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状況を難しく捉えすぎている

 今置かれている状態を難しく捉えすぎる人は「真面目」な人です。できないことをできるようにしたり、知らないことを知ろうとします。知識をつけた上で次のフェーズに移ろうとするのです。ふとした瞬間に周りから責められるような状況をイメージする人や、問題が解けなくて困るイメージが湧いてくる人も真面目な人です。言い換えるならば「心に不安を抱いている人」です。今の状態が良くないのではないかと心のどこかで思っているのです。置かれた状況に「意味づけ」や「勝手に解釈」「思い込み」をしているのです。

 対して同じような状況であっても、なんだかニコニコしていてご機嫌な人がいます。「まぁ何とかなるだろう」とどっしり構えて、目の前のことを一つ一つ着手していきます。このような人は「心に安心感がある人」です。自分の身を守るために「もしかしたらこうしたら問題が解決するかもしれない」や「周りからもしかしたら、こんなことを思われているかもしれないな」と考えが湧くこともありますが、それに拘りません。「まぁ、コレマデのことやコレカラのことを考えるな」と自分のことを一歩引いて捉えて、再びいつもの生活に戻っていくのです。「過去のことを後悔しているんだな」、「将来のことを心配しているんだな」と意味づけ」や「勝手な解釈」「思い込み」をしません。「〇〇を考えている」という事実だけをなぞります。一歩引いて物事を捉えるので、感情に振りまわされることもありません。「心に安心感がある人」は「心に不安を抱いている人」のように「意味づけ」や「勝手な解釈」「思い込み」をせずに、今考えていることを自覚することで生活しています。

 「不安な人」は「何者かになろう」とします。今以上の能力を得たりしなければならないと思っています。対して「安心している人」は「今できることをしよう」とします。たとえば、運動や健康について興味がある人がいるとします。気づけば関連する情報をキャッチしています。そこで「不安な人」は「もっと知らないと発信してはいけない」と思っています。情報を収集するに徹するのです。対して「安心している人」は掘り下げれば自分の知らない知識や見解が世の中にはあることを把握しているものの、今の自分にできることをします。素人なりに知ったことを発信します。それは初心者が抱く悩みで、知識を得た後には大して悩まない問題になったりします。熟練者になると気づかないのです。安心している人は今の自分でわかっている範囲のことを発信するので、初心者の共感を得やすくなります。なぜか共感が輪になって人が集まってきます。素人ながら表現の自由を楽しむことができるのです。周りもその様子に共感したり楽しんだりします。今の状態でも次のステージへと自然と映ることができるのです。

 「不安な人」は「真面目」です。「ねばならない」「するべき」など「must」や「should」の世界で生きています。対して「安心している人」はリラックスしています。「したい」「できる」など「will」「can」の世界で生きています。動作の中での意味づけの方向が違います。使う助動詞が違います。

 また「不安な人」は「意味づけ」や「勝手に解釈」「思い込み」があります。「〜したな」「〜をすることにしよう」と「was,were」「be going to」の世界で生きています。対して「安心してる人」は今を生きています。「is,am,are」の世界で生きています。「不安な人」は過去や未来を見て、「安心している人」は今を生きているのです。意識する時間が違います。

 今の状況を難しく考える人やなんだか日常生活で疲れる人、無気力な人、テレビを見るや動画を見るなど受動的なことしかできない人、意欲がわかない人、これと言った趣味がない人、衝動的になる人、没頭する人は「不安な人」である可能性があります。「不安な人」から「安心している人」になるためには「休むこと」です。今以上の何かをする必要もありません。過去や将来についてあれこれ考えたりする必要もありません。ゆっくり休むことで「安心している人」になれます。勇気を持って休む決断をすることで、なんだか避けがたい困難に巻き込まれていた状態から、なんだか流れがある状態に移ることができます。その状態になると、以前はなんて思い込みがあったんだろうと捉えるようになります。頑張ることが解決策ではないのです。むしろその逆をすることで悩んでいた全てを解決できたりするのです。

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