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チェスのクイーンの物語

あんたにもガキンチョの頃からやっているボードゲームってのがあるかい?

オセロでも将棋でも人生ゲームでも。
実にいろんな種類のボードゲームがあるよな。
俺自身はやったときないんだけれど、トレーディングカードを使ってのゲームもあるよな。
#遊戯王的な

俺もいろいろやっていたんだけれど、結構心に残っているのはチェスなんだよな。

前にもこんなのを書いているんだ。

読んでもらえるとありがたいけれど、このときはチェスのポーンという駒が持っている物語性について書いたんだ。

ポーンが前にしか進めないって意味とか、プロモーションのもたらす物語とかをね。

で、当然俺としては他の駒についても物語性を感じているわけなんだよな。

今回はチェスのポーン以外の駒の物語を夢想してみようって回だ。

まあ、ちっと想像の翼を羽ばたかせてみようぜ。

クイーンという存在

チェスをやったことがあるヒトなら知っていると思うけれど、一般的にクイーンって駒は最強の駒なんだよな。

動きとしては将棋で言う飛車と角の両方の動きを出来る。
イメージ的には他の駒が点が線で戦術を駆使するのに対して、面で戦術を駆使する感じ。

ある意味キングもそうなんだけれど、戦術範囲がえげつないくらいに広い。

それ故にクイーンってのは最も「負けてはいけない」存在なんだよな。

なに?そりゃキングだろって?
そりゃそうなんだけれども、キングが負けた瞬間にゲームと言う物語そのものが終わる。

盤上の物語が続いている中では最も負けてはいけないってことな。

負けてはいけない存在を守るもの

そんな最強のクイーンなわけだけれども、その機動性が仇となり、危機に瀕する局面も現れる。

そんなときはポーンを始めとするキング以外の駒を犠牲にしてクイーンは守られる。

特にポーンはプロモーションで復活することもないから、文字通り命がけでクイーンを守ることになる。

その時のクイーンはどんな気持ちになるんだろうな。
自分を守るために命を落とした仲間の躯を抱きしめたい気分かもしれない。

ラピュタでロボットがゴリアテに撃たれて、シータが涙を流しながら「パズー!!」と叫んだような感じかもしれない。

そんな涙を振り払いながら、クイーンは戦場を駆り続けなければならない。

なぜなら、盤上に存在するすべての者は戦うために存在しているのだから。
クイーンもその例外ではない。

勝利という物語の終焉を手に入れるため、文字通り駒となって心を鬼にして涙を振り払うってわけだ。

クイーンの愛はどこに向いているのか

そんな全力で仲間に守られながら、全力で戦う鉾という存在のクイーン。

彼女の愛はどこに向かっているだろう?

普通に考えればキングなんだけれど、さっきも書いた通りキングは物語を終わりに導く存在だってのがある。

クイーンを動かす俺たちはその物語を勝利という形で終わらせようと考えて動かす。
つまりクイーンはキングと言う存在を通じて仲間全部に愛を注いでいるって物語を感じるじゃんか。

言ってみりゃ、全部の駒がそうなんだけれどさ。
キングのすぐ横にいるクイーンはより全体に愛を注ぐってことをしちまう気がするんだよ。

それがヒトの感情のキャパを大幅に超えるとしてもね。

クイーンが負けなければならないとき

そんな大いなる愛を仲間に向け、大いなる愛を受けているクイーンにも負けなければならないときはある。

キングを守らなければならないときと、敵のキングを打ち取れるときだ。

いわゆる最終局面ってやつだよな。
まあ、俺は凡庸な打ち手なのであっさり序盤でクイーンを失ったりするんだけれどさ。

で、最終局面でキングを取る取られるかって状況になったときにクイーンは何を考えるんだろう?

キングへの愛?
俺の感覚ではそれは半分当たりで、もう半分があるって感じなんだ。

今までなんのために仲間たちは散っていったのか。
それをキングという存在を通じて感じるって感覚。
それが近い。

それを全身で感じながらクイーンは敵の前に姿を晒す。
あとに続くものを信じながらね。

なあ、あんたはどう思う?

チェスと言うゲームにどんな物語を感じているかい?

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