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健康番組を批判するnote

自分の家のリビングのテレビは、よく健康番組が流れている。
白衣を着た医者、老若男女の芸能人、不安の煽るVTR。
ゴールデンタイムに放映するものですから、夜飯を食べる時、否が応でも耳に入ってくる。
その時思っていることを書いてみた。
(以降、健康番組の批判的な発言があるかもしれないですが、ご了承ください。)

健康ってなに?

保健体育の時間に聞いたことがある「健康の定義」。
確か、明確な定義は無かったはずなので、調べてみた。

WHOの健康の定義はこんな感じだった。
元が英語なので、訳し方によって文面が異なっちゃいましたが、これが正しいと思ってます。

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)
| 健康の定義について | 公益社団法人 日本WHO協会

難しい…。簡単にすると
「病気とかじゃないとか関係ねー、肉体・精神・社会的に満足してれば、健康なんじゃー!」ってこと(たぶん)。

逆に言えば「今病気と診断されていても、肉体・精神・社会的に満足さえしてれば健康」ってことなのかな。

この定義自体、問題点が指摘されてるらしいから、良い定義づけなのかは定かではないですけどね。

健康番組の違和感

そんな感じで、「健康ってなんだよ」というモヤモヤが残ったままです。
健康の定義がされてないまま、健康になろうなんてできないのに。

その上で、健康番組を見ます。

「体に良くない」「この食べ方はよくない」「不健康ですね」
白衣を着た名医と奉られた医者たちが芸能人を診察しながら言います。

健康とは何なのかを言わずに。

不安を煽るVTRでは、発症率数%の病名の例をあげ、
スタジオでは1日3セットの謎の体操が紹介され、
体にいいとされる食材が紹介される。

その後その食材はスーパーから姿を消すが、すぐにもとに戻る。
どうせ謎の体操もやってる人はいないのに。
どれもこれも効果の前提は、”習慣化”なはずなのに。

ご長寿の町では、何を食べられているのかとインタビューするコーナー
芸能人の生活を追って、野蛮性を見て異常性に驚く他の共演者。
それを見たって自分が健康になるはずもないのに。

違和感の原因は、
知識じゃなくて雑学止まりなところ。

ニュース解説番組だったら、懇切丁寧にやるとこを、
健康番組は雑学程度の情報しかない。

ただ、雑学紹介で終わってしまうのも仕方ない。
だって、身体のことは本来難しいから。
医学部の受験がそれを証明できる。何百時間、何千万円とかけて入学し、医者になっていく。医療はそのくらい難しい。
それを、たった1時間の番組内でやることは難しいし、視聴者も求めてない。視聴者なんて、健康雑学をつけて、健康になった気になれれば良いわけだから。健康の定義付けができてないなら、そうなるしかない。

健康という名の宗教

近年、ニセ医学(科学的・医学的根拠に基づかない考え方による医学の様な概念)が問題になっているけど、
本来難しい学問の医学。雑学のつなぎ合わせ程度で理解できるわけない。人の命がかかっているなら尚更。

だから、簡略化したがる。電磁波や添加物のせいとか。
楽して医療知識や健康知識をつけられる。
そうして、デマやニセ医学が蔓延していく。困りますね。

白衣を着た医者が言ったことが健康。
体に良いと言った食材を調理方法を指定されて食べる。
謎の体操を1日3セットやる。

毎日のようにゴールデンタイムで流れる健康番組。
本屋では平積みされる健康書。
それらを大量に広告で流す。

宗教化してきてる気がする。
宗教を悪だと思っていない。でも思考停止してしまうのが問題だと思ってる。

健康とは何?

片岡鶴太郎さんが健康番組に出ていて、生活密着VTRが流れていた。
ヨガの凄い人なので、一般人からすると驚きの行動ばっかだった。
痩せが気になったくらいで元気そうだった。

その後、検査をして色々な数値が明らかになった。
その数値は異常値だらけだった。勿論、名医と謳ってる医者たちは揃って生活習慣を批判していた。
それを見て自分は驚いた。

元気じゃないですか。それを批判して何になるのか。

結局、健康の定義が医者自体できていない

WHOの健康の定義は、
「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態。」なはず。

病気とかじゃないとか関係ない。
健康は自分自身にあるのかもしれない