献辞 -桜貝の便箋に向かう少女に捧ぐ

献辞を読むのがたまらなく好きだ。
例えば、『星の王子さま』のもの。これは献辞の中でも有名で、覚えていて好きだという人も多いんじゃないかと思う。

レオン・ヴェルトに

この本を、こうしてひとりのおとなにささげたことを、子どものみなさんは許してほしい。なにしろ大事なわけがある。この人は、この世でいちばんの僕の親友なのだ。もうひとつ。おとなだけれど、なんでもわかる人なのだ。子どものために書かれた本でさえ。そして三つめ。この人は今フランスに住んでいて、おなかをすかせ、寒い思いをしているので、なんとかなぐさめてあげたいのだ。それでもみなさんが納得してくれないなら、この本は、昔子どもだったころのその人に、ささげるということにしたい。おとなだって、はじめはみんな子どもだったのだから。(でもそれを忘れずにいる人は、ほとんどいない。)そうして献辞は、こう変えることにしよう。

小さな男の子だったころの レオン・ヴェルトに
著:サン・テグジュペリ,訳:河野万里子『星の王さま』

献辞ではないが、最近だと謝辞の中の下記文章にノックアウトされた。

そして、私にとってかけがえのない妻のカーステンの、その愛と美しさとインスピレーションに感謝したい。私が書くものはすべて君のためだ。
著:ロバート・コルカー,訳:柴田裕之『統合失調症の一族-遺伝か、環境か』

私は「誰かのために書かれた文章」が好きだ。作者の気持ちとか、2人の間にあった関係だとかが、まるで自分の側に柔らかく暖かいかたまりとして存在するかのように感じられるから。そして不特定多数のために書かれた文章は数人程度にしか伝わらないが、たった1人の誰かのために書かれた文章は多数の人の心を動かせるのだと信じている。

昔、友人の妹と文通をしていたことがある。きっかけは覚えていないが、2人とも本が好きで音楽の趣味も一緒だったので、友人が引き合わせてくれたのだ。私と彼女は直接話したことはなかったが、手紙を通じて親交を深めた。友人とは照れ臭くて話せないような将来の夢の話、訳もなく焦燥感や不安に押しつぶされそうな夜のやり過ごし方、最近の小説や映画でぐっときた場面、散歩中に見かけた犬の可愛さについて…、色んなことを語り合った。
その時も彼女からの手紙で「炭酸は喉がイガイガして飲めないけど、泡の粒がぱちぱち弾けているのとか、中身が光を浴びて透き通って見えるのが綺麗で、いつも喫茶店ではソーダを頼んでしまいます」なんて書いてあるのを読みながら、そういえば友人が、うちの妹は飲めないのに炭酸を頼んで結局残して、お姉ちゃん飲んでとか言ってくるって愚痴ってたな、と思い出して微笑ましく思っていると、次の追伸が目に入った。

「追伸  いつもお手紙ありがとう、普段と便箋が違うのに気づいてくれましたか?可愛い色でしょう、桜貝のピンクだそうです。見た時にあなたのことを思い出して、それでこの便箋を買いました。だから、私がこれで書く手紙は全部あなたのためにあります」

この追伸を読んだ瞬間に、私は、おそらく受け取った時の私を思い浮かべながら桜貝色の便箋に向かって手紙を書いている彼女の元に走って行き、その場で私の中にある愛情、優しさ、それに類する全てを彼女にあげたいという衝動に駆られた。彼女の日常の傍に私がいて、私のために便箋を選んでくれたと思うと嬉しくて胸が詰まりそうだった。彼女の元に駆けつける代わりに、私はそのまま文房具屋に彼女のためだけの便箋を探しに行った。

お互いの受験などがあっていつしか文通は途絶えてしまったが、未だに素敵な献辞を読むと、彼女から手紙をもらった時の、春の日差しの中でうたた寝をしているような心地良くて穏やかな気持ちが蘇ってきて、胸がいっぱいになる。彼女が読む機会はないだろうが、彼女が私にくれた全てに感謝を込めて、この文章をあの時の、桜貝の便箋に向かう少女に捧げたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?