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機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)を見てきた

あんたもガンダム好きだよな!(断定)

ということで昨日から劇場公開されている機動戦士ガンダムNTを愛する息子と見てきた。
いやぁ、なんか色々思わされる作品だったと思う。

ということで、今日は機動戦士ガンダムNTのあらすじには触れずにこの作品を見て感じたことについての話だ。

この作品のテーマは何だったのだろう?まずはそこから振り返ってみる。

俺が感じたところで言えば思いの結晶といったところか。
この作品は宇宙世紀の外伝ではなくメインストーリーだとストーリー担当の福井さんは言っているようだ。

そのことを示すとおり、随所に過去の宇宙世紀物のシーンが挟み込まれている。その挟み込まれているシーンで改めて認識し直したのだが、人の思いが力となるってのはZガンダムからの伝統だったんだな。

そう思うと、Zガンダムってなんでサイコマシンでもないのに、シロッコを皆の思いを背負って倒せたんだろうな?
さては、ウェーブライダー形態になったときの先っぽ(伝われ!)がサイコ・フレームの試作が仕込まれていたんだな?きっと。

で、思いの結晶だが、ガンダムユニコーンで最後にバナージがあっちの世界に行きかけた時、サイコ・フレームの万能っぷりが発揮されたのは見たあんたなら分かるよな?

あの解釈を拡張していくと、そもそも「命」ってなんなんだって話になってくる。
なんでだって?
過去も未来も見通せるような次元に人を誘うサイコ・フレーム。
それはつまり「命」というものが水が氷になるようなただの状態の違いでしかないということになってしまうからだ。

時間というのが非可逆的(後戻りできない)という特性を前提にするから命というのはかけがいのないもので、失われたら帰ってこないものなんだが、サイコ・フレームでその時間の非可逆性が意味を失った瞬間に、命というものの価値が非常に下がってしまう。

この機動戦士ガンダムNTはそれでも生きていることに意味があると言っているように思えた。
それは思いを受け取るのが命だからだ。

つまり、ガンダムユニコーンの終盤で人々の思いを形にしたユニコーンとバンシーがコロニーレーザーを止めたのがすごいんじゃない。いや、すごいけど。

すごいのはそれを行おうと思ったバナージとリディであり、それを見届けた周りの人々の思いだってことだな。

俺たちは様々な人々の思いのただ中にいる。
その思いに俺たちは俺たちの各々の立場で「悪意」だの「善意」だのの名前をつけて区分けする。

機動戦士ガンダムNTはその思いそのものの意味を描こうとしたように俺には思えた。

人々の思いがあんたにとって「悪意」でも「善意」でもそこにあることを感じているあんたに意味がある
そう語っているように俺には思えた。

あんたは今日何を感じた?

それがあんたが今日生きていた意味そのものだってこった。

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