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満たされると表現したいことがなくなる件について

満たされると表現したいことがなくなる。満たされていない時は、世の中はこうだ、このような傾向がある、こうするとうまくいくなどと主張したくなる。その想いは自分の経験も相まって真実である。

満たさられると、満たされていない時に主張してきたことがウソのようになくなる。満たされてない時と比べてペースは遅くなるが、その人が良いと思えることを取り組み組む。満たされた状態からかつての満たされていない時を見ると、確かにその主張もわかるなぁといった形になる。別に良い悪いとも捉えない。面白いなぁと感じる。その面白いなぁと思えることを自分がなぞるかと言えばそうではない。満たされている人自身の好きなことがあって、それに夢中になっている。時には疲れたりもするので、散歩に行ったり、こうしてネット上の自分のお気に入りのところに足を運ぶなどである。

満たされると表現したいことがなくなると書いたが、これは厳密には異なる。表現は続けている。しかしその表現の行き着く先について意識しないという形である。満たされていない時は、ここに辿り着こう、この効果を狙おうなどとあれこれ考える。他にも過去のことに対して執着する。あの時はこうだった、この時はこうだと分析する。振り返る。

満たされると目の前の表現に夢中になる。それが自分をどんな世界に連れていくかははかり知らない。もちろん予想することはできるが、そのようなことはせずに、感じたままに表現する。何者になりたいなどと意識しない。その場を楽しむ。

満たされていない時は取り憑かれたかのように何かに集中したり、飽きたりを繰り返す。没頭している状態と無気力な状態を繰り返すのである。ものすごく表現したい衝動に駆られることもあるし、まったく表現しないことがないの繰り返しである。

満たされている時は、自分の1番やりやすい方法で目の前のときめいたことを表現する。または表現してみると新しい世界に行けるんじゃないかと思えることを表現してみる。特別何かの能力を得ようとしない。そのようなことをせずとも、いつの間にか色々なことができるようになっている。その人らしい表現をしている。


今、満たされていない人であるとしても、がっかりする必要はない。その状態は誰しもがなり得る。そこから満たされる状態になるためには、あれこれ自己啓発本を真似たり、無理に何かを取り組むことではない。疲れていたらゆっくりと休み、休息することである。そして適度に運動することである。健康的な食事を取ることである。すると満たされている人になるための地盤ができあがる。あとは赴くままに興味のあることをやってみるといい。

すると、特に表現したいことがないものの、ユニークなものを表現している自分が現れる。その自分の表現は周囲の人の心を豊かにする。自分も豊かになっている。それは愛である。

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