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満たされてる人はお金を使わない

満たされている人は質素である。本人の頑張りたいことがあり、夢中になりたいことがあり、朝目覚めてから寝るまで、それにエネルギーを割く。そのような好きなことにも、大変なことが起こったりする。何かとイレギュラーなことが舞い込んで忙しくなったりする。それでも、満たされている人は終始穏やかである。人に話しかけられればゆっくり聞き、傾聴する。話を否定したりしない。

不安な人はストレスが溜まると人に話す。自分がどれだけ大変なことに巻き込まれたか話す。大抵の場合、相手は大変だったねとリアクションする。人によっては自分も同じようなことあったと共感を示す。そのような中で、不安な人よりも大変だったと主張する人がいる。自分が不安な人よりもいかに大変であったかを話す。不安な人はその人に対して不快感を覚える。自分のことをわかってくれないと思う。友達でないと感じる。そうしてお金を使う。何か見栄を張るためだったり、何かと効果があるからとうたって課金する。それは人に対して何かあげると気持ちいいからとそれはやめておいた方がいいんじゃないと大抵は言えないようなことを理由にして課金する。不安な人が購入しようとしているものは、既に似たようなモノを持っている。しかし、不安な人は便利だからとか可愛いからとか、何かと理由をつけて購入する。しかし、買ったからといって使うわけではない。買ったことに満足して放置することも多い。それか数回使っただけで使わなくなる。

満たされている人はモノを大切にする。しかし、自分にとって必要と思ったものは高くでも購入する。優先順位がついている。日頃から自分にとって必要なものしか身の周りに揃えていないので、それを超えるものがあった場合は一瞬で見抜ける。そうして長い間大切にする。満たされている人がお金を払うものは生活費だけである。水道代、光熱費、食事代くらいである。洋服などもよっぽどのことがない限り購入しない。自分のルーチーンが出来上がっている

満たされている人はルーチーンができるまでにお金をかけたのかと言えばそうでもない。置かれた環境で無理のないモノを選んだ。時には人から譲り受けたモノを使った。それでも満たされている。そのようなモノに囲まれて、自分のスタイルを確立していった。例えば暑いのが苦手、寒いのが得意、人混みが苦手、話すことが得意といった具合に、苦手なものは無理に取り組もうとはせず、得意なことを、自然とできることを取り組んだ。どの状態でもあってもこれ以上のものは望まないと思いつつ、思いがけない良いことが舞い込んでくる。どの状態でも今の自分が夢中になれることをし続けてきたのだ。

不安な人は夢中になれることができる環境にいなかった。それは周囲と比較されて、優しいことや勉強ができること、足が早いことしかいいねとされなかったためだ。時には腹黒くなったり、勉強ができなかったり、運動ができないことを良しとされなかったからだ。周囲がありのままの姿を良しとしないと、人は演じる。仮面をつける。できることを増やして、状況に適応しようとする。それが社会だと思い込む。そのような中でいつでも演じている自分が出来上がる。不安な自分が出来上がる。これは避け難い困難である。どうしようにも避けられなかった。不安な人は置かれた環境で常に何かを求められてきたのだ。

不安な人の場合はゆっくり休むことである。自分が演じなくなるまで、仮面を外すまで休むことである。何もしないことである。そうして演じなくなった子供のような自分がやりたいと思ったことをやることである。それは下手でも構わない。満たされている人の場合は、これまで通り好きなことに対して取り組むことである。自分がいいと思ったことを突き詰めることである。その道は最初は同じようなことをやってる人がいたとしても、いつの間にか自分しかそれをやってないなと思う状況に至る。自分らしさが全面に出た形になる。すると、表現は違えど同じような人が集まってくる。満たされた人が集まってくる。そのような人と化学反応を起こさせた先にある世界は、不安な人も満たされた人もいる世界である。人が集まると何故かお金を得ることにつながる。お金を自身は使わないが、周囲にお金を渡して循環させる世界が訪れる。さらに持っていた額が大きくなっていく世界が訪れる。



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