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せいしゅんの思い出

あの頃の私たちにとって、セックスというものは一大事件だった。

あの頃というのは、まだ制服を着て学年別に色が分かれた校内シューズを履き、苦しくもがき続けていた、しかし今振り返ると牧歌的にも思える学生時代のことだ。

こういうのは地域や環境によるのだろうが、当時私の通っていた学校には所謂"優等生"ばかりが集っており、性については世間の同年代よりものんびりしている子が多かったように思う。私と友人はその中でも比較的大人しい女子グループに所属しており、関心はあるものの、セックスなんてまだずっと遠くにあるものだった。だから、谷崎潤一郎の、石田衣良の、村山由佳の小説を読んでも性描写についてはいまいち現実感が持てなかった。私とセックスの距離は、フィボナッチ数列や相対性理論と同じくらい離れていた。言葉としては知っているが、理解はできず触れられない非日常で神秘的なもの。

保健体育の授業で性にまつわる現象の詳細を知り、「正しいコンドームの付け方」として勃起した男性器の図を見た時のことは今でも覚えている。『海辺のカフカ』の中で「僕は勃起した」と書かれている時、こんなことになっていたとは。授業が終わって私の元にやってきた友人に動揺を悟られないように、わざとらしく捻くれた笑みを作って「ちょっとグロかったね」とだけ述べたが、内心ではかなりの衝撃を受けていた。ほとんど絶望さえしていた。あんなにグロテスクなものが自分の体内に入ってくるなんて。信じられない。そもそも医者でもなんでもない人間に内臓に近い部分を触れさせるなんて、そんな暴挙を許していいのか?医師国家試験までとは言わないが、資格制にするべきなのでは?

それを機に私とセックスの心理的距離はさらに広がった。というか私が遠ざけたのだ。憧れている綺麗な先輩が年上の恋人との初体験を済ませたらしいという下世話な噂話を聞くのが耐えられなかった。胸に渦巻く理不尽な軽蔑と畏怖の念。「大人の階段登ったわ」と自慢気にしている同級生が野蛮に感じられた。何が大人の階段だよ。所得税も納めてないくせに。ラブホテルを見かけると(セックスをするためだけの建築物…愚か…)と目を逸らしながら、ため息をついた。

そんな性に潔癖な女生徒だった私のセックスに対するイメージが変わったのは山田詠美『放課後の音符(キイノート)』がきっかけで、私はこの中の短編に登場するカナという少女に心を奪われた。カナは十七才にして、男の人とベッドに入ることを日常にしている。彼女はいつも地味なソックスを履いているが、その下には足首に巻かれた金のアンクレットが隠されていて、男の人と会う時にだけそれを見せるのだ。ココアにバターを落とす美味しいのよ、と言うような自然さで「シーツの上でさらさら揺れると綺麗なのよ。」なんてひっそりと教えてくれる。

寝るだけのことなんて、体が大人の私たちになら誰でも出来ることだ。ディスコに少しお洒落して行けば、寝ることの大好きな男の子たちが次々に寄って来る。だけど、私は思うのだ。こんな子たちと寝たって、甘い音楽の流れるようなベッドの時間なんて、訪れる筈がないのだ。シーツのしわが、そのまま五線紙になって、それを柔く蹴とばす足先が、やさしい調べを奏でるような、そんな時間など決して持てるはずがない。
山田詠美『放課後の音符』

金のアンクレットを巻いて、好きな人と一緒にベッドに入って抱き合いながらシートを柔く蹴飛ばすのってどんな心地だろう。きっと、とびきり綺麗で高級なチョコレートの包み紙を開いて、それを舌の上でゆっくり味わうような甘くとろける心地に違いない。私は急速にセックスに対して(心理的に)歩み寄った。その頃、同じく性に潔癖気味だった友人とのお喋りのテーマはもっぱら「誰かと寝るのはどんな感じなんだろう?」になった。

しかし、私たちには知識と経験があまりにも不足していた。他の友人に聞くのは気が引けるし、教科書や小説では具体的な流れや絵面がいまいち掴みきれない。私はインターネットで性的なコンテンツにアクセスすれば必ずウイルスに感染してしまうという無根拠な恐れを抱いていたので、パソコンを使うという選択肢はなかった。そこで、閃いたのが漫画だった。

私たちは漫画好きのクラスメイト経由で新條まゆ『快感・フレーズ』を入手した。借りる時に、いつも少年漫画ばっか読んでるし少女漫画も参考に読んでみたくて!なんか面白いって聞いたから、と苦し紛れにあくまでストーリー目的であることを強調したが、きっと彼女にはエロ目的だったことは見抜かれていたはずだ。揶揄ったりせずに貸してくれた彼女はなんて良心的だったんだろう。『快感・フレーズ』には全てカバーがかけられ、CECIL McBEEのショッパーの中でさらにビニール袋に包まれていた。あれもきっと彼女の気遣いだ。

『快感・フレーズ』を入手するという全然インポッシブルではないミッションを完了させた私たちは次の壁にぶち当たった。借りたは良いものの、どこで読む?お互いの部屋はダメだ。親にバレたら恥ずかしくてもう生きていけない。喫茶店もダメだ。(実際にはそんなことはないが)公然わいせつ罪も同然だ。悩んだ我々は、電車を乗り継いて無人駅のホームの隅でそれを読むことにした。周りに人もいないし、後ろから覗かれると言うこともないし、電車を待つ間に漫画を読むのは全然不自然ではない。

1時間程かけて目的地に到着し、無人駅のホームの端にポツンとある古びたベンチに座って『快感・フレーズ』を読み始めた。その時は真冬で頬を突き刺すような冷たい風が吹いていた。とにかく寒くて、かじかんだ指でページをめくりながら食い入るように見つめる。エロそうなページの前後だけ読んだのでストーリーは全くわからない。「俺が身体で暖めてやろうか」というセリフで(マジで暖めてくれ、寒すぎる)と思った記憶ばかりが蘇ってくる。結局私たちは温もりの確保を優先して、そそくさと帰宅した。

燃え尽き症候群では全くないが、なんとなくそれきり性へのズレた探究心は鳴りを潜め、友人ともあまりそういった話はしなくなった。お互いそれなりに経験を積んで、その時の友人は今や一児の母である。たまに友人たちと会って過去の恋愛や性の話になると、皆が実際の経験について語る中で、私はいつもこの時に読んだ『快感・フレーズ』のことを思い出すのだった。

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