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アスタラビスタ 3話 part5

 手に持っていた書類を机に置き、立ち上がった雅臣は清水を見下ろして言った。

「清水。疲れてるところ悪いが、圭と一緒に組織まで行って、薙刀と防具を持って来てくれないか?」

 頼まれた清水は口を開けたまま「う、うん」と頷いた。しかし、返事はしたものの首を傾げ、雅臣が何を考えているのか理解しきれていないようだった。

 私も何が起きているのか分からなかった。突然で脈絡もなく、察することもできない。すべてが雅臣の頭の中だけで完結していた。眉間に皺を寄せ、この状況に困惑していることを表情で示す。説明が欲しかった。何か良からぬ方向へ話が進んでいるような気がした。

 私の様子に気が付いたのか、それとも清水の歯切れの悪い返事で気が付いたのか、雅臣が私へと目を移し、付け加えた。

「過去の自分を越えられないんだろ? だったら簡単だ。過去の状態に戻ってみればいい。お前は薙刀をやっていた時が一番輝いてたって、自分で思ってるんだろ? 手伝ってやる」

 私は何の反応もできず、雅臣を見つめていることしかできなかった。過去の状態に戻る。ということは、薙刀をやるということなのだろうか。

 全身から冷や汗が噴き出した。

「やめてください! 困ります!」

 自分でも驚くほどの、悲鳴が飛び出した。絶対に無理だ。私は痩せ細ってしまったし、薬も飲んでいる。とても薙刀ができる状態じゃない。雅臣は何を考えているのだ?

 私の叫びなど無視して、清水が「ほう! 面白い!」と声を上げた。事をやっと理解した圭は、勢いよく飛び跳ね、まるで小学生のように喜んだ。

「薙刀か! 俺初めて見るんだ! 戦うのか? 戦うんだろ?」

 清水は圭の言葉に何か気づいたようで、寝そべっていた状態から身体を起こして立ち上がった。一連の動作は、今までだらしなく寝そべっていた清水とは思えないほど俊敏だった。

「もし戦うのなら、俺が相手するよ? 防具も持ってるし」

 私はというと、混乱と不安で暴れ出した自分の心臓を、必死で押さえつけていた。頭の中では、「ここに来なければよかった。来なきゃよかった」と呪文のように繰り返していた。

 雅臣は清水の申し出に、首を横に振った。

「清水が相手したら、紅羽が死んじまうだろ。それにお前は今日、仕事で相当動いただろ。しっかり休んでおけ」

 唸り声をあげながら頭を掻く清水は、どうやら納得していない。

「俺、元気なんだけどなぁ。俺じゃダメかなぁ」

 清水もやはり武人だった。目の前に現れた手合せという戦いに、心をくすぐられていた。

「悪いが、紅羽にいきなり異種武道の手合せをさせるつもりはない。危険だからな」

 相変わらずの無表情で、雅臣は清水を諭すように答えた。渋々納得したのか、清水は「うん、分かった」と頷いた。

 雅臣と清水の間での問題は解決したようだったが、私が窮地に立たされていることに変わりはなかった。

「で、紅羽は自分の防具と道着、持ってるか?」

 私は答えたくなかった。なぜなら、防具と薙刀、道着を自分のアパートに置いていたからだ。どうして大学進学と同時に薙刀の道具一式を持ってきてしまったのか。理由は一つしかない。地元から離れた別の環境でなら、もう一度薙刀ができるかもしれないと、小さな期待があったからだ。

 しかし、私はこんな薬に頼るしかない身体になってしまった。具合が悪くなった頃、いや、昨日でもよかった。実家に薙刀の道具を送り返しておくべきだった。

 もうダメだった。私には耐えられなかった。嘘をついたとしても、絶対にばれる。なぜなら私は嘘が驚くほど下手だからだ。

「持ってます……」

「じゃ、俺と取りに行くぞ」

 雅臣がジーンズのポケットに財布を入れ、出かける支度をしはじめた。すると、圭が学校の授業で質問をするみたいに手を挙げ、慌てて疑問を投げかけた。

「なぁ、ここに剣道の防具あるんだからさ、それ使えばいいんじゃねぇの?」

 私はとっさに雅臣と清水の顔色を窺った。やはり二人とも知っているようで、余裕のある笑みを浮かべていた。圭は自分の発言におかしなところがあったのかと、キョロキョロ目を動かしていた。

 雅臣は笑いながら、静かに圭に教えた。

「薙刀は剣道の防具じゃ足りないんだよ」

 それを聞いた圭はきょとんとした表情で「は? 足りない? 何が?」と首を傾げた。



 雅臣たちのマンションから私のアパートまで、徒歩およそ二十分。私は終始視界に靄がかかったような状態だった。魂は身体の外へ飛び出し、ぶら下がっているような感覚で、自分が何を考えているのか、まったく把握しきれなかった。

 どうして、私はまた、自分のアパートに彼を連れて来てしまったのだろう。他人を、それも異性を連れてくるなんて、自分がひどく汚く感じた。

「防具、どこにあるんだ?」

 アパートのドアを開けて玄関へと入り、雅臣が呟いた。

 言うまでもなかった。二メートルを超える薙刀と、大きい防具を置ける場所など限られている。

「お、あるじゃねぇか」

 玄関の隅。そこに私は防具を置いていた。赤い薙刀袋に入れた薙刀は、傘立ての裏に立てかけている。黒い防具袋は白い埃を被り、薙刀袋は砂にまみれてざらついていた。

 私はこれらを見たくなかったのだ。見れば過去のことを思い出し、自分に失望してしまう。それが分かっていたから、私は部屋に薙刀の道具を入れなかった。

「道着はあるのか?」

 雅臣が静かに尋ねる。彼は薙刀を傘立ての裏から取り出すと、埃が積もっている防具袋を躊躇なく背負った。

「……あります」

 そう答え、私は玄関で靴を脱ぎ、自分の部屋へと道着を取りに行った。タンスの一番下の段の、一番奥。そこに私は白い道着と紺色の袴をしまっていた。

 どうして、こんなことになったのだろう。目が熱くなり、涙が溢れてきた。

 私は薙刀が嫌いだ。今の私に薙刀は相応しくないから。でも、相応しくない今の私が薙刀をやって、自分の過去を汚すことの方がもっと嫌だ。

 道着を胸に抱え、玄関へと戻る。部屋の薄桃色のカーテンから、赤味のある太陽の光が玄関へと届いていた。そのせいか、雅臣の髪はきらきらと光って見えた。

「あったみたいだな」

 戻って来た私の腕の中に、道着と袴があることを確認した雅臣は、玄関のドアを開けようとした。

「無理だと思います」

 私は足を止め、俯いて雅臣に否定の言葉を口にした。彼は僅かにだが、眉間に皺を寄せて、ドアを開けようとした手を止めた。

「だって、見ましたよね……? 私の具合が悪いこと、知っていますよね? 私は日常生活もままならないほどなんです。薙刀なんて、絶対にできません」

今更遅いかもしれないが、これが私の最後で本気の拒否だった。

「あぁ、知ってる。お前が飲んでる薬が抗不安薬ってこともな」

 やはり彼は知っていた。私の飲んでいる薬が身体の薬ではなく、精神の薬だということを。

「何があったのかは知らないが、お前が変わらない限り、身体の不調はそのままだぞ」

 そんなことは知っている。そんなことは分かっている。でも私は変われない。この身体である限り、私の精神は変われない。この精神である限り、この身体は変われない。

「でもな、紅羽」

 私は静かに顔を上げた。彼の目は、驚くほど綺麗だった。それが玄関へと届く弱い太陽の光のせいなのか。元々彼の瞳が澄んでいるからなのか。思わず息を飲むほどだった。

「お前の身体も心も、誰でもないお前のものなんだよ。お前から切り離すことはできない」

 私はどこかで、この身体と精神から解放させる日が来るのではないかと、漠然と考えていた。だが、雅臣の言う通りだ。私がこの身体と精神から解放されるのは、死ぬときだけなのだ。私は一生、この身体と精神と共に生きていかなければならない。

「俺が言いたいのは、お前の身体も心も、コントロールできるのはお前しかいないってことだよ」

 雅臣はそういって、笑みを浮かべた。ドアに手を掛け、「さぁ、行くぞ」と私に声をかけた。



 この身体を、この精神を、変えられるのは私しかいない。私は今でなくても、どこかで自分を変える努力をしなければならないのか。

道着を抱えた私は、静かに自分の靴につま先を入れた。



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