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物語を通じて共有できるもの

あんたは色んな国のヒトたちが日本をどう見ているのかって興味ないかい?

俺は興味はありつつも、自分の身近な情報としてそう言うものってあると思ってもなかったんだよな。

でもさ、ちょっと考えてみれば普通に動画で日本のコンテンツに対する感想を上げているヒトなんていそうなもんだよな。

で、ちょっと検索してみたら、すげーいっぱい日本のアニメを見ながらそのリアクションをとっているって動画があるんだよ。

今回はそんな日本以外の国のヒトたちが日本のアニメーションを見て日本人の俺が感じたことを振り返ってみる回だ。

ヒトの感情が動く瞬間。一緒に考えてみようぜ。

海外でも人気っぽいね「鬼滅の刃」

日本のアニメーションにリアクションを取っている動画っていっぱいあるんだな。
そんな中でもやっぱり鬼滅の刃に対する動画はすごい数が上がっているっぽい。

例えばこの動画のご夫婦(なのかな?)は鬼滅の刃の序盤最強の敵と言っても良い下弦の五を与えられた十二鬼月の累を炭治郎が倒す(正確には倒す直前)回を見ている。

確かにこの回の表現は神がかっているよな。

物語としても普通に考えたら絶対に倒すことができない敵を炭治郎と禰豆子が父親と母親の記憶と魂に触れて火の呼吸と血鬼術を新たに使って累を倒すっていう「家族の絆」が描かれているし、その物語を素晴らしいアニメーションが俺たちの心を鷲掴みにしてくれる。

でもさ、この「家族の絆」の表現って日本人にしか伝わらないと思ってなかったか?

大正時代の寒村の家族ってシチュエーション。
さらには子供が働かざるを得ない状況。
そのことに不満を感じるどころか、家族を守ることに誇りをもつ子供。

日本の時代背景を普通に聞く事ができる日本人なら、その状況が普通に会っただろうって想像が出来るわけだけれども、そんなことを聞く機会も無い他国のヒトたちにとって、その状況は「悲惨」と受け止められても不思議じゃない。

でもさ、この動画を見てみると、多分だけれども炭治郎は鬼に家族を惨殺されるまではキッチリと幸せを感じていたって感じてもらっているように見えるんだ。

これって、ちょっとした発見だよな。
物語を通じて日本の文化が伝わるってことだもんな。

家族の絆が何かを成し遂げるってことがこんなにも共有できるものだってのは涙が出てきちゃう事実だと思わないかい?

「進撃の巨人」のリアクションで知る南アフリカ

次に見た動画では南アフリカ出身のかたが進撃の巨人のアニメーションを見ていた。

この回ではマーレでエルディア人が受けていた迫害がどんなものかが描かれている。

エルディア人は巨人になる能力を使って世界を席巻していた。
そのことを止めたマーレ。(ホントは始祖と戦鎚が結託して止めたんだけど)

それ故にエルディア人に対する迫害は筆舌に尽くしがたい。
特定の居住地から出たというだけで犬に食い殺される妹。
そのことがご自身の出身地である南アフリカでの白人への迫害とつながったんだそうだ。

彼女いわく、南アフリカでは白人が黒人に殺されているっていうんだ。

調べてみたんだけれど、南アフリカで白人が殺されているって情報にはたどり着けなかったけれど、どうやら逆アパルトヘイトと言わんばかりの政治が行われているって要素があるんだそうだ。

その白人に対する迫害は、当然だけれども今の南アフリカに住んでいる白人の皆さんが起こした行動によるものではない。

アパルトヘイトという四半世紀前の政策が原因なわけだ。

そのこととマーレからエルディア人に行われている迫害とを重ね合わせたっていうんだよ。

なあ、こんな世界の生な感情を今のネット社会では受け止めることが出来るんだな。
しかもその感情を俺たちは共通の物語を通じて非常にリアルに感じることが出来る。

俺たちは俺たちの感情も同じ様に日本以外の国に住まうヒトたちに届けられるってことなのかもしれない。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは国という枠組みを超えて感情を共有することが出来ると思うかい?

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