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我慢を学ぶってこと

あんたも子どもの教育ってやつについて考えることが有るかい?

学力面での教育もさることながら、メンタル面での教育ってやつはすごブル難しいものが有るよな。

そもそもメンタル面での教育を施せるほど、自分自身がヒトとして完成されているのかとか考え始めると、自信を持って子どもを導いていくってのは至難の業だ。

でも、子どものメンタルにまるっきり関与しないなんてことは出来るわけもなく、常に探り探りで考えていかないといけない課題なんだよな。

今回は精神面での教育について考えてみる回だ。

まあ、回答のない話だけれど付き合ってくれよな。

子どもが我慢を学ぶってこと

子どもにとって我慢するってのはスゴイ難しい話だと思うんだ。

最初はなんで我慢しないといけないのかってことすらわからないと思うしね。

なんでも、子どもがする我慢には2種類あるそうだ。

・ヒトの言いつけを守る我慢
・やりたいことを成し遂げるための我慢

優先順位としては「やりたいことを成し遂げるための我慢」なのは一目瞭然。
「ヒトの言いつけを守る我慢」しか出来ない状態は、明らかに健康的じゃないし、自己肯定感が育たないので自主性が育たない。

じゃあ、「やりたいことを成し遂げるための我慢」を出来るようにするために必要なものってなんだろう?

成功体験を共有する

多分、一番必要なのは子どもが成し遂げたことを共有するってことなんだろうな。

習い事でもなんでも良いけれど、努力の結果が形になったときに一緒に喜ぶ。
これが最初に親がするべきことなんだろう。

「頑張ったかいがあったね」

この一言が大切ってことなのかもしれない。

環境に対する我慢

とは言え、「ヒトの言いつけを守る我慢」も全く出来なくて良いもんじゃない。

ヒトの中で集団生活をする以上は、その人間関係の軋轢というものすごく一般的なストレスの中で過ごすことになる。

そのストレスを軽減させる方法としての我慢ってわけだ。

我が家の息子の場合はどうもワイワイとしたヒトの雑音がお気に召さないようだ。
秩序だった環境で幼児期を過ごしてきたってのもあるんだが、どうも散発的に発生するランダムな会話ってのが苦手らしい。

ときにはそのワイワイと話している子どもに対して攻撃的な言葉を投げかけてしまうこともあると聞いている。

それって明らかにコミュニケーションの負のスパイラルってやつだから、手を考えないといけないんだよね。

まずは怒りのコントロール。
怒ったら深呼吸。

ヒトという生き物の仕組みとして最初に起きた感情は7秒程度しか保たないって話を聞くじゃんか。

その7秒を確保するための深呼吸。
これを繰り返して訓練していくってのが最初かなぁ。

その上で、相手の話の内容を聞いて、相手に歩み寄るコミュニケーション。
散発的なワイワイが嫌なんだから、そのワイワイに混じっちまえばそれは雑音じゃなくて会話だもんな。

親がするべきこと

これらの我慢の練習を子どもにしてもらうにあたって親がするべきはなんだろう?

やっぱお手本としての姿を見せることだよな。

・努力して達成する姿
・怒りの感情を表に出さないための工夫をする姿
・相手の言っていることを解釈して会話する姿

この姿を日常的に見せていく努力がいるんだろう。

で、これが自分にとっての最大の課題なんだが、「笑顔で相手を認める」って表現を心がける。

オッサンになると、どうしても笑顔で過ごすって瞬間は少なくなりがちだ。

意識しないと1日で1回も笑顔にならない日も普通にあると思う。

それじゃあ子どもの自己肯定感なんて育ちっこないってもんだよな。

そのために出来ること。
そうだ。こうしよう。

「今日の学校で何が楽しかった?」と笑顔で聞く。

こっから始めてみよう。

笑顔で聞くことで子どもにとっての会話に対するハードルをさげつつ、「楽しかった」ことを無理矢理でも言葉にすることで楽しかったこと探しの癖付けにもなる。

うまく行けば、他の子どもたちとの楽しみづくりにつながるかもしれないしね。

なあ、あんたはどう思う?

この正解のない教育で俺たちは子どもの幸せを作りに行けるんだろうか?

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