見出し画像

オモロイへの扉

あんたはリアルタイムでは見ていなかったコンテンツを少し経ってから見て「オモロイ」って思うことってあったりするかい?

オンデマンドの配信サービスが一般的になってきている現在、俺たちは昔やっていた話題の映画だったりドラマだったりアニメだったりを気軽に楽しめる環境にいるわけだよな。

ただでさえ、星の数ほどのコンテンツが日々生み出されている中で、その中の一つを選んで見るってのはなかなかに判断力を求められるところだ。

新作をリアルタイムで見るともなれば、いわゆる口コミを当てにするわけにも行かないしな。

で、リアルタイムでの視聴がメインになってきた時に、俺たちは何を持ってそのコンテンツを選択してきたんだろう?

そして、過去のコンテンツまで同じ土俵に乗っかってきている現在において、俺たちは何を持ってコンテンツを選ぶんだろう?

今回はコンテンツを選ぶ要素について考えてみる回だ。

ちっとこのコンテンツの大海原の泳ぎ方を考えてみようぜ。


ドラマ日本沈没はオモロかった

こないだ、なんとなくオンデマンドのコンテンツを眺めていたら、名作SF小説「日本沈没」のドラマが見られるのが目に飛び込んできたんだよな。

俺個人は日本沈没の原作小説は読んだときないんだけれど、何度となく映画だったりアニメだったりでリメイクされているってのは聞いたときがあったんで、なんとなく見てみたんだよね。

見終わった感想としては、これはパニックムービー(ドラマだけれど)の形を借りた政治力学の物語だなって感じたんだよな。

この手の映画にありがちな地震と言う天災に問答無用で押しつぶされていくヒトの直接的な姿ってのはドラマの中ではほとんど印象に残っていない。

コンテンツ作成の立場から考えれば、そこをリアルに描いてしまうと3.11の傷もリアルに残っている現在において、それだけで受け入れがたい何かになってしまうと言う認識があったのかもしれない。

そして、たしかにこの日本沈没のドラマはそのパニックするヒトの姿がメインコンテンツじゃないってのも納得できる。

ホント徹頭徹尾、政治という舞台でのヒトのあがきみたいなものが主軸に描かれ続けていた感じを受けたんだ。

まあ、実際にはこんな事が起きたら日本中の59基にも渡る廃炉中、稼働中の原子炉が全部メルトダウンすることになるから、こんなもんじゃ済まない。
極東地域がヒトの住めない環境になるわけだ。
だから中国に逃げてもダメなんだよな。

なんか突如マッチョでモヒカンの悪党どもが湧いてきちまいそうだ。
#伝われ

なぜ日本沈没をオモロイと予想したか

で、本題に戻るけれど、俺はなんでこのドラマをオモロそうって思ったんだろう?

さっきも書いた通り俺は日本沈没のあらすじも知らない状態でこのドラマを見てみようって思ったんだよな。

ぶっちゃけ見ようと思うまでに口コミをチェックしたか?って問われるとチェックしてないんだよ、これが。

視覚的に飛び込んできたのは小栗旬さんと松山ケンイチさん、そして杏さんだな。

あ、香川照之さんもインパクトある感じ。

こういう俳優さんたちでコンテンツを選ぶって要素はたしかにありそうだ。
ただ、アメリカだと有名な俳優さんだけじゃなくて、無名の俳優さんでもヒットすることは普通にあるみたいなことも聞く。

そのあたりの国や地域ごとに選ばれる理由ってのも千差万別なのかもな。

たしかにインドの映画とかは日本でもちょっとづつ入ってきている感じを受けるけれど、他の中東の国々のコンテンツとか南アメリカのコンテンツとかとはまだまだ縁遠いよな。

やっぱ言語の壁ってのはデカイんだろう。

英語ひとつとっても、英語にできない日本語や日本語に出来ない英語ってのもいっぱいある。
そして、その言葉ってのは俺たちの生まれ育った文化ってのと切り離して考えることは実に難しい。

そして、その文化ってのは同じ日本の中でも地域によって微妙に異なる。

なんならヒトによっても異なる。

その一人ひとりが抱えている文化とコンテンツが持っているテーマが一致した時にオモロイって思えると思うんだよな。

じゃあ、俺は何からその一致を感じたのか。

たぶん、目だ。

小栗旬さんの、松山ケンイチさんの、香川照之さんの目だ。

あの目の奥にある泥臭さを俺は感じたんだと思うんだよね。

そして、その泥臭さは敵を敵と割り切らずに巻き込んでいく、まさに政治と言う舞台で繰り広げられていたように感じる。

なあ、あんたはどう思う?

あんたにとってのオモロイへの扉はどこにあると思う?

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?