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ハリー・ケイン、心のあり方

プレミアリーグ2015-2016、2016-2017と2年連続得点王。

28年ぶりにワールドカップベスト4へ進出したイングランド代表のエースストライカー、ハリー・ケイン。

8歳でアーセナルに見放され、その後ワトフォードからトッテナムユースへ。

トッテナムでトップデビューを果たすも、プレミア2部のクラブでレンタル移籍を繰り返す日々。

数年前までは2部の一選手に過ぎなかった。

そんな彼が市場価値191億円の男になるまで上り詰め、ワールドカップで活躍した要因は一体何だったのか?

ここでは技術面ではなく、メンタル面の要因を探ってみたい。

彼は7歳でアーセナルに入団、わずか1年で退団を余儀なくされる。

ケインはこの件について
「あの時のショックは計り知れなかったし、悔しかった。その後、スパーズ(トッテナム)に入団できて、アーセナルと何度も戦えたからこそ、フットボーラーとしてベースを築けた。アカデミーで戦うたびに、『誰が正しくて、誰が間違っていたのかを証明してやる』と意気込んでいた。アーセナルを見返したい、その一心だった。いまでもその想いは変わらない」
とコメントしている。

並々ならぬ反骨精神。

これが彼の原動力になったことは間違いない。

また、ケインが最も辛かったと語っているレスター・シティ時代にも転機があった。

一時は退団まで考えたケイン。

彼を再び奮い立たせたのは、あるアメリカンフットボール選手の存在だった。

当時、アメフトに夢中だったケインが目にしたNFLのドキュメント番組。

後にNFL史上最高のクォーターバックと呼ばれるトム・ブレイディがそこにいた。

彼はドラフト199番目の選手だった。誰もがブレイディの能力を疑っていた。

その細い体型からはアメフト選手をイメージすることもできず、コーチからは「ウェイトトレーニングルームを見たことあるか?」と揶揄されていた。

「ストライカーには見えないな」

ブレイディと同じように周囲から揶揄されてきたケインには、自分とブレイディが重なって見えた。

自分を信じ、チャンスを掴んだブレイディに刺激を受け、決意する。

「自分もこの道を行く。これ以上ないほど頑張ればチャンスは必ず来る。それを掴む」。

ブレイディという、メンター(助言者)ともいえる存在を見つけたことが転機となった。

「前を向いて行こう」「アーセナルがチャンスをくれた」

こういった彼のポジティブな発言は父親の影響が大きい。

ケインがアーセナルから見放されたときも、父親は一切ケインを批判しなかった。またアーセナルも批判しなかった。

いつも前向きで「気にしなくていい。これからも練習を続けて、他のクラブで頑張ろう」「どんな状況でも進み続けよう」が口癖だった。

後にケインもこう語っている。

「8歳の時にアーセナルに見限られた。当時は本当に辛かったけど、いま思えば、僕のキャリアの中でとても大切で、最高の出来事だった。イメージトレーニングの相手はいつだって彼らの赤いキットだったし、いまでも僕を駆り立てる大きなモチベーションになっている」。

常にポジティブに考える。

そうやってケインは父親とともに進んできた。

反骨精神、メンターの存在、常にポジティブ。

幾度の挫折を乗り越えてきたケインの強さはここにある。

物事の捉え方ひとつで未来が大きく変わることも証明してみせた。

そして、世界最高峰のサッカーワールドカップで得点王となる未来もすぐそこにある。

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