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コンテンツの内輪ノリ(エッセイ)

先日、ある野球漫画を読んでいた。

その野球漫画は、ファンタジーの世界に野球少年がやって来るという内容で、兎やら犬っぽい生き物(獣人と呼ばれている)と野球で戦っている。中々設定が面白いので、ついつい読んでしまう。

で、ワニの紳士みたいな奴が敵で出て来るのだが、こいつがファンから「中日」と呼ばれている。中日はもちろん、日本の野球チームである中日ドラゴンズから来ている。このキャラがちょっと敵キャラっぽい事を言うと、中日のくせして偉そうにと言われる。(現実の中日は、今調子が悪い)

こういうのを、内輪ノリという。内輪でイジって楽しむのだが、外から見ると何のことだかさっぱり分からない。一応自分は、野球が好きなので中日→竜→ワニという構図が思い浮かんだが、知らない人から見るとさっぱりだろう。

しかし、今やそのワニ紳士が出ると、中日が連呼されるようになる。もはや、中日が言いたくて仕方がないという様子だ。

そこで思った。人々を楽しませるのは、結局のところ内輪ノリなのだと。逆に言えば、良い内輪ノリを作れたものが、生き残るのだ。

現実の野球だってそうだ。ほとんどの人が歌えない応援歌を歌って盛り上がる。あれだって、ファンの中の内輪ノリだ。外から見れば、ただ謎の歌を歌う集団だ。

内輪ノリは、外から見ればどーでも良いものだ。訳の分からない単語や歌で、めちゃくちゃに盛り上がる。何やってんだ、となりがちだ。良くない内輪ノリは、盛り上がりすぎて、周りから気持ち悪がられるものだ。こうなると、新しい人は入ってこない。

しかし、ネットの発達により、内輪ノリは可視化された。中日だって、ネット上に書き込みがあるから、自分は意味が分かった。これがもし、街中で「中日」と聞いただけなら新聞か野球チームを思い浮かべただけだっただろう。

そのせいで、内輪ノリは密度を増している。つまり、マニアとにわかしかいなくなっている。中間層のファンがいないのだ。内輪ノリは回り続けるし、その流れに入った瞬間、濃い知識が求められる。ファンではいられないのだ。

自分も、ワニの紳士を「中日」と呼んで、少し楽しくなっていた。そして、もしあの漫画について聞いてきた人がいるならば「このワニのキャラがね…。」なんて言ってしまうのだろう。こんな御託を並べている時点で、もう中間層ではない。

加速する内輪ノリ。誰も止める人はいない。内輪ノリが1番楽しいからだ。知ってる同士での会話が、1番面白いに決まっている。しかし、それは新しい人の加入を拒んでるようにも見える。

現代のコンテンツは、外部から新しい人が入ってこれるギリギリのラインの、良い内輪ノリを作れるかににかかっているのだ。

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