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ココロのフェイク・ニュースの罰

簡単に自分の声を発信できるようになっている今はなおさら、「フェイク・ニュース」の取り扱いには、それぞれ細心の気配りをしなければなりません。

発信しようとしていることが正しいことをできる限り確かめて!!

特に、「心」にかかわることは、重大!使徒パウロが語る心のフェイク・ニュースの罰は「のろい」でした!

ガラテヤ人への手紙 1章 8-9節

しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。
私たちが以前にも言ったように、今もう一度、私は言います。もしだれかが、あなたがたが受けた福音に反する福音をあなたがたに宣べ伝えているなら、そのような者はのろわれるべきです。

2度も、「のろわれるべきです」と

厳罰で、絶対確実。2度も言っているのは、そういうこと。ココロのフェイク・ニュースには、厳罰しかないらしい。「のろいよ、在れ!」命令形っていうのが、すごい。

それにしても、のろい、というのもすごい。パウロがのろう、のではありません。「のろわれる」のだから、神がのろうのです。これは、永遠の地獄。

ニュースをまわす人は、そんなに深刻に考えずにしてしまっているかもしれません。むしろ、善意で、これは知らせなきゃ大変、と思って知らせに走っている様子。ところが、実は、フェイクだった。

知らずに、フェイクを広めてしまっている。それに対しても、「地獄の呪い」!? 永遠の福音を変えてしまった罪は重いのでした。

惑わされてしまった人に対してパウロは言っていません。惑わした張本人(単数)に向けての言葉です。

これにはドキッとさせられるものです。あれ、自分は大丈夫だろうか、って。

これが聖書の教えだ、というフェイク・ニュース

なんだかよさそう、と思える内容に、惹かれてしまうこと、あるものです。あと、語ってくる熱心さについ、とか。

ガラテヤの人たちのところにやってきた違った福音を伝えた人々は、そういう感じだったようです。しかも、彼らは、エルサレムからやってきた! 本部があるところだ、って。

ほんとうは本部も何もない。たとえ、天使が現れて語ったとしても、もし、すでに聞いている福音と違っているんだったら、それは、福音じゃない!

パウロが力を込めて言っているのは、たとえ偉そうな人が言っているとしても、偉そうな、ということで惑わされるな、ということでした。

これが神の教えだ、これが聖書の教えだ、と、善意の塊のような人であれ、とっても賢い博士であれ、あるいは、パウロ自身であったとしても、そこで伝えられている内容が最初に伝えられた福音と違っていたら、それはフェイクだ!! ということなのです。

本物を知らない? 忘れた?

あとから、ほんとうはなんだっけ、と誰でも確かめられるように、使徒たちの教えは書きとどめられ、コピーが作られ、あちこちに配布されていたのです。それが「新約聖書」として後でまとめられることになりました。

パウロが書いた「ガラテヤ人への手紙」は、その一番初めのころの文書だったと思われます。

パウロが最初にガラテヤ人たちの地域に出かけて行って、イエス・キリストの福音を伝えたのは、紀元48年頃。手紙を書いたのはまだその年のうちだったと考えられます。

ガラテヤ地方の町々を歩いて福音を伝えて、同じコースを戻りながら教会として自立できるように「長老」が立てられていました。

パウロが往復した、少なくても2度の期間、人々はパウロから直接、福音を聞いていたはずです。

そのあと、同じ年に手紙が送られなければならないくらいに、ガラテヤの人たちは早くも「福音」を忘れてしまったような。。。

違った福音を伝えた者たちは、「エルサレムの本部から来ている権威ある立場の者」と自分たちを言っていた様子。伝統の中心とか、本部の権威とか言われると、私たちも、ころりとなびいてしまうかもしれません。

そんな人たちに向けて、パウロが繰り返し語った言葉を、よく覚えておく必要があるでしょう。「そのような者はのろわれるべきです」。


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