの感覚だと思ってくれればいい。
そのくらい、俺たちオッサンはおっかなびっくり生きているってわけだ。
ところがだ。
今回、葵くんと話をしているとき、俺はそのおっかなさを飛び越えて実に自由に話すことが出来た。
傍から見たら、なんだこの偉そうに語っているオッサンはって思われたと思うんだけれど、それでも俺は話したんだよな。
葵くんの夢について。
VRで実現したいこと。
VRに関わっていきたいと感じたきっかけ。
全てにおいて、未熟で、それゆえにまっすぐな気持ち。
なあ、あんたは想像できるかい?
かつて、俺たちが同じような若者だったときに「諦めていたもの」にまっすぐ向き合おうとしている若者が目の前にいるときに、俺たちオッサンが何をしてしまうのかってことをさ。
俺はその夢を現実に近づけようとした。
その夢が成し遂げたいものが何者なのかってことを言葉に翻訳しようとした。
その夢が葵くんに何をもたらすものなのかを言葉に翻訳しようとした。
気がついたかい?
俺たちオッサンは何もかもを現実に近づけようとしてしまうんだ。
もしかしたら夢は夢のままであるほうがいいことだってあるのかもしれないが、俺たちは現実に圧倒的な価値を見出してしまっているから、夢のままでいることを許せないんだと思う。
その夢を達成するってことがどういうことか。
そのための次の行動は何にするべきか。
そう言うことを紐解いていってしまう。
圧倒的に遠い夢の実現への道筋を知ることは夢をくじくかもしれないって知っているのにだ。
でも、葵くんは言った。
「考えます!」
若者の力強さってやつ。
俺たちは見くびっちゃいけないよな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちオッサンはもうちっと若者と話をしてみても良いと思うかい?
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