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【青森旅行記:前編】元気で行こう。

「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません。」
太宰治『津軽』

2022年11月24日、私は函館港でスーツケースを引きずっていた。旅に出ていたのだ。"おきまりの苦しさ"のせいではなく、太宰治の生家を訪れるために。目的地は津軽。
私の恥の多い生涯の傍には常に太宰治の小説があった。いつか太宰の故郷を訪ねようと夢見ながらも、母親譲りの出不精でだらだらと足踏みしていたところ、友人のSに旅行に誘われた。それならば青森に行きたいと伝え、遂に私は津軽に足を踏み入れることになったのだ。私たちは太宰治が第一創作集『晩年』を刊行した時と同じ年齢だった。タイミングとしても良いだろう。

短い旅行だったが、津軽に訪れた時のことを書き記しておこうと思う。

私はこのたびの旅行で見て来た町村の、地勢、地質、天文、財政、沿革、教育、衛生などに就いて、専門家みたいな知ったかぶりの意見は避けたいと思う。私がそれを言ったところで、所詮は、一夜勉強の恥ずかしい軽薄の鍍金である。それらに就いて、詳しく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい。私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追及した。どの部門から追及しても、結局は、津軽の現在生きている姿を、そのまま読者に伝える事が出来たならば、昭和の津軽風土記として、まずまあ、及第ではなかろうかと私は思っているのだが、ああ、それが、うまくゆくといいけれど。
太宰治『津軽』

旅程

私とSは関東に住んでいるので青森まで新幹線で行けばよかったのだが、どうしても津軽海峡を船で渡りたかったので、函館を経由することにした。私の目的は津軽海峡フェリーに乗る、太宰治の生家「斜陽館」を訪れる、の2点のみであり、時間に追われるのも嫌なのでノープランで行こうとしていたのだが、電車を逃したら1時間以上立ち往生することになるから絶対に事前スケジュールを立てるべきというSの忠告により旅の栞を作成した。持つべきものは旅慣れした友である。私が適当すぎるだけかもしれない。

旅の栞は、雑談の中で旅行をすると言った際に、しごでき上司がくれたフォーマットに基づいて作成したものである。仕事が出来る人間というのは私生活においても"こう"なのか…?と一抹の怯えを感じたが、旅行中にとても役立ったので感謝している。持つべきものはしごでき上司もである。

大まかな旅程
旅の栞

函館

函館空港に着くと荷物受け取りのベルトコンベアーに「日本一 戸井のまぐろ」というオブジェが流れてきた。海産物でお出迎えとはいかにも北海道らしい(気がする)。しかし戸井のまぐろは大間(青森)のものと同じ海域で獲られているはずだ。調べてみると漁法と後処理の方法が違うらしいが、人間たちのとる手法次第で自分たちが「戸井の」か「大間の」かが決まってしまうなんて、思わずまぐろたちのアイデンティティについて思いを馳せてしまう。

戸井のまぐろオブジェ

函館でも1泊したのだが、旅の主目的ではないので詳しい内容は割愛する。ロープウェイから見た夜景が綺麗で、全てのご飯が美味しかった。特にイカの塩辛乗せじゃがバターを気に入って、お土産でも大量に買ってしまった。私は普段「野菜にしては美味しすぎる」という理由でジャガイモのことをうっすらと警戒している。人類へのよくない影響が後々発覚するような気がしてしまうのだ。もしくは鳥に花粉を運ばせるために蜜を多く分泌する花のように、ジャガイモも人類を利用しているのではないか、そうでないとあの美味しさに納得ができない(実際には農家等の努力あってのことだと分かってはいる)と考えているのだが、利用されていても良いじゃないか…と屈してしまうほどの美味しさだった。

青森港まで

函館港から青森へは、津軽海峡フェリー ブルードルフィン に乗った。出港前に跳ね上げ式のバウバイザーがゆっくり閉じるのを眺めていると、一羽のカモメが私たちのすぐ目の前をゆっくりと旋回した。それが旅の幕開けを告げる使者のように思えて興奮しながら「今の見た?すっごい良かったね、カモメのファンサ凄い!」と言うと、Sは呆れたように笑った。私はすぐになんでもないことではしゃぎすぎる。あと別にカモメのファンではない(顔が意地悪そうでちょっと苦手)のでファンサという表現は適切ではなかった。

函館港から青森港までは約3時間半。船内のオートレストラン自動販売機で買った餃子パンを電子レンジで温めて缶チューハイと一緒に食べた後は、ほとんどの時間を外部デッキで過ごした。潮風の冷たさもベタつきも気にならず、ずっと眺めていたくなる景色だった。地平線まで続く海の紺色と、灰色がかった雲の白色と、その隙間から覗く赤みがかった夕日のオレンジ色がくっきり分かれて見えた。順番と色味が少し違うが、オランダ国旗みたいだ。見とれていると、Sは「夕日が沈むところが見えるようにこの時間の船にしたんだよ」と得意気だった。なんという用意周到さ。さすがである。

津軽海峡フェリー ブルードルフィン
船上から見た津軽海峡

弘前まで

青森港に着くとタクシーで青森駅まで行き、そこからは電車で弘前駅に向かった。出張や旅行でどこかへ出かける度に、自分が一生のうち数日しか過ごさない土地で生活を送っている人たちがいるんだよな…と不思議な気持ちになる。車両のドアの開閉が半自動のボタン式で、今更ながら住んでるところとは違う土地に来たのだという実感が湧いた。こういうボタンは絶対に押したいタイプの人間なので、すぐ近くに陣取る。何歳になったらこういうボタンを押したいという衝動がなくなるのだろう。もしかして一生なくならない?生まれながらの気質なのか?

弘前駅に着くともう19時を過ぎていて、私はかなり疲れていた。スーツケースをのろのろと引きずっていると、早く晩ご飯を食べたいSがイライラし始めたのを察知する。気が引けて「先に晩ご飯食べに行っていいよ」と伝えると、私が拗ねて不機嫌になっていると思ったらしいSは「じゃあ、そうするよ」と真顔で答えて1人で歩いて行った。ひえ…。こういうのがあるから人との旅行は怖い。ホテルにチェックインしてごろごろしていると、お目当ての店がやっていなかったらしく、Sから「一緒にご飯食べよう」というメッセージが来た。お互い、自分の態度が大人気なかったという自覚があったので、謝罪して仲直りしてから2人でホテル近くの居酒屋に行った。単に旅行中で補正がかかっているだけなのかも知れないが、青森ではその辺のお店に入ると、大体どこでもご飯がとても美味しい。やはり食材の鮮度が良いのだろうか。お通しで生の蕪に味噌をつけて食べるというのが出てきて、私は野菜がそこまで好きではないので(蕪か…。ま、食べとくか…)位の気持ちだったのだが、それがとても美味しかった。瑞々しくてシャキシャキで、苦味も全くない。思わずテンションが上がってホリエモンの「野菜は美味しいから食べんの!」 の物真似を数回繰り返してしまった。Sもテンションが上がっていたのか、普段なら呆れたように苦笑いするはずなのに、私のホリエモン物真似で大笑いしてくれて、そうして弘前での初日の夜は楽しく過ごした。ありがとう、青森の蕪とホリエモン。

五所川原まで

2日目は遂に太宰治の生家「斜陽館」を訪ねる。
斜陽館のある金木までの電車の本数はかなり少なく、逃したら終わりだとSに強く警告されていたので、早めに準備して弘前駅で切符を買っておく。

弘前駅の改札のすぐ外では津軽土産のセレクトショップ「BRICK A-FACTORY」があり、イートインスペースも併設されているので、そこで朝ごはんを食べた。チーズ入りアップルパイとアップルジュースだ。予想はしていたが、弘前では林檎押しがかなり強い。普段、林檎を日常的に食べないので違いは分からないが、アップルパイも甘くて風味が強くて美味しい。

弘前駅での朝ごはん(チーズ入りアップルパイ)
太宰のリンゴ酒

ちなみにそのセレクトショップでは「太宰治が飲んだリンゴ酒再現プロジェクト」で作られたリンゴ酒も置いてあったのだが、『津軽』の中では次のように書かれていたので、少し微妙な気持ちになった。お土産で買ったが…。

蟹田のN君の家では、赤い猫脚の大きいお膳に蟹を小山のように積み上げて私を待ち受けてくれていた。
「リンゴ酒でなくちゃいけないかね。日本酒も、ビールも駄目かね。」と、N君は、言いにくそうにして言うのである。
駄目どころか、それはリンゴ酒よりいいにきまっているのであるが、しかし、日本酒やビールの貴重な事は「大人」の私は知っているので、遠慮して、リンゴ酒と手紙に書いたのである。津軽地方には、このごろ、甲州に於ける葡萄酒のように、リンゴ酒が割合い豊富だという噂を聞いていたのだ。
太宰治『津軽』

五所川原に向かう電車を待つ間、Sが少し暗そうだったり個性的な服装の人を見かける度に「あの人も斜陽館に行くのかな?」と聞いてくるので笑ってしまう。太宰好きの人に対しては暗そうというイメージを持っているらしい。身近にいる太宰好きの私が暗い人間だからだろう。Sは太宰の作品をあまり読んだことがない。青空文庫ですぐ読めるから電車の中で読んでみなよ、と言って「川端康成へ」(太宰治が芥川賞で落選した際に、選考委員の川端康成宛に悪口と共に書いた抗議?文)のリンクを送った。

小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。
太宰治『川端康成へ』

Sはこの文章をいたく気に入り、旅行の間ずっと、何かある度に「刺す。」と鬼気迫る顔で言ってきた。物騒なツレである。そうこうしているうちに五所川原に到着した。

五所川原には「思ひ出の蔵」がある。太宰の叔母キエ一家が津島家から分家した際に建てられたもので、太宰に関する資料が保管されている。「思ひ出の蔵」はトカトントンスクエアという、これも太宰の作品名から命名された複合施設にあるとのことで、駅から10分ほど歩いて向かう。

トカトントンスクエア

トカトントンスクエアに着いた私はかなり驚いた。なんというか、ロゴ?がポップすぎる。『トカトントン』は、敗戦の玉音放送を聞いた青年が、それ以降何事にも熱中できず、何かに取り掛かろうとすると「トカトントン」という音がどこからか聞こえてきて冷めてしまう、という小説である。そんなポップな内容じゃない。トカトントンスクエアを見た瞬間、なんだか脱力してしまった。脱力の中で「思ひ出の蔵」を見学したのでそこの記憶があまり残っていない。なんかこういうの現実って感じだなあ…と思う。そういえば昔、織田作之助が好んで食べたというカレーライスの「自由軒」に行った時も、織田作の写真よりも目立つ位置に、番組ロケで訪れたらしいチャン・グンソクの写真とサインが飾ってあって思わず笑ってしまったのを覚えている。自分が物事に対して感じている価値や持っているイメージと、世間が持つそれがズレていることがよくあって、そういう時に自分は現実世界に生きているんだな…ということが鮮烈なリアリティーを持って感じられる。

流石に斜陽館でチャン・グンソクや他の来訪した芸能人の写真が飾られているということはないだろうが、果たして。


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