繰り返すコンテンツ
あんたにも忘れることが出来ない作品ってあるよな?
俺にとっては宇宙戦艦ヤマトであり、ガンダムであり、ウィザードリィであり、高機動幻想ガンパレード・マーチだと思う。
俺たちはそれらの作品を繰り返し鑑賞して、そのたびに何かを感じ続けている。
そのコンテンツは全く変わっていないのにもかかわらずにだ。
今回は、なぜ俺たちは変わらないコンテンツを味わい続けることが出来るのかを考えてみる回だ。
同じコンテンツを楽しめるってのは、良いことなのか?ちっと考えてみようや。
子供が同じコンテンツを繰り返し見るわけ
あんたも子供の頃に同じコンテンツを繰り返し見るってことをしてきたよな?
俺もご多分に漏れず、ビデオ録画した宇宙戦艦ヤマトを繰り返し見ていた。もぉセリフを丸覚えするくらい繰り返し見た。
人生の中で、あれ程の反復訓練をしたことは無いと思えるくらいに見た。
何が当時の俺を惹きつけていたんだろう?
実際、子どもたちはまだ言語も確立していない段階でコンテンツを楽しむ。
なぜ楽しめるのか?
イギリスのサセックス大学という所の論文によれば、子どもたちは繰り返しコンテンツを見ることで、その言語のやり取りのパターンを自分の中に取り込んでいるということらしい。
つまり、その作品の中に現れるキャラクターたちのやり取りや、ストーリーの展開ってやつを教科書に会話のやり方や物事の展開の基礎を学んでいるってことなんだと。
これって結構な事実だと思わないか?
俺たちは、俺たちが言葉もわからないときに見ていたコンテンツで、人格の基礎とも言える会話のベースラインを叩き込まれているってことなんだぜ?
そうなると、子供の頃にウルトラマンを繰り返し見ていたやつと、フランダースの犬を繰り返し見ていたやつでは、人格的に変わってくるって話だもんな。
大人が同じコンテンツを繰り返し見るわけ
じゃあ、俺たちオッサンが飽きもせず同じコンテンツを味わい続けるのはなんなのか?
世の中には絶えず新しいコンテンツが出し続けられている。
映画もそうだし、日々のTV番組もそうだし、なんならユーチューバーは毎日複数のコンテンツを発信し続けている奴らも大勢いる。
それらのコンテンツを俺たちはそれこそ流し見をし続けて、消費していっている。
そういうコンテンツはほとんどが一過性のもので、繰り返して味わうことは稀だよな。このnoteも含めて。
でもそんな中で、俺たちが繰り返し見るコンテンツってやつも確実にある。
例えば、これなんて俺の中ではじわっと楽しめるものだったりする。
なんだろうね、このジワリ感。
完成されたコンテンツなんで、ゲーム実況の内容は変わらない。
毎回同じところでミスするし、同じところでクリアしていく。
でもその同じさってやつが俺たちを癒やしてくれているのもまた事実なんだと思う。
なぜ、俺たちはそんなふうにおんなじコンテンツを楽しめるんだろう?
おそらくは、「それが心地よいことを知っている」からなんだよな。
俺たちの命には限りがある。つまり俺たちが持っている時間ってやつは、当たり前だが、有限だ。
その限りある時間を何に使っていきたいのか。自己研鑽で自分の能力を高めるのに使うのも良い。
でも多くの奴らは、「心地よい」と感じる時間を増やしていきたいと思っているんだと思う。
新しいコンテンツを味わって、その心地よいを得るってのもいいが、心地よいとわかっているコンテンツを楽しむことで、より確実に心地よいという感覚を得ることが出来る。
そう、俺たちは感動するやり方ってやつを学んでしまっているんだ。どのコンテンツが俺たちを感動させてくれるかを。
それでも、俺たちは新しい感動も求め続けている。
だからこそ、他人のレビューや、評判という情報は俺たちが必要とし続けているものなんだろうね。
つまり俺たちは子供の頃に味わったコンテンツで人格の基礎を固められ、その基礎の上に立って、コンテンツを吟味し、新たな繰り返しに耐えられる「感動」を探し、積み上げ続けているってわけだ。
そりゃあ、世の中のコンテンツにリメイクやら続編やらが跋扈するわけだよな。
あんたはどうだい?
この繰り返すコンテンツの螺旋を味わっていけそうかい?
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