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人に恵まれて

朝早く起きてしまって寝れなくなってしまったので、今の自分の気持ちを書いていこうと思います。読み返してみると、人に恵まれているという話になりました。

今私が気になっていることは、こんなに自堕落な生活を送っていても良いのだろうか?ということです。漠然とこのままで良いのだろうか?と考えつつも現実的なことは何も考えていません。たとえば3ヶ月後、1年後、5年後、10年後に自分が何をしていたいのかイメージできていないのです。

そういえば最近友達の結婚式がありました。友達は「〇〇勤め」の〇〇が誰もが知っているような「すごい」所に勤めています。おそらく小学生高学年なら「すごい」となるでしょう。そのくらい有名で「すごい」ところに勤めているのですが、結婚式での新郎新婦の紹介が印象的でした。友達は新婦です。新郎、新婦共にどこ勤めでどんな仕事をしてきたと司会の人から経歴を説明されるのですが、ただ事実を述べているだけのはずなのに、新婦側が「すごい」ように聞こえて仕方ないのです。新郎側も一流の大学を卒業して一流の企業に勤めています。一般的には十分「すごい」のですが、社会人や大学生にならないと知らない部分もあり、小学生が知っているほど有名というか一般的ではないので、なんだかすごくないように聞こえてしまいます。司会の人が新郎新婦がどちらもパワーバランス的に均衡になるように充分ヨイショしているのですが、それでもすごく聞こえてしまいます。その証拠と言いますでしょうか、友達である新婦の紹介がされた時に、会場がどよめいていました。新婦がなんだが照れ臭そうな表情をしていたのが印象的でした。

結婚式では式が進行し、上司のスピーチに入りました。そうして双方の上司が話すのですが「仕事のノリ」が出たなと思いました。扱っている規模の大きさや責任、見せ方がわかっているかとも言い換えることができるでしょうか。新郎側の上司は「どのくらい売り上げに貢献しているか」などを雰囲気を語る一方で、新婦側の上司は「何を変えていっているか」を語っていました。私には正直、新婦側の方が印象的でした。お金のちょっとした売り上げの話をされても、それに関係がない私は「ふーん」程度にしか思わなかったのに対して「なんのために動いているか」を語った新婦側、つまりは「すごい」所に勤めている方の上司のスピーチの方が心に刺さったのです。

そんな「すごい」所に勤めている上司がスピーチの中であるカミングアウトをしました。それは「自分の子供には障害がある」ということです。それを言わずに「すごいでしょ」感を出して優越感に浸ることもできたでしょう。一時的に自分を気持ちよくすることもできたでしょう。しかし上司は「自分の子供には障害があり、そのために忙しい中で帰宅することがあったのだが、新婦はそのことを知った際にメールで驚きと労いの言葉をくれた」と言うのです。今書いていて「驚きと労い」という言葉がニュアンスが近いかと言えば微妙な所だなと思ったのですが、つまりは「思いやり、気配りがあった」ということを印象づけることを語ったのです。新婦の上司は続けます。「新婦は大変思いやりがあって、素敵な人です。」と。これもまたその場での言葉そのままではないので、ニュアンスが微妙に違うかも....と思いながら書いているのですが、つまりは「新婦がとても人柄が魅力的な人に感じた」ということです。新婦の上司のスピーチでの「子供に障害がある」ことと「新婦の思いやりのある行動と言葉」は、新婦の上司に親近感を覚えることと、新婦を素敵と思えることに繋がりました。そこに何と言いますでしょうか、器の大きさを感じたのです。このスピーチは新郎側の上司にはないものでした。そもそも比較するものではないとは思いますが、式の進行上、新郎の上司の後は新婦の上司のスピーチと相場が決まっているので、その時は対比したなぁと思います。

「どんなに順風満帆に見えても人には苦労がある。」ことを本などではなくリアルな体験から感じた貴重なワンシーンでした。話は戻りますが、私は今、無職という身の上で自堕落な生活を送っています。正直苦労はしていません。こんなに私には時間も体力も余裕があるのに、私の家族の方が仕事が大変でプライベートでもてんやわんやしている印象です。家族を手伝える環境にいるのですが「こんなに大変なことを手伝ってもらっても、苦労を書けてしまうし、何より旦那さんが寂しく思っちゃうでしょ」という家族の言葉に甘えて手伝わない選択をしているのが今の私です。

私は優しく思いやりのある言葉をかける家族を見て「本当に変わったな」という印象を受けます。私が実家にいた頃、学生だった頃は、要求だらけでした。「家には10時には帰ってきて」「泊まりはダメ」高価なものを買うと「なんでそんな高いもの買ったの?」「その彼氏はやめたら?」と理解がないリアクションを受けました。他にも「良い大学に入ってほしい」「良い就職先に入ってほしい」ということもあります。

この言葉だけでは表現し難いなと感じます。なぜなら直接「良い大学に入ってほしい」「良い就職先に入ってほしい」と言われたわけではないからです。しかし日常会話からそっちの方向に誘導されていくのです。たとえば「○○大学の大学院まで出て博士までとったのに、ニートな人がいるんだって、怖いよね」という話だったり「アルバイトや派遣だとシフト入れないから、カラダ壊すまで仕事入れて、男性だと入院するまで働き続けるんだよ」という話をします。こう書いてみると、どこが「良い大学に入ってほしい」「良い就職先に入ってほしい」という誘導なんだと書いてて思うのですが、この話が将来どうしようかな、何するのが良いかなのような雑談の時に出てくるのです。書いていて私が敏感すぎているのかなとも思えましたが、親の顔色を伺う私がいるところを見ると、ある特定の方向に圧がかかっていたのはあるかなと思います。なぜなら私が「次が決まっていないけど会社を辞める」という話をするのが怖くて怖くてたまらなかった過去があったからです。おそらく「次が決まっていないならそのまま働いていても良いんじゃない?」と言われると思っていました。決して「無職」になることを良しとする親ではないと思えてきました

しかし実際に「無職」になる方向をした時に親が私にかけた言葉は「良いんじゃない」でした。本当に意外でした。親は続けます。「あなたがした苦労はあなたしか分からないから、とやかく言うことはできない」ということでした。私はその言葉を受けて仕事がそれだけ大変だったか語ります。すると親は「それは大変だったね。先駆者ならではの悩みだね。」と言います。私はこの言葉に心底癒されました。大切な人にわかってもらえて、良かったと思いました。

私は私の親が新婦の上司と同じくらい器が広いと捉えています。このような言葉をかけられる人は本当に少ないのではないでしょうか?私は人に恵まれています。恵まれている具合、器が広い具合で言えば、私のパートナーも器が広いです。パートナーは「無職」になることに理解がありました。その上、自堕落な生活をしていても「良いんじゃない?」という人です。

たとえば私がびっくりするくらい断捨離しても、急に衝動買いしてきても、やる気がなく1日ダラダラして動画ばかり見ていても、急にゲームに没頭しだしても「良いんじゃない?」と言います。これはすごいことだなと感じています。なぜなら私はパートナーが断捨離し始めた時は「こわいな」と感じました。えいやとアレコレ処分していく姿を見て、そのあまりの敷居の高さ、モノを捨てていく具合を見て少し焦ったのです。他にも大きなディスプレイを買ってきた際も驚きました。こんなに家にディスプレイがあるのに、まだ必要なのかと思いました。仕事で疲れて1日やる気が出ないと寝てばかりだと、私が不安な時は、ずっとこのまま何じゃないかと思うときもありました。対して帰宅しても雑談などをあまりせずにゲームに没頭している姿を見て寂しさを感じている時もありました。私の場合は、私が今している行動をすると何かと感情や価値観が先に来てしまい「良いんじゃない?」という言葉をかけるには至りませんでした。パートナーのように物事を俯瞰して何かの全体の一部と捉えるに至っていませんでした。

パートナーが最近印象的な言葉を言っていたので書き残しておこうと思います。それは私が「このダラダラした感じで大丈夫なのかな?」と言った時です。するとパートナーは「自分はずっとゲームしているとか、仕事をしないとかの生活でも良いと思っているよ。それもひとつの人生だもん。」と言ったことです。これまでは「このダラダラした感じで大丈夫なのかな?」というニュアンスの話には「良いんじゃない?」や「大丈夫よ」としか言ってきませんでした。しかし最近は私が「自堕落」と思っている生活を肯定する言葉を言うようになったのです。これまでは「自堕落」を肯定も否定もしていませんでした。そういった状態もあるよね。にとどまっていたのです。そこから肯定にシフトしたことで、私は今の状態でも良いのだと思えるに至りました。

毎日毎日、身近な人に受け入れられている私は、本当に恵まれていると思います。どんどん無理をしなくなっています。仮面を外していっています。囚われ、執着、偏見がなくなっていっています。下手なカウンセラーさんや精神科医さんよりも、よっぽど効果があるのではないかと思っています。私は不安な人から安心している人に変わるに至り、周りの安心している人と親しみを持って交流しています。人に恵まれて、どこに行き着くかはわかりませんが、最近は自堕落な生活をしつつも、人には恵まれているという話でした。

書いて思うのは、甘えすぎているかな?と思うのですが、無理せず流されていようと思います。どうせ何かこれがやりたいと思う日は来ます。そんなに焦らず毎日を気ままに、今日も気ままに過ごそうと思います。

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