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安心したい

安心したい。それは切なる願いである。日々生活していると、いつも気をはっている。周囲のことを気にし、結果を出そうとする。どこいっても何か要求される。できることを求められる。こたえる。疲れる。疲弊する。やる気がでない。

安心したいから自分を変えようと思っても逃げ場がない。試験が迫ってくるし、就活が迫ってくるし、納期が迫ってくる。子供にご飯を作らないといけない。介護をしにいかないといけない。

立ち止まったら、生活にかかわる。所属がなくなる、はぶられる、機会を失う、責め立てられる。人事移動がある。お金がなくなる。生きていくことが困難になる。

逃げ場がない。周囲でこうするとうまくいくよ、こうすると余裕が出るよといった情報は自分には全く無意味である。

自由時間があれば、少しでも自分の好きなことをする。自分でいられることをする。ゲームをする、漫画を読む、動画を見る、音楽を聞く、気ままにショッピングする(ただし買わない。買ったとしても100円ショップ)、お風呂にはいる。

しかし、そんな時間は大変限られている。もはやほぼない。移動の時は音楽を聞けたりできるが、心を休める。リラックスするなんてものではない。これから戦いに行く道のりであるし、帰ってくる時は、ヘトヘトになっている。ボロボロになっている。

安心したい。どこで間違ってこんなことになったのだろう。周囲を見れば、自分とは全く違う、余裕のある人がいる。羨ましい。正直妬ましい。自分を楽したい。

このように感じている人は、これまでをなんとかうまくやりくりしてきた戦士である。大変立派である。本当にこれまでよく頑張ったと思う。避けがたい困難に、なんとか耐え凌いできた。嵐の中、必死に飛ばされないようにしがみついてきた。しがみついて、ここまで生きてきただけでも奇跡である。

人生で最も困難なことは、こういった状態から抜け出すことである。

こんな大変なことになったのは、これまで仮面にかこまれてきたためである。試験で点数が取れないだけで、とやかく言われる。エントリーシートを出せは端から端まで落とされる。子供にご飯を作れないと親失格のように言われる。介護をしないと、見捨てるのかと悪者、まるで犯罪者かのように言われる。

そのままの姿を受け入れられない。今の状態でいいとされることがない。いつも何か要求される。仮面をつけた人は、無限に相手から搾取する、攻撃する、強要する。拒否してくる。無視される。その不安を満たそうと、相手を道具のように使ってくる。利用する。搾り取られる。

安心したい。こう願っても周囲は仮面だらけである。恩着せがましかったり、いつもどこかイライラしている。いい人に見えて、何かと支配的、比較ばかりしてきたり、何事も回避的でネガティブなことを言ってきたりする。できなかったらこうすればいいとポジティブで、理想的なことを言うが、それをやらないといけない状態にしてくる。マウントを取ってうわべを飾ってくる。関心は自分だけで悲劇のシンデレラ、苦労話、いかに自分が大変だったかを語り続ける。

仮面の人にこたえても、骨の芯までしゃぶりつくされる。安心したいと思って自己犠牲をするが、それが報われることがない。

安心したければ、休息することである。仮面に囲まれている状態から抜け出すことである。仮面をつけている人から距離を置こうとすると、仮面をつけた人はそれを敏感に察知する。甘えられなくなるからだ。そして、これまで以上に行動がエスカレートする。これまで以上に干渉してくる。冷酷な態度を取られる。傷つけられる。

そうであっても、仮面をつけた人と距離を取ることである。ひとりになることである。しかし、これは困難である。これまで耐え抜いた方がまだ楽と思えるほど困難である。ただでさえ疲弊しているのに、逃げるなんて無理だなんて思える。仮面をつけた人は追いかけてくる。

仮面をつけた人と距離を取ることは、これまでやっていたことをしなくなる、とかでも距離を取れるようになる。それは、心の距離を置くことである。これまでは、自分も周囲も依存していた。甘えていた。それは、良い悪いではなく、周囲も大変な状態にいて、いっぱいいっぱいだったし、自分もそれに対応していっぱいいっぱいだったのだ。支えていたのだ。しかし、その支えは依存という形である。

心の距離を置くためには、休息することである。頭を空っぽにすることである。頭を空っぽにすることは、瞑想やマインドフルネスが手段としてある。

しかし、いざ初めてみると、せっかく時間をとってやってみたのに、苦痛でしかなかったりする。そのように試行錯誤している状態であったところから、仮面と距離をとる、心の距離をとるまでの経緯を書いて記事をここに紹介する。

頭を空っぽにしたり、身体を休めると、安心する。自分はこれでいいのだという感覚を得る。目の前で起こっていることを、客観視できるようになる。事実を事実として受け止められるようになる。

これまでは、仮面をつけた人が甘えてくると、それに流されていた。搾取されていた。それが、相手のことを理解し、受け止められるようになる。受け止められると、過度な要求にこたえない。相手がなんと言おうと、自分がこれが良いと思えることを選択できる。満たされる。安心する。ここで、紹介した記事から抜粋したものを紹介する。頭を空っぽにする中で、物事を大きな流れの一部として認識できるようになる。これまでとは同じ環境に置かれていたとしても、全く満足度が違う。今自分の目の前にあることを愛せる。

物事を俯瞰的に捉え、何か大きな枠組みの中の1つとして捉えるようになる。つまり、論理的に考えて決めて解を出そうとするのではなく、感情的に悲しい、嬉しいといった気持ちに支配されるのではなく、その状態を感じているな、と認識して感情に支配されなくなる。

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