見出し画像

王様ランキングが中国で受け入れられる意味

あんたにも楽しみにしているアニメ作品ってのがあると思うんだ。

今なら進撃の巨人に鬼滅の刃って王道中の王道作品が放映されていて、毎週首を長くして待っているってヒトも大勢いると思うんだよね。
もちろん、俺もその一人だ。

で、その2作品とは別に楽しみにしているアニメ作品がある。

「王様ランキング」だね。

実にほんわかとした絵のタッチとは裏腹に、描き出される物語は非常に象徴的だ。
忠誠と裏切りと成長と挫折。
そんな人間関係の根っこのようなテーマが取り扱われている。

今回はそんな王様ランキングという作品に対する周囲の反応について見てみる回だ。

ちっと作品の楽しまれ方ってやつを研究してみようぜ。

中国で王様ランキングが人気らしい

今回このことを書いてみようって思わせてくれたニュースがあるんだ。

中国といえば、最近露骨に言論統制を強めているって印象が強かったんだけれども、そんな中でも王様ランキングはコンテンツ規制の網の目をくぐり抜けて楽しんでもらえているんだね。

で、上の記事を読んでみると、中国では子どもの頃から習い事や塾などの投資を親から受けることが多くて、王になる運命にあるボッジの置かれている立場に自らを重ねているヒトが多いってんだよね。

ほほ~って思いつつ、若干の違和感を感じる。
ボッジは王様になるという立場に置かれていたのはその通りなんだけれど、その立場を自らの夢と重ね合わせているので、すでに運命って言うレールとは別の意識で王様という立場に求められている責任ってやつに立ち向かっている物語だと思うんだよな。

中国のアニメ事情

よく知らなかったんだけれども、中国では国産のアニメが結構放映されているらしい。

上の記事によれば、結構な比率で原作にボーイズラブ要素がある作品が受けているらしい。
中国では規制が厳しいので、いわゆる性的な表現ってのは避けられているらしいんだけれど、なんというか規制への対抗心みたいなものが感じられるじゃんか。

そう言う観点で王様ランキングという作品を眺めてみると、ちょっとねじれた感覚ってのが感じられてくる。

主人公のボッジは次期国王として指名を受けていた。
そして、その指名をしたボッス王はもともとの計画で自分の死後にダイダ王子の体をのっとって復活することになっていた。

アニメしか見ていないので、ボッス王の意図ってのは計り知れないわけだけれども、今の所ボッジの置かれている立場ってのは「力に翻弄される優しきヒト」ということなんだと思うんだよ。

中国人民という立場

そう考えてみると、中国に住まう人民の皆さんはまさに中国共産党という力の方向によって色んな規制を課されているという状態なわけだ。

いわゆる民主主義ではないので、力が行使する規制に対して異論を挟む仕組みがない。

それでも中国共産党が推進してきた経済政策によって、一部のヒトは富を得ることが出来たので、その規制に従ってきた。
富を得ることが出来なかったヒトは相変わらず貧しいので、そもそも規制に対抗する力を持てなかった。

ところが、最近はその経済政策にも陰りが見え始めている。
モロに日本のバブル崩壊と同じ様なプロセスをたどりつつある。

そうなってくると、規制に対する正当性を人民が感じられなくなる。

つまりさ。
王様ランキングという「力に対抗する」主人公に人民が魅力を感じているってのは、中国共産党という力が持っていた権威に対する疑問の現れのように感じられるんだよ。

今は単純に作品への好みに偏りが見られるだけに過ぎないかもしれない。
でも、本当にそう言う人民の不満がにじみ出た結果としての偏りだったとすれば、そのことを中国共産党は放置しておくことが出来るんだろうか?

その先にあるものはさらなるコンテンツ規制。
そして、さらに不満は溜め込まれていき、いつかは……。

なあ、あんたはどう思う?

中国という国に住まうヒトたちにどういうやり方で幸福な状態ってのを作り上げる事ができるんだろうか?

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?