変化の年

会社も辞めたことだし、今年は変化せざるを得ない一年になるだろう。

入社したその日から、長くは続かないだろうと思っていた会社員としての生活を、2年近くも続けられた自分を褒めたいと思う。そして辞めるタイミングもなかなか良かったのではないかと、振り返ってみてそう感じる。

最後の出社日はPCや社員証の返却のみだったから昼前に帰宅することになったのだけれど、その帰りの電車から流れる景色が、太陽の豊かな光が見慣れた街並みを燦々と照らしていてとても美しく、心に残っている。それに呼応して気持ちもすっきりと晴れやかになるようだった。

会社を辞めるに伴って「仕事とは何か」みたいなことを最近よく考えるようになった。金を稼ぐ手段ならば世の中にいくらでもあり、少しばかりの知恵と技術さえあればほとんど労力もかけずに、それなりの水準で生活できるくらいの資金を調達することもできる時代だが、そんな時代に敢えて「仕事」と呼ばれる活動をする意味がどこにあるのか。

かく言う自分もその意味は見つけられていないけれど、結局のところ「安心したいだけ」なのかもしれないとは思う。

社会と関わりながら世間体を保ち、それなりのお金も手に入る。その安心感はなかなか強力なのではないか、と。

だからこそ、ようやく会社を辞めて自由になったにも関わらず、気がついたら求人を眺めながら気になる仕事に応募して面接の予定すら入れてしまうのである。

束の間の自由と安らぎ。それを謳歌しながらも、同時に恐れている。先の見えない未来に不安になる自分がいて、どうしょうもない弱さを感じる。

社会に貢献せず、誰の役にも立たずに、ただ生きている状態の自分を認められたら良い。誰とも関わらず、誰にも認められず、誰からも愛されなくても構わずに生きていける鋼鉄のような人間になりたい。いつからかそんな気持ちを抱いて生きてきた気がする。

だけど、それはなかなか難しいことだ。結局のところ何者でもない自分を受け入れられずに、どこかで何らかの役割を全うしたいというような、つまらない自己意識を抱えながら揺れ動いている。

しかしながら例えばその自己意識が満たされたとしても、また新たな不満や不安は湧いて出てくるに違いない。おそらく自分はどんなに恵まれた状況に置かれたとしても幸せにはなれないし、満足する事など決して無いのだろう。ピカピカに磨かれた床の隅に、僅かな埃を見つけ出して不満を漏らしてしまうのだろう。

こんな人間は存在しなくいい、というか存在してはいけないのではないか、社会にとって有害そのものなのではないかという感覚が常にあって、出来るだけ早くこの世界から消え去りたいのだけれど、その踏ん切りさえつかないのだから余計にタチが悪い。

そんな自分がここからどこへ向かい、2024年はどんな着地点を迎えるのだろうか。今はまだ想像もつかないからこそ楽しみではある。そんな今日この頃。

読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。