2022年頭に発達障害が判明したうつ病持ちアダルトチルドレンの備忘録


誰?

dumeと申します。づめでも大丈夫です。
普段は音楽を聞いたりゲームをしたり絵を描いたり推しを眺めている陰キャです。
本日12月20日が誕生日というのと、今年は何かと色んな出来事があったので備忘録というか独り言みたいな感じでつらつらと書きたくなったのでなんとなく書いていきます。
人によってはただの不幸自慢にしか見えないと思うので「そういうのいいんで…」という方はブラウザバック推奨です。
そして大半の出来事の原因は必ず私自身の問題もあるという前提で書き進めています。


鬱だったり発達障害だったりするの?

現役バリバリのうつ病どころか発達障害(特に目立つのは自閉症スペクトラム)、アダルトチルドレンです。
2021年12月辺り、仕事が上手くいかず猛烈に死にたくなっていた時期に疑惑が浮上、翌年1月に行ったテストにより正式に判明しました。

うつとアダルトチルドレンの原因はざっくりまとめてしまうと「環境の悪さ」です。
父は生真面目で短気でしたが、ゲームをしたり飲み会が好きだったり、良い意味でオンオフがハッキリしていた人だと認識しています。
対して母は気分屋で、文字通りその時の気分によって態度や言動が変わったりと単純に面倒くさい人でした。
そんな家庭に生まれました。

正直「何で結婚出来たんだろう」ってぐらいの喧嘩の頻度だったと思います。一応きっかけみたいなのは聞いたような気がしたんですが豪快に忘却。
2日に1回ぐらいは喧嘩していたと思います。
口論が飛び交ったと思えば、父はものに当たったり、場合によっては私達に何かを投げつけてきたり、母は突然家を飛び出したり。今思うとヤバいとかいう次元じゃないのかもしれないなーとなんとなく思っています。なんとなく。

かもしれないという話

そんな環境で生まれたせいなのか、地の性格なのかはたまた障害の影響なのか定かではないのですが、私は当時母と仲良くしていた人達からは「とても大人しくて良い子」と見られていました。この時の私は少なくとも意識的に「大人しくしていよう」と思ったことは一度も無かったと思います。というのも、喧嘩ばかりの両親を見ているばかりで会話が出来ず単純にストレスで何も喋れなかったのではないかと推測しています。ただ何も考えてなかった可能性もあります。

しかし同じ時期に睡眠障害も併発していた(金縛りにあったり漫画みたいな飛び起き方をしたりとひたすら眠りが浅かった)ので、本当にもしかしたらの話な上に医学的にあり得るのかは分かりませんが
この時から既にうつの兆候はあった…のかも。


周りと合わせる事が出来ない

この(多分)無意識のストレスに更に拍車を掛けたのが幼稚園から高校にかけての出来事でした。
というのも、周りの子達と同じことが出来ませんでした。

具体的なエピソードとしては幼稚園の頃「運動会の絵を描こう」という課題?授業?があったのですが、その時私は本当に先生の話を全く聞かずにかの有名なでんきポケモンの絵を描いていました。当然先生からはお叱りを受けましたが、この時の私は「何で怒られてるんだろう」と罪悪感よりパニックの方が上回っていました。当然「叱られた=悪いことをしたんだな」、と合点がいった時はピーピー泣いていました。

また、片付けがかなり苦手でした。やる気が無いというより、物の整理整頓のやり方が分からなかったというニュアンスの方が近いです。
棚に物をしまうことは出来ても「どれを下にすれば、奥に置けばスペースが確保出来るか」等の思考は一切ありませんでした。
今はGやらが出没したら暴れ回ってしまいそうだし、単純に整った環境が好きなので掃除は欠かさず行っています。きもいし。


学生時代とかいう暗黒時代

よくわからん出来事しか覚えていません。

・小学校に入学して2日で上履きをトイレのゴミ箱に捨てられていた
・通学班の班長と同じクラスの人と一緒に給食を食べる行事の際に班長とその友人から容姿をバカにされる(友人の方はその時が初対面)、
・喉の調子が悪くて発声が危うい状態で卒業式の練習に臨んだ結果、悪魔みたいな声が出てしまいそこにいた同学年の視線が一斉に自分に集中したと同時に笑い声(これが一番キツくて大人数から視線が集中するのが苦手)
・席替えで自分と席が近くなった男子が途端に毎日のように一瞬私のことを見て「席替えしたい」と叫ぶようになる

自閉症の影響で浮いてたんかなと思ってますが誰に聞いても何も教えてくれなかったので真相は謎。
当然学生生活はおろか勉強に対するモチベもありませんでした。

正直通学したくねえよハゲ^~~~~~~~の日々でした。しかし私はやめることが出来ませんでした。登校せざるを得なかったのです。理由は高校一年生の時の年明けぐらいに、父親が亡くなったからです。
この時の私はひたすら「母に迷惑をかけたくない」という理由をつけて嫌でも学校に行かなくちゃ、家事をしなくちゃ、手伝いをしなきゃ、とかなり精神的に追い詰められている状態のところを更に自ら追い詰めていました。

ここからありのまま思ったことを書き連ねていくので読み辛くなるとは思いますが、当時大真面目だったのでこのまま続けます。

そこで精神に追い打ちをかけてきたのが母でした。
というのも、母は元から「比較」をする人で、事あるごとにテストの成績やら、家の事情やら、○○ちゃんは出来てる、○○ちゃんはちゃんとやってるとか、そもそも出来て当たり前とかその手の言葉を私に投げかけてきました。現在はそこまで気に留めていませんが今も続いています。やめた方がいいで?って10000回言ってもやめてくれません。

だいぶ凄い精神状態になっていたとは思うのですが、趣味の絵やゲームを無くす選択肢はありませんでした。逆にそれらが無いと本当にやっていられませんでした
家事を手伝ったりする頻度を増やして母の負担を減らそうと必死になっていたのですが、ある日絵の進捗がいい感じになり、作業に集中したくて純粋に時間と家事を忘れていたところ、「なんで当たり前の事が出来ないんだ」と母に物凄く怒られました。
この言葉は人によっては4倍弱点どころの騒ぎでは無くなるので発言するのはマジで控えた方が良いです。

簡単に言ってしまうと、身を削ってまで尽くした相手からこのような言葉をぶつけられたのは流石にキツかったです。
この出来事から私は「自分が今までやってきたのは何だったんだろう」という後悔に襲われるようになりました。
2年半ぐらいその精神状態と行動方針だったので、心がバッキバキに折れました。
また同時期にこの環境から逃げるようにプレイしていたネトゲでもトラブルが起きていた(女性の嫉妬って怖いね…)というのもあり、ここに至るまで積み重なった出来事から、完全に人間不信になったし、うつ状態も完成されていったのかなと思います。
そんなゴミカスメンタルを背負ったまま私は専門学校に行きましたが、ここでまた新たな問題が発生。
というのも、行動方針を母中心にフォーカスし続けた結果か、自分の思考やらが持てなくなっていたのです。就職活動も一応行ったのですが、何の為にやってるんだっけ?ともう精神面も思考面も何もかもがメチャクチャになっていました。この辺りから病院に通う様になりました。


色んなところを転々と

案の定就職活動に失敗した私は高校生の頃にお世話になっていたバイト先に頭を下げて働かせて貰うことになったのですが、学生の頃と環境が異なっており、「合わせる」ことが苦手だったので長続きしませんでした。
暫くして別の職場を見つけましたが、店長が嫌味ったらしく普段の仕事ぶりもゴミだったので半年で辞める。
その後はゲーム会社でドット打ちをしたり、Spritestudioでアニメーションなんかを作っていたりしました。結構やり甲斐のある仕事で楽しかったのもあり、うつ治ったんじゃね?と勘違いした私は病院に行くのをサボった=抗うつ剤や眠剤を適切な減量をせず突如やめました。
本当にアホなので絶対に真似しないでください。

数ヶ月程して仕事をしていると眠くなる、集中出来なくなる、食事も億劫になる、睡眠障害が悪化する、通勤中の階段の上り下りが怪しくなるなどだいぶ酷い状態になっていました。
何もかもが怠くなっていた頃、会社の方からプロジェクトの都合で人員削減との事で会社都合という形で仕事を辞めました。寝耳に水でしたが却ってありがたかったかもしれないです。
その後病院に再び通い、暫くはプーの状態が続いたのですが年末に手伝った職場での仕事っぷりが認められ、数年程そこで勤務。
周りの人は優しく接してくれて、仕事自体も褒められたのもありやっと落ち着ける場所が来たか~~~と思っていたのですが、同じ部署に勤務していたちょっと歳上の女性(仕事に私情を挟みまくっていたので物凄く評判が悪い)から特に理由も原因も何も思い当たる事がないままネチネチネチネチクソみたいな接し方をされ続けた結果、ハチャメチャに体調を崩し遂に家で倒れて救急車沙汰にまで発展しかけました(最終的には母が嫌がったのもあって呼ばれなかった)。
人生初の臨死体験だったような気がします。

例によって仕事を辞め(上司がコロコロ変わって環境も変わりまくっていたのもあって)、また職場を変えました。工場勤務でした。今年の話です。
最初の内は普通に働く事が出来ましたが、ある日突然「何で皆は普通に働く事が出来るんだろう?」というギャップのようなものが自分の中で生じました。その後は椎間板ヘルニアを患ったり(人生で一番痛かった)、自殺未遂にまで走ったので手遅れになる前に退社。
流石にこれは何かあるだろうと思い、症状を調べ、もしかしたらと病院の先生に発達障害の診断(簡単なやつ)を受けさせて貰いました。
結果は「可能性あり」。「嘘だろ…」の気持ちでいっぱいでした。
細かい検査を経て可能性ありという診断を貰ってから一ヶ月後、ようやく
「自閉症スペクトラム、ADHD(メイン(?)は自閉症)」という正式な診断を下されました。
この手の診断をされて納得して落ち着く人もいるという話でしたが、
私は今までの出来事からもうショックを通り越して虚無でした。


なんとか生きてます(飽きてきたので投げやりなオチ)

つらつらだらだらと書いてきましたが、なんやかんやで生きてます。
こんなんでも生きることは出来てます。カウンセラーさんにも不思議がられたレベルですが本当になんとか生きてます。

というのも、育ってきた環境はゴミだったけどネットで会った色んな人に支えて貰ったのが大きいかなと思っています。ネトゲではトラブルはありつつも、一緒に居てくれる人が今もいるので、そういった人に日頃の間違った行いを叱咤されつつ、ひとつひとつ欠けてしまったものを埋め合わせたり、人間不信を治す様に心がけています。
ただし、経験した出来事があまりにもあんまりなものばかりなので
すぐには治らないということをカウンセリングの際に言われております。

人との出会いって小さいようでも時にはとても大きいもので、何気ない出会いであっても後に自分を大きく変えるようなものになったり、
たとえ深い交流が無くとも少しでもその存在と応援が支えになったりと、
とにかく自分を大切にしてくれたり、励ましたりしてくれる人の存在はとても大事だと感じさせられる1年でした。あっという間でした。
皆様もそういった大切な人との時間を大事にしてください。

来年も無事歳を取れるように頑張って生きていきたいと思っています。
今日まで私を支えてくれた人達。
リプライは勿論のこと、誕生日に関するツイートにいいねをしてくださった方々に最大の感謝を。本当にありがとうございます。
お陰様でなんとかづめとしてやっていけております。
また落ち込んでたりヘラったりTLを汚してしまう事もあるとは思うのですが、幸いにもまだ死にたくないという気持ちは今のところマジなので
ぼんやり見守って頂けたら幸いです。

何卒宜しくお願い致します。

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