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記憶力とフック

キョウが面白いことを話していた。

「僕は記憶力に自信があるんだけど、そう言うと『覚える力』があるって思われがちなんだよね。実際は『思い出す力』がある、なんだけど」

どっかで似たようなことを聞いたなと思って記憶をたどったら、夫が娘にアドバイスしていたことを思い出した。

娘が歴史の勉強をしていたときのこと。
「あー、こんなん全部、覚えられへん」と頭を抱える娘に、夫が「記憶はフックをいっぱいつけるといいよ」と話していたのだ。

「フックがたくさんあると、記憶の海から釣りあげやすいからね」

夫はすさまじい記憶力を持つ。
一緒に生活していて驚くことも多い。

例えば、時間だったり場所だったり、店の名前や事柄の時系列だったり。
例えば、好きな作家の作品はデビュー作から遺作まで全て順番に記憶しているし、戦後の日本の総理大臣も全て順番に言える。
にわかに信じられなくて、試してみたら本当にスラスラ言えてしまうからびっくりした。もちろん私はスラスラ言われても正解かどうかわからないのでネットで確認しながら(笑)
ちなみに、夫は覚えようと思って覚えたのではなく、勝手に記憶されてしまったという。

例えば、大学受験のとき、日本史と世界史の教科書を全て暗記したらしい。
京都大学では、歴史の試験で必ず「〇〇について述べよ」という記述問題が出るらしいのだが、その問題が出ると頭の中にある教科書をぱらぱらとめくって、そこにある言葉を書き写したようだ。
教科書を二冊、暗記する。そんなことが可能なんだろうか。

夫には「歴史は全て繋がっているから」と言われたが、あのときの私は娘の教科書(中学生版)をみても、これを全て暗記するなんて不可能としか思えなかった。

でも今ならわかる。

全て丸暗記しようと考えるから不可能に思えるのだ。
夫は覚えたんじゃない。
夫は意識していないようだが、何か見たり聞いたり読んだりしたとき、その事柄にフックをひたすら付ける癖があるんだと思う。
それが夫の驚異的な記憶力の正体なんじゃないだろうか。
そのフックが、キョウの言う「思い出す力」ってことなんだと思う。

ここからは、ちょっとした私の自分勝手な僻みであり被害妄想だ。寛大な心で読み流してもらいたい。

私が受けてきた授業というのは、先生が黒板に書いたものをノートに書き写しながら、先生の話をひたすら聞くというスタイルが多かったように思う。
今、母になり、娘を通してその授業風景が随分と様変わりしていることに驚いている。
ノートは授業が終わったあと、各自で好きなように書くようになってるし、授業内容もグループに分かれてディスカッションする時間や、グループ発表の機会が多い。

私が受けてきた学校教育はあまり良くなかったと思われているんだろうか。考えすぎ?
「ただ覚えるだけで、考える力が養われない」みたいな。
「テストはただの記憶力クイズになっていて、本当の勉学とは違う」みたいな。
「それは頭がいいとは言わない。記憶力がいいだけ」みたいな。

でも、私は自分の学生時代の授業風景がそんなに悪かったとは思えないのだ。
考える力が養われなかった、とも思えない。
考える力は記憶することによって培われた一面もあるんじゃないかと思ってる。

夫やキョウだけじゃない。元彼や碁の先生もこぞって驚くほどの記憶力を持っている。
私は彼らを「頭がいいんじゃない、記憶力がいいだけ」とは思えない。
思い出すためのフックを瞬時にたくさんつけることができる彼らは、とても頭のいい人たちだと思う。

そして、それって実はものすごい思考力じゃないかとも思う。