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家族との時間が教えてくれる自分

あんたも在宅勤務をやってたりするかい?

俺の場合、基本が在宅勤務に変わっているわけだけれども、その結果として結構な気づきってのがある部分もあるんだよね。

もちろんメリットというか在宅勤務でしか得られないものもあるし、今までには存在していなかったデメリットもある。

今回はこの在宅勤務での気付きを整理しておこうって回だ。

ちっと働くってことについて一緒に考えてみようぜ。

家族の「不快」の違い

在宅勤務になることによって、当然だけれども家族と接する時間が増えた。

仕事をしながら、家族の様子が常に見えるって環境だ。

そうすると今まで見えていなかったものも見えるというか感じることが多くなってくる。

特に不快に感じることが何かってことが今までよりも鮮明に見えてくることが増えた気がするんだよね。

例えば「音」。

俺の場合はニュース的な情報がBGMとして流れている状況は心地よいって思うんだけれども、妻は言葉が流れている環境ってのにたまらない不快感を感じているみたいだ。
息子はどんな音も集中したいときは聞きたくないっぽい。

例えば「作品」。

俺の場合はワリカシ「辛い環境に立ち向かう若者」みたいな作品を好むんだけれども、妻は同じ辛い環境の物語でも「仲間でワイワイ前向きになる」作品を好む感じがする。
例えば俺はガンダムが好きだけれども、妻はアメリカドラマのFLASHがスキって感じ。
ちなみに息子は妻よりだ。
#寂しいやつ

例えば「気温」。

俺の場合はもともとメチャクチャ暑がりなので、こいつは前からわかっていたけれども、心地よいと感じる気温に結構な差がある。

俺の場合はなんなら18度くらいなら半袖で過ごせるんだけれども、妻はメチャクチャ寒がる。
息子も妻よりだ。
#寂しいやつ2

家族との違いによって浮き彫りになる自分

そう言う自分以外のヒトとの差分を頻繁に感じる環境にいると、自分の「好み」ってのは結構違いがあるってことを実感するんだよね。

まあ、俺自身が結構特殊ってのもあるのかもしれないけれども、これってワリカシ普通にある事実なんじゃないかって思ったりもするんだ。

家族と比べるとびっくりするくらいに俺は無口だったり、妻に比べると近所に対する感覚が鈍感だったり、家族に比べてメチャクチャ涙もろかったりなんて普通にある差だよな。

逆に言えば、俺たちは俺たち自身のことをそんなに振り返っていないってのが現実としてあるってわけだ。

まあ、そりゃそうだよな。
普段から「自分」ってもんに意識を向ける余裕なんて持ててるやつはそうはいないだろうしね。

浮き彫りになった自分を分析する

でだ。
せっかく浮き彫りになった自分ってのを感じることが出来たんなら、きっちりその実態ってのを考えておいたほうが良い気がするじゃんか。

自分が何を嫌うのか。
自分が何を好むのか。

そいつを言葉にすることって結構意味がある気がする。
だってそいつは自分を心地よい状態に仕向ける操作説明書みたいなもんだもんな。

それと同時に自分と家族の分析もしないとな。

何に共感できて、何に共感できないのか。

共感できないことを無理やり矯正するってのは家族にとって不幸以外の何物でもないもんな。

なら、共感できる出来事をどうやって増やしていくのかってのを考えたほうがよっぽど建設的だ。

まあ、わかっていても「おりゃ~」って簡単にできないかも知んないけれど、それだって知っとくことは価値を生み出しそうじゃんか。

そして、そのことは家族以外の人間関係でも同じことが言えるはずだ。
このヒトとはここで共感できるってわかるってメチャクチャいろんな良いことにつながると思うんだよね。

そして、その軸にあるもの。
それが自分が何に価値を見出しているのかってことの言語化だ。

その軸を基準にして家族や仲間、友人との違いを前向きに捉えていく。

これによって生み出される相乗効果ってえげつないと思うんだ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たち自身を家族との時間によって捉えることが出来ると思うかい?

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