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5話 過去

 朝日が私たちの古びた工場に入り込む。既にカーテンが開かれた事務所の窓からは、ほんのり暖かい日差しが私のまぶたへと届き、朝を告げる。その半面、暖かい日差しはベッドの冷えたシーツを温めてくれる。そして私をまた深い眠りへと誘おうとする。
「理真ちゃん。よく眠れた?」
 遠くでセナの声がする。しかし私はうめき声のような低い声で答えることしかできない。
「昨日、歯磨きしなかったでしょ?虫歯になっちゃうよ?」
「うるさい。」
 どうして朝から軽い脅しのようなものを掛けるのだ?もっと優しく起こしてほしい。とは言っても、住まわせてもらっているのは私の方。何も文句は言えない。
「何食べたい?」
「何でもいいよ!いちいち聞かないで!」
 そう言って私は布団を頭まで被った。これは私が悪い。本当に謝らなくてはならないと思う。私はどうしても朝が弱いのだ。機嫌が悪くなってしまう。
「ごめんね。朝ご飯できたらまた呼ぶから、それまで寝てな。」
 セナは布団の上から私の頭を軽くなでた。そして私から離れて行った。逆に私はそれで目が覚めた。布団から頭と顔を出す。頭をなでるなんて私を子供扱いしている証拠だ。気に入らない。言ったではないか。私は小学生ではなくて、高校生だって。
 ふと思い出した。昨日、カラオケではしゃいだ後、深夜まで2人でテレビを見て、そのまま私はソファーで眠ってしまったはず。…そうか。セナが運んでくれたのか。よく考えると、私はセナに甘えてばかりになっている。
「後でお礼言わなくちゃ。」
 起きたくない。というより起きられない。今起きたら何だか吐きそうな気がするのだ。もう少しだけ横になっていよう。そう思って私はまた目を閉じた。

「セナ。オーイ。セナ?」
 朝日が入り込む私たちの古びた工場に、来客が来ていた。緑のパーカーを着たその男は、いつか黒い車に乗っていた、あの不潔そうな男だった。今日は茶髪の前髪をピンでとめている。相変わらずチャラチャラとしているところは変わらない。



「オイ、セナ?いるなら返事しろよ。」
「ハチコウ?」
 事務所の隣にあるキッチンで、セナはなぜかフライパンを持っていた。
「来るならメールしてくれる?こんな朝早くからお前の顔なんて見たくないよ。」
「何てこと言うんだよ!オレはお前に招待してもらわないとここに来られねぇのかよ!」
 男がそう叫ぶと、セナは心の底から嫌がるような顔をした。
「叫ばないでくれる?隣で理真ちゃん寝てるから。」
「は…!?リマって、お前が言ってた10年前の!」
「あ。まだハチコウには言ってなかったっけ?オレがついこの間拾った子は、10年前の子と同一人物だったよ。」
「で…でもよ、なんでここにいるんだ?」
「だってここに住んでるんだもん。」
 セナはフライパンに水で溶いた小麦粉を静かに入れながら言った。
「住んでる!?オレ、雇うってしか聞いてないぞ?」
「『住み込みで雇う』って話だよ。あれ?言ってなかったっけ?」
「冗談だろ!?その子雇ったら、オレの仕事がなくなるじゃねぇか…。」
「そうだね。」
「そうだねじゃないだろ!?お前はオレのとこ、捨てるつもりだったのかよ!」
「何?オレの彼女の気、してたの?悪いけど、オレ、アンドロイドにも男にも興味ないから。」
 引きつった笑みを浮かべるセナ。男は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「本当にお前はオレのとこ捨てるつもりで…って、何でのん気にパンケーキなんか焼いてんだよ!」
 フライパンの中できつね色に焼け始めていたパンケーキを、キッチンの前の椅子に座った男は素手で掴み取り、自らの口の中に押し込んだ。
「理真ちゃんのために作ってたのに!」
 既に何も残っていないフライパンを持って、セナは目を見開いた。
「ざまぁみろ。何だよリマちゃんリマちゃんって!お前はロリコンか!?」
「はぁ!?食べながらロリコンとか言わないでくれる!?それにもう理真ちゃんは17歳ですー!」
「とか言って、ロリ好きなんだろ!うぇっ!おぇっ!吐き気が…。」
「やっぱお前なんか助けなければよかった。壊しておくべきだったよ。」
「…やめろよ。それ本気で言ってんのか?」
「本気じゃないよ。安心して。オレはハチコウのとこ、助けてよかったと思ってるから。」
 その優しい言葉とは裏腹に、セナは男の頭の上にまだ高温のフライパンを乗せた。
「なぁ。セナ。」
「何?」
「…髪の毛抜けるからやめてくれよ?」
 男の頭とフライパンが接している面から怪しい蒸気が立ち上っている。しかしセナはフライパンを置いたまま、ニヤニヤと笑っている。
「本当にドSだな。」
「失礼だね。ロリコンの次はドS?」
 フライパンを男の頭からどかしてやると、男は平気な顔をしたまま髪を整え始めた。
「なぁ!そのリマちゃんって奴、見たいんだけど。」
「理真ちゃんは動物園のパンダちゃんではありません。」
 セナは厳しく男に言い放つ。しかし男は嬉しそうに笑みを浮かべたままだ。
「ダメって言われても、見に行っちゃうのがオレのスタイルだから。」
「…行ってくれば?」
「わーい。」
 男は楽しそうにスキップしながら、キッチンから出て行った。

 吐き気も治まり、私はベッドから静かに起き上がった。その時事務所のドアが勢いよく開いた。
「あぁ、セナおはよ。ごめん、さっきはあんなこと言って。」
 俯き、目をこすりながら私は言った。しかしセナからの返答はない。
「セナ?」
 私が顔を上げると既にドアは閉まろうとしていた。そして金属音とともにドアが静かに閉まった。私は首を傾げながらドアを見つめていた。

 先ほどとは打って変わって、慌てたような足取りで男がセナに近寄ってきた。
「オイ!セナ!」
「今度は何?」
 また新たにパンケーキを焼き、皿に移しながら、セナは男を睨みつけるように目をやった。
「お…起きてたぞ!」
「起きてたくらいで、普通そんなに驚く?」
「やっぱロリだった!あれは17じゃねぇよ!」
 そう男が叫んだ瞬間、キッチンのドアがゆっくりと開いた。
「セナ?…あれ。」
 そこにはピンクのTシャツに灰色のスウェットのズボンを履いた理真が立っていた。
「理真ちゃんそこに座って、朝ごはん食べながら説明するから。」
 セナはパンケーキの乗った皿をテーブルの上に置き、理真に椅子へ座るよう促した。不潔そうな男はたちが悪そうな顔をしている。
「お前も座るんだよ。」
 男の華奢な体を、セナは勢いよく肩で小突いた。

 私はセナが作ったパンケーキを目の前に、素朴なことを尋ねた。
「セナって料理できたんだね。」
「うん。意外?」
「アンドロイドだし、食べないのかと思ってた。」
「食べないよ。オレたちの胃はブラックホールだし、食べたらきりがないんだよ。それに食べなくていい体だから。」
 私の向かい側に座っているセナは笑いながら優しく言った。「オレたち」ということは、テーブルの左側に座っているこの男もアンドロイドだということだろうか。
「ねぇ、この人…どなた?」
「何?オレのこと?」
 テーブルに肘をつき、目を見開きながら言う、茶髪で不潔そうな男。私は少し戸惑いながら頷いた。
「あぁ。これはオレの手下。」
「“これ”かよ。」
「一応アンドロイドだけど、馬鹿だよ。」
 セナは男の反応を気にもせず、私に説明した。目の前のパンケーキを食べて良いのやら、悪いのやら…。
「…食べていいよ。食べながら聞いてくれればいいから。」
 私が迷っていることにセナは気がついてくれたらしい。私は軽く頭を下げて銀色に光るナイフとフォークを握った。
「なぁ。理真ちゃんさん。それ生クリームとか付けたら美味しそうじゃないっすか?」
「そ、そうですね。」
 突然不潔そうな男が私に話しかけてきた。この人もアンドロイド。どう見ても私には高校を中退して彼女と遊びほうけている不良にしか見えない。
「ちょっと待って。冷蔵庫にあった気がする。」
 そう呟いてセナは冷蔵庫へと向かった。
「チョコシロップもあったらよろしく。」
 食べるのは私なのに、容赦なく不潔そうな男はセナに注文をつける。そして私の目を見つめ、セナに似た笑みを浮かべた。
「アイスとか、乗っけちゃいますか?理真ちゃんさん。」
「おぉ!太っ腹ですね!」
「セナ!アイスも!」
 まるでセナを執事のようにして使い、自分の家のようにくつろいでいる男。しかしセナは文句を言うどころか、冷蔵庫の前で「アイスいいね!」と喜んでいる。このアンドロイドには苛立ちという感情はないのだろうか。
「あの、1ついい?」
 私は不潔そうな男に声をかけた。すると大きな目が私にくるりと向いた。
「セナと同じアンドロイドなんですか?」
「同じではねぇな。オレとセナは全く別の種類だよ。」
「別の種類?」
「ハチコウ、説明しなくていいから。オレが説明する。」
 アイスとチョコシロップ、生クリームを抱えたセナが顔を顰めながら戻って来た。男は気まずそうな顔をして身を少しだけ引いた。
「ハチコウって、それが名前!?」
 セナを見上げて私が聞くと、セナは優しく笑った。
「違う違う。あだ名だよ。本当はコウって言うあだ名なんだけど、オレの言うことは全部聞くし、オレが待ってろって言わなくてもずっとオレのこと待ってるから、ハチコウって呼んでるの。」
「ハチコウでいいよ。オレ結構気に入ってるから。」
 半分馬鹿にされているようなあだ名で、かわいそうだと思ったのは私だけ。彼本人は気に入っているようだ。それにしても、セナも上手いことあだ名をつけたものだ。
「セナ。そう言えば全く別の種類って、ハチコウが。」
「そうだよ。オレとハチコウは全く別の種類。」
 パンケーキに生クリームを飾り付けながら、セナは言った。その脇でハチコウはアイスをスプーンに取り、パンケーキのど真ん中に乗せようとしている。
「同じアンドロイドなのに?」
「日本のアンドロイドは大きく分けて2種類あるの。1つは戦うことを目的として作られた戦闘型アンドロイド。もう1つは計算を得意とする頭脳型アンドロイド。ハチコウは戦闘型。オレは頭脳型。全く違うの。」
「セナ、頭脳型なの!?」
「うん。オレ、戦うのは苦手なの。どちらかというと運動音痴。」
 驚いた。私の勝手なイメージで、セナは戦闘型だと決めつけていた。まさか頭を使う部類に分けられるアンドロイドだったとは。
「みんな驚くんだよね。オレが頭脳型だって知ると。」
「…運動音痴なんだね。」
「うん。走るのとか勘弁してほしいね。」
 ついでに生クリームを指に取り、舐めながらセナは半開きの目で答えた。
「あとは型版だね。違うのは。」
「型版って?」
「見た目だよ。オレとハチコウ、全く違う人間に見えるでしょ?」
「う、うん。」
「そういうこと。オレは“Duty”って型版、ハチコウは…何だっけ?」
 除け者にされていたハチコウは話を振られて一瞬満面の笑みを浮かべた。しかしその表情は1秒も経たず、険しい表情へと変化していった。
「な…なんだっけ。」
「ハチコウ。忘れちゃった?まぁ、仕方ないか。頭は戦闘型だもんね。」
 セナは馬鹿にするような目をハチコウに向け、そして鼻で笑った。
「戦闘型の頭だから仕方がないって、どういうこと?」
 あまりにも気になって、ついセナに尋ねてしまった。単に馬鹿にするための言葉なのだろうか。それとも何か深い意味が隠されているのだろうか。
「頭脳型ってのは言葉通り、頭脳中心なわけ。だから記憶力とかも長けてるんだよ。だけどその分身体能力が落ちてる。戦闘型は戦うことが中心だから、頭脳型ほど記憶力とか計算ができないんだよね。」
「なんでそんな極端なの?どっちもできるやつを造ればいいのに。」
「容量が決まってるんだよ。それにまだ日本はそこまで技術が発達してない。」
「そうなんだ。でもセナ、銃を持ってたよね。」
 初めてセナと出会った時のことを思い出しながら私は呟いた。
「今の世の中、物騒だからね。自分の身は自分で守らないと。」
「…そっか。」
「壊し壊される中で、オレもハチコウも生きてるから。」
「セナも…」
 チョコシロップをパンケーキに掛け終わった時点で、私は一番セナに聞いてはいけないことを尋ねてしまった。
「セナも他のアンドロイド、壊したことあるの?」
 セナの目が泳いだ。それを見ていたハチコウはつかさずフォローに入る。
「仕方ねぇんだよ。壊さねぇと、壊されっちまうことだってあるんだ。セナにもいろいろ事情があるんだよ。な?分かるだろ?理真ちゃんさん。」
 これほどまでに彼らが慌てる理由、それはアンドロイドがアンドロイドを壊すという行為は、人間が人間を壊すという殺人に匹敵するからだ。だからセナの目は泳いでいた。
「いいよ、ハチコウ。オレは壊し屋だって、言ったじゃない。理真ちゃん。オレが言ってた“戦争地獄”っていうのはこういうことだよ。壊されないために壊す。でもそれは結局、金に繋がってるんだ。時には壊すだけで金が貰えることだってある。この前の仕事だって、そうだったよね。ハチコウ。」
「お…おいセナ。そんな汚い言い方は。」
 ハチコウはセナを見上げて顔を顰めた。しかしセナは目の色1つ変えない。
「ま。そういう最低な奴に雇われるってこと、覚えておいて。」
 完成したパンケーキを皿ごと私の前へ乱暴に滑らせると、セナはキッチンから出て行こうとした。
「ごめんね。朝からこんなヘンな話しして。」
「オイ!セナ!どこに行くんだよ!」
「今日生ごみの日だから、ゴミステーションにお出掛けしてきますー。」
 いつもと変わらない調子でセナは答え、そして出て行った。
「ど…どうしよう。セナのところ怒らせちゃった…。」
 取り返しのつかない状況に、私は腰が抜けるほど動揺していた。
「大丈夫だってぇ。そう心配すんなよ。」
「でも。」
「アイツもアイツでいろいろあるんだよ。…でも、オレも悪いんだ。」
「え?」
「取り合えず食べろよ。アイス溶けるぞ。」
 ハチコウはスプーンでアイスをつつきながら言う。仕方なく私はパンケーキを頬張った。これが案外美味しかったのだ。
「セナなら心配するなよ。理真のことは全く怒らねぇから。」
「は?」
「だって見ろよ。このオレとの扱いの違い。明確だろ。」
「はぁ…。」
「相当理真のところ、可愛がってるよな。アイツ。」
 可愛がっているという部類に入るのか、私にはよく分からない。
「ハチコウはどうしてセナに対して忠犬になったの?」
「どうしてオレが忠犬ハチコウになったかって?知りたいか?」
「あ…いや。やっぱりいいや。」
「おい。…オレはさ、セナが言ってた通り、戦闘型アンドロイドとして世の中に放り出されたんだ。…オレ運が悪くてさ。巻き込まれたんだ。」
「何に?」
 パンケーキを口に運びながら軽く尋ねた。
「セナの言う“戦争地獄”に。」
「え。」
「突発的に起きるんだよ。何人かのアンドロイドが出くわした時とかに。オレはそれにちょうど巻き込まれたんだ。で、オレは“Duty”って型版の戦闘型アンドロイドに殺されかけたんだよ。」
 私は、はっとした。
「それってセナ?」
「いや違う。セナと全く同じ外見の戦闘型アンドロイドだ。オレは右腕斬られてさ。もうブランブランだったわけ。もう死ぬんだなって思ってたら、オレを壊そうとしてる奴と全く同じ奴が、銃を持ってオレのところを助けてくれたんだよ。」
「…それがセナ?」
「そういうこと。アンドロイドってのは協調性に欠けた産物だから、助けるとかそういうのはないはずなのに、セナはオレのところ担いでその場から逃げてくれたんだ。命の恩人だよ。でもオレはもう戦うことができない体になっていた。助かったのはいいものの、アンドロイドとしてはもう生きて行けなかった。そうやって落ち込んでいたら、本部からリコールがあったんだ。」
 もはや私は食べることを忘れていた。アイスは溶けて、パンケーキの生地へと染み込んでいく。
「オレは欠陥品だったんだ。オレが弱かったのは、体の構造が原因だった。本部からリコールされて、オレは直してもらうために1度、本部に帰ろうと思った。だけどセナが止めたんだよ。本部にリコールされて、戻って来れた奴は誰1人いないって。…直すからリコールだろ?本当は違うんだよ。焼却して捨ててるんだよ。直すより新しいアンドロイドを造った方がいい。そういう理念で本部は動いてるんだよ。」
「じゃ、結局どうしたの?」
「オレはセナに殺されたってことになってる。だけどオレも目立ったことはできないから、人間としてひっそり隠れて生活してる。それでもオレはセナに助けられた身だ。少しでも協力したかった。だから金が貰える仕事を探して、セナに提供してるんだ。だけどオレみたいな馬鹿が掠めることができる仕事は、どれも汚ねぇやつばかりなんだよ。でもセナはいつもニッコリ笑って『ありがとう』って言って、文句言わずに引き受けてくれるんだ。…おっと悪い悪い。アイスが消えっちまったよ。」
「セナっていろんな人、助けてるんだね。」
 セナが助けていたのは、私だけではなかった。ハチコウもきっと、もっと、たくさん…。
「オレの中じゃ、セナはヒーローだよ。」
 嬉しそうに笑いながらハチコウは呟いた。

「理真ちゃん。」
 なかなか戻って来ないセナを探しに、工場の外へ出てみると、すぐに古ぼけた深緑色のドラム缶の上に座っているセナを見つけることができた。相変わらず目は半開きだ。
「あの!ごちそうさま。案外おいしかった。」
「案外は余計だね。」
「それとごめん。嫌なこと聞いちゃって。」
 セナは何も言わず、ドラム間の上から私を見下ろしている。しばらく経つと優しい声が頭の上から降り注いできた。
「怒ってないよ。こっちおいで。」
 そう言って隣の深緑色のドラム缶を足で叩いた。私が上れる高さではなさそうな気がするが、手をかけて勢いよくジャンプしてみた。「あぁ。上れなかった」と思った瞬間、セナに右手を掴まれ強引にドラム缶の上へと座らせられた。
「今の見て分かっちゃったんだけどさ。」
「え?」
 セナがニヤニヤ笑いながら隣のドラム缶に座る私を見つめてきた。
「理真ちゃん運動音痴なんだね。薄々気がついてはいたけど。」
「悪かったね。セナもなんでしょ?人のこと言えないじゃん!」
「オレは“アンドロイドとしては”だもん。人間と比べたら超人級だもんね。」
 結局は私と同じ運動音痴なのに、なぜか人間と比べて誇らしげに話すセナ。本当に掴みどころがない奴だ。
「ねぇ、セナ。」
「ん?何?」
「セナが言ってた戦争地獄っていう意味がよく分かったよ。セナはそういう中で生きてきたんだね。」
「もしかして、ハチコウから詳しく聞いた?…一発殴らなきゃね。」
 さすがセナだ。完璧に私の表情を読んでいる。しかし殴るというのはきっと冗談だろう。…きっと冗談だ。
「…仕方ないよね。戦争と同じなんだもん。生きるためには壊さなきゃいけないときもある…でしょ?あたし、自分がどれだけ幸せなのか分かったよ。セナから見たらあたしは甘ったれの塊だよね。正直、腹立ってたでしょ?ごめんね。」
「理真ちゃんって、オレにごめんねばっかり言ってるよね。」
「え?」
「ありがとうって言えばいいものを、ごめんねって言ったり。見るからにネガティブ人間。」
「…ごめん。」
 セナは遠くに目を向けたまま、重い口調で話し始めた。その遠くに向けた目は、なぜか悲しそうだった。
「オレって理真ちゃんに偉そうなこと言ってるけど、自分は全くダメな奴なんだよねぇ。命を大切にしろって教えてるけど、オレがやってることは殺すことと同じだし。まさに反面教師だよねぇ。」
「でもアンドロイドって、心が優しい人ばかりだね。ハチコウもだけど、みんなこうなの?」
「ハチコウだって、最初はオレに襲いかかってきて大変だったんだから。どのアンドロイドも最初は狂暴だよ。」
「ってことハチコウはセナと出会って、忠犬になったんだ。じゃ、セナは?」
「オレは…。」
 珍しくセナが黙り込んだ。私はまた先程の地雷を踏んだようになることは避けたかったため、即行に話題を変えた。
「そう言えばさ、さっき聞きそびれたけど、何でセナはパンケーキ作れるの?アンドロイドは食べないんでしょ?食べ物。」
「えっ。」
「もしかして料理が趣味?」
「…カノジョから教わった。」
 それを聞いて私は目を丸くした。それを通り越して目が飛び出そうになった。
「彼女いるの!?人間の!?」
「大きい声で言わないでよ。」
「分かった!セナが心優しいアンドロイドになったのって、彼女のおかげでしょ!?ねぇ、どういう人?写真とかある?…あれ。ちょっと待って…。」
 セナに彼女がいるということは、彼女はセナがアンドロイドだということを知っているのか?
「ねぇセナ。彼女さん、セナがアンドロイドだって知ってるの?」
「知らないよ。」
「…それってまずいんじゃないの?しかも、あたしここにいたらヤバくない?」
「どうして?」
「だって、あたし一応女だよ?」
 ヘンな誤解はされたくはない。ましてや女の強烈な怒りをぶつけられるのはごめんだ。
「大丈夫だよ。オレの彼女、もの分かりがいい子だから。フフフ。」
 のろけだ。私はセナが辛い毎日を送り、苦しんでいると思っていたが、彼がこうして平然とのん気に暮らしていられるのは心のオアシスがあったからだ。なんだ。心配して損をしたではないか。彼なりに毎日幸せに暮らしているではないか。結局プラマイ0ということか。
「ハッハッハ。」
 のん気に嬉しそうに笑うセナが、憎くて憎くて堪らなかった。

「なぁ。なんで言わなかったんだよ?」
 キッチンに戻り、皿洗いをするセナに、ハチコウは大きな目をクリクリさせながら尋ねた。手を泡だらけにしているセナはそんなハチコウを見下ろす。
「何を?」
 身長が180㎝以上あるセナに比べて、170㎝もないハチコウ。アンドロイドでも型版によって大小さまざまなのだ。
「理真にだよ。お前のその穏やかな性格を作り上げたのは理真なのに、何でそれを教えてやらなかったんだよ。」
「聞いてたの?ハチコウ。」
「いや、耳に入ってきただけだ。」
「…ハチコウ、よく考えてよ。突然だよ。『オレは君のおかげでここにいるんだ。君に恩返しがしたいんだ。』って言われたらどう思う?」
ハチコウの大きな瞳が少し上を向き、そしてすぐセナへと向いた。
「なんか気持ち悪いな。」
「でしょ?だから言えないよ。オレがものすごく変人みたいじゃない。」
「でもさ、ちゃんと話せば理真も理解してくれるんじゃないか?」
「いいんだよ。…オレだけの思い出で。理真ちゃんは…何も知らなくていいんだ。」

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