幸せになれる訳ない

おそらく周りは気にしていないようなことをめちゃめちゃ気にして、どうにもならない答えの無いことを考え過ぎて落ち込み、落ち込んでクヨクヨしてる自分を何となく俯瞰してみて情けなくてまた落ち込み、そういう自分にまた落ち込む、というそんなループを繰り返したのが4月だった。

自分の弱さについて、他人の強さについて考えた。考え抜いた結果として、弱さは強さであり強さは弱さでもあるというのが自分なりの答えだ。あまり伝わらないかもしれないけど、例えば天秤の片方が下がればもう片方は上がるわけで両方が上がることなど決してない。それが絶対的な世の中の法則であって、僕が考えてるのはそういうようなことだ。

社会とか会社について違和感や不満はいくつもある。でもこれは自分だけが抱えているものではなくて、実はみんな同じようなことを考えているのではないかと最近思う。表には出さないけれど自分より気に病んでる人も多いのかもしれない。同期と接していてふとした時に垣間見える表情から、仕草から、そんなことを考える。

同期には穏やかな人が多くて救われてる。そういえば研修グループで映画の話をしていて僕が今泉力哉監督が好きだと言ったら、映画好きな同期の女性がジム・ジャームッシュの『パターソン』を勧めてくれた。ジャームッシュ監督作品は、いつか観ようと思いつつ全然観れていなくて『コーヒー&シガレッツ』もまだ観ていなかったからGW中に観なければと思う。

近しい同期には趣味が合う人が結構いて嬉しい。andymoriやアジカン、踊ってばかりの国が好きな人がいたり、霜降りのラジオを毎週聞いてる人がいて、音楽とか映画、ラジオの話題で話せるのはすごく楽しい。

だが会社の人との距離感は難しい、ということも思う。たぶん友達みたいにはなれなくて、同期であっても「会社の人」としてある程度の距離感を保って接していく気がする。自分としてはそういう壁など無くして、一人の人として純粋に仲良くなりたいと思っているのだけど。

就職して1ヶ月。「働く」というのは少なからず日の当たる場所に出なければいけないのだと感じる。それがこれからずっと続くと思うと苦しい、僕はできるだけ息を潜めて誰にも見つからず生きていきたい人間だから。

「誰にも見つけられない星になれたら」と歌った彼の気持ちが分かる気がする。誰にも見つからず、ひっそりと暮らし、静かに死んでいけたらどんなに幸せだろうかと思う。それくらい疲れ切っているし、自分という存在が消費され毎日すり減っていくのが分かる。

幸せになれる訳ない、という前提で生きられたらいいのにな。希望など捨て去って全てを諦めた境地に達することができれば。

でもやっぱり捨てきれない自分がいて、微かな希望に縋って期待してしまう自分がいる。そうして何度も過ちを繰り返す。今日だってそう。大小いろんな失敗を繰り返す。

大したことじゃない、大したことじゃないと言い聞かせる。それでも不安は絶えず押し寄せてくる。酒を飲み、本当の気持ちを誤魔化し、何をするわけでもない意味のない休日を終える。


読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。