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上手くいかない状況から毎日が楽しくなるにはver3

月を跨ぎ新しい時が始まりましたが、最初は新たな気持ちを持てていたものの、「何だか変わらないつまらない日々が始まった」と感じている人や「日常生活にハリが出ない」という人もいるのではないでしょうか。この記事は「上手くいかない状況」から「毎日が楽しくなる」ためへの3つの鍵のうち3つ目の「イメージ」について紹介していきます。1つ目の鍵である「囚われ」、2つ目の鍵「気づき」のは次のページに詳細がありますが、2つ目の「気づき」こそが「毎日が楽しくなる」方法となります。1つ目の鍵である「囚われ」は「毎日が楽しくなる」には至らない原因です。

さて、これまでは「毎日が楽しくなる」に関する「原因」と「手段」を語っていきたわけですが、今回は毎日が楽しくなっている「状態」について深堀していきます。これを見ていく中で「イメージ」を思い描くことこそが重要なので、早速何なのかを紹介していきましょう。

人は何か物事に取り組む時、脳の使い方が「行為」を取っている時と「行動」を取っている時の2種類に分かれます。前者はリラックスして無心に何かを取り組んでいます。たとえばピアノを弾いている時に楽譜を追うわけでもなく、次にどんな音を出すと意識しているわけでもなく、何も考えずとも音を出している状態に入ることがあります。これが「行為」でカラダが動いている時です。対して、ピアノを弾いている際に、楽譜を見ながら次はどんな音が続くのか意識しながら奏でている場合があります。この時、脳はリラックスしておらず、間違えないように、などと慎重な心持ちで弾いていたりします。

今回の鍵である「イメージ」とは「行為」を取っている時の無心な状態に次に何をすれば良いのかカラダが分かっている状態のことです。対して「行動」している時の脳は「予想」をしています。それでは「行為」を行なっている時の「イメージ」と「行動」を行なっている時の「予想」には何の違いがあるのでしょうか

それは「イメージ」には目的や狙いがないですが、「予想」には目的や狙いがあります。つまりは「イメージ」には自我がないとも言い換えられ、「予想」には自我があるとも言い換えられます。自我とはエゴのことです。自分で「ああしてやろう」、「こうしてやろう」と将来に対する期待を込めた想像があるのです。

ここまでで「イメージ」には目的や狙いがなく、無心なんだな、将来に対する見当がないんだな、エゴがないんだな、ということを察知するに至ったと思いますが、更に「イメージ」がどのようなものなのか、「毎日が楽しくなる」鍵の2つ目について紹介したこちらの記事にも出てきた「ゾーン」や「フロー」を使って紹介していきます。

「ゾーン」や「フロー」は人がかなり集中している状態のことです。呼び方が異なるのは、分野によって呼び名が分かれているためなのですが、ここでは皆さんに馴染みがあるであろう「ゾーン」という言葉を使っていきます。

「ゾーン」に入っている時は、周りの音が聞こえなくなったり、時間が一瞬に感じられたりします。この状態にことを「無心になっていた」と呼ぶ人もいますが、実は「ゾーン」は「没頭」している状態と「集中」している状態の2種類に分けられます。この切り分けは「エゴがあるか否か」です。没頭にはエゴがありますが、集中している状態にはエゴがないのです。これはどういうことなのでしょうか。

「没頭」してる場合は、目的や狙いがあり、将来に対する見当があり、エゴがあり、脳がリラックスしていません。対して「集中」していると、同じように音が聞こえなくなるくらい、目の前のことに意識を合わせていたり、時間が一瞬に感じたりするのですが、目的や狙いがないのです。将来に対して、「あぁなるといいな」「こうしなければならない」など期待や義務感などはありません。エゴがないとも言い換えられますが、恣意的であるとも言えます。つまりは勝手気ままに物事を行なっているのです。思うがままに物事を進めているのです。進めるに当たり、「没頭」と同じくらい無心であるわけなのですが、将来に対する想像の仕方が異なります。「没頭」はエゴがある想像をしているわけなのですが、「集中」しているとエゴがない想像をしているのです。

「毎日が楽しい」と感じている人は、物事を取り組む時「集中」して「イメージ」を得ていますが、「没頭」はしていません。将来に対して狙いや目的がないままに、予想しないままに、エゴがないままにカラダが動いているのです。脳がリラックスして物事を進めているのです。対して「毎日が楽しい」と感じている人は、同様に物事を取り組む時は「没頭」しています。将来に対する「予想」を持って動いています。エゴがあり「こうしなければならない」、「あぁするのがいいんだ」と思い込むところ、信じているところがあります。どちらも脳が想像しているのですが、「毎日が楽しい」と感じている人は「イメージ」を持ち、そうでない人は「予想」を持っています。それではこれらの状態は何が違うのでしょうか?

「イメージ」と「予想」の違いは、「将来に対する想像が逐一更新されるか否か」です。「毎日が楽しい」と感じている人は物事を取り組む時に、瞬間、瞬間で全く異なる想像をしています。どの方向に転じるかはその時にならないと分からないのです。対して「毎日が楽しい」と感じられていない人は、何か物事に取り組んでいる時に、ある特定の方向に行き着こうとしています。脳の中で制限を作り、ルールを作り、それに乗っ取ることで、上手くいくようにと調節しているのです。言い換えるならば「オートパイロット状態」にしているとも言えます。つまり脳が省エネ状態なようなもので、考えなくても良いようにしているのです。脳に制限を作っているからこそ、例え、時間が一瞬に感じるくらい一心不乱に物事に取り組んでいたとしても疲れます。達成感などはありますが、「疲れる」のです。対して「毎日が楽しい」と感じている人は脳に制限がありません。リラックスしてどのような方向に転がっても自分は大丈夫と思えていて、そこから将来に対して新しい想像を得ていきます。瞬間瞬間で「イメージ」を更新していきます。「毎日が楽しい」と感じられていない人とは異なり、脳に制限がないから疲れないのです。

「イメージ」を得て物事に取り組む人は「無邪気」で子供のようです。対して「予想」をしている人は子供のようにはなりません。どこか理性的で着実に物事を運ぼうとするところがあります。他にも何か自分の思い通りになることが良いと考えるところがあります。更に自分は大丈夫でないと感じ、自分の身を守るように動いたりします。この行動原理が生じるのは下記のリンクでも説明したように「囚われ」があるためです。1つ目の鍵である「囚われ」こそが「イメージ」を得られない原因となっているのです。

このリンク先でも説明しましたが、「囚われ」は誰しもが子供から大人になる過程で持つものですが、大人になって「気づき」を得るあり方にシフトした人は「イメージ」を持って「毎日が楽しくなる」ようになるのです。何か将来に対して理想を持った方が良いんだと思わなくても大丈夫です。今のままで良いのです。できることを増やしたりしようと思わなくていいのです。地道な努力が必要だと意気込まなくて良いのです。むしろその制限をするあり方は、エゴがあるあり方は、いつまで経っても「毎日が楽しくなる」にはつながりません。頑張っても頑張っても、どこか搾取されて、疲れて、ついには無気力になる、いつもの日常生活のループから抜け出せないままです。

それでは今の生活で「毎日が楽しくなる」ためにどうすれば良いのでしょうか。その唯一の手段が2つ目の鍵である「気づき」であるわけです。「気づき」とは「意識」のことで、今回の鍵である「イメージ」と対する言葉である「予想」について感づくことです。つまりはここまで説明した人の物事の取り組み方には「集中」と「没頭」があることを知り、自分がどちらであるか感じ取っていくだけで良いのです。特別何かしようとしなくて大丈夫です。仮に自分が「もっと子育てをうまくしたい」など「勉強をできるようにしないと」、「今度こそ上司に認めてもらえるように結果を出さないと」ということの「意識」をなくしていけば良いのです。とは言っても、脳が勝手に思い描いてしまうことを止めようとしなくていいです。これまでは「予想」を得ていた行動の仕方から「イメージ」を得る行動の仕方にシフトすれば良いのです。

「イメージ」を持つ「集中」なあり方にシフトし、「毎日が楽しくなる」ためには「気づき」を得ることしかありません。自分が「没頭」している「予想」を持ったあり方だと「気づき」、脳がリラックスする方の時間を増やしていくのです。これは誰かに言われるわけではありません。これまで通り生活していれば勝手にそうなるわけでもありません。自分自身で「意識」していくことで変えていくのです。

ここで一つ矛盾が生じます。「没頭」するあり方から「集中」するあり方へ変わろうと「意識」することは、「没頭」するあり方に繋がるのではないかということです。変わろうとする意識には、そもそも狙いがあるので、脳がリラックスする集中ではなく、どこか緊張する没頭するあり方になるということです。

筆者はここで囚われました。脳をリラックスするのが良いのだと気づいて、そうしようとすればするほど、なぜかうまくいかないのです。できることを増やさなくて良い、今のままで大丈夫と思って、いつもの日常を送るのですが、リラックスしようと意識しずぎて逆にリラックスできないのです。これは眠りたいのに、なぜか寝れないという状態に近いと思います。筆者の結論は喩え「没頭」するあり方から「集中」するあり方に変わろうとする中で没頭したとしても、自分がリラックスする状態に「気づき」を得ていくしかないのです。眠ろうと試行錯誤するけど、なぜか寝れない状態に陥ったとしたら、それでも何度も試してみて、自分が「心地よい」と感じる状態、つまりは寝られる状態に「気づき」を得ていくしかないのです。そうして次回は寝られる状態に、脳がリラックスする状態に自分を置くようにしていくしかないのです。

正直、初めは本当に大変です。なぜなら今自分が楽しくない、何だか疲れる、人間関係で厄介事に巻き込まれる、お酒などの嗜好をやめられない、結果ばかり求めてしまう、無気力になる、ダラダラしてしまうのは「囚われ」が根っこにあって、それによって脳がリラックスしない状態を取ってしまう構造が出来上がっているのです。そうした将来が予想できる、過度にエネルギーを注いで取り組めば「没頭」するようなあり方の中にいるのです。同じことの繰り返しにはなりますが、この状態から脱却するためには、「気づき」を得ることです。ここで執着がある人は「宗教」に走る人もいます。「占い」に走る人もいます。試して自分がリラックスすると思い込んでも、実はリラックスしておらず、自己防衛するような行動をとることがあるためです。

それでも何故か子供のように無邪気な人は脳をリラックスする状態を知っています。周りとの人間関係も有効で、趣味と呼べる好きなことがあり、何故かいつも上手くいっている人というのは「囚われ」がある状態から「イメージ」を更新するあり方に舵を切った人なのです。何度も言いますが「囚われ」は誰しもがあります。「きっとこうなるだろう」という将来に対する「予想」は誰しもが持つものです。友達に話しかけた時に、返答があると言うのは、誰しもが思うことでしょう。そうでないと話しかけません。何かアクションを取って、それに対する結果を想像するという連続で成り立っているのです。

ただ、ここで言いたいことは、そのあり方にも2種類あるということです。「イメージ」を持ち無限の可能性がある場合と「予想」があり、こうなるだろうと予想を持っている、ある特定の可能性を考えている場合です。この2つの状態があるということを把握した上で、「さて、自分が今取っているアクションはどちらに当たるだろう」と省みていくことが「気づき」なのです。自分の脳がリラックスする方、無理をしない方、「イメージ」を更新するあり方に舵を切っていくことこそ、「毎日が楽しくなる」方法なのです。


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