ここは退屈迎えに来て 山内マリコ

読了

 ちょうど今山内マリコ原作「あのこは貴族」が公開されている。観てみたいと興味を持ったのも束の間私の地域ではとっくに上映終了されていた。いつもそうだ。田舎は素敵な芸術作品を目にすることすら許されないような雰囲気だ。映画も展示会も全て素晴らしい芸術は東京にぎちぎちに詰まっている。

 映画は諦めて作者に焦点を当てて急いで図書館で借りてきた。

 田舎の地方都市を舞台にしたこの作品は首がもげるほど頷けるくらい田舎出身の私に刺さった。大体いるんだよ椎名みたいな人。みんなの憧れでこの人がいれば場が明るくなるってみんな分かってて、常に周りに人がいる。でも椎名本人はちっとも自分の存在価値に興味がなくてふらっとどこかに行ってしまって周りを置いてきぼりにする。

 それから田舎は、恋人が友達の友達だったとか、元恋人は同じ職場の先輩の友達とかコミュニティがすごく狭い。大体芋づる式に繋がってる。しかもそれは本人が口にしなくても大体どこかの井戸端会議で広がるんだ。田舎なんてそんなもん。都会っ子には分かんないだろうな。この地味な感覚。

 椎名朝子の話。よくわかる。

自分だけが特別な、少し風変わりなアンテナを張っているつもりだった朝子は、何だかひどくがっかりして列に並んだ。

スペイン映画を見に来たがチケットは売り切れ、人がごった返していたシーン。自分を見ているようだった。自分が特別な存在に感じて周りとは違う自分に優越感を感じるところ。実際はそんなことなくて集団の中の1人でしかないのに。本人はなかなか気づかないでふとした瞬間に自分はただのその辺の人間で脇役にしか過ぎないこと知る。哀れだ。本当に。

「ここは退屈迎えに来て」タイトルの意味がよくわかった。退屈という心地良い波にどっぷり浸かり迎えに来てほしいけれど、理想を現実にする勇気も根性もない。ただそこから椎名のような存在に縋り続ける。何だか自分に毒ついてしまうような小説でした。

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