見出し画像

本は食べ物_おばあちゃん家の断捨離をして

これは私がおばあちゃん家に行って「1軍のもの」をたった1回の機会の中で取捨選択してきた当日のそのままの気持ちを残したものです。結果「目に見えるものに執着する」自分に気づき「現実的に自分だどうしたいか」を考える時がきたと思うに至りました。

1.おばあちゃん家に帰ってきた後

今日はおばあちゃん家を売るために1軍の品を取ってきました。実家の遺品整理と言いましょうか?身の回りの支度を1日で終えることができる人はあまりいないんじゃないかと思いながら、重たい荷物で疲れた手を動かして、今の気持ちを書いていこうと思います。

正直、気持ちが楽になりました。おばあちゃん家を売る際には家に残したものは全て処分する形となります。そのため私がおばあちゃん家を見る日は最後になるかもしれない日でした。

おじいちゃん、おばあちゃんがいなくなったその部屋に今朝立ち入った時「ひとりで入るには怖い」というのが私の印象でした。今日は私の他に母も一緒でした。母方の家を売るので、母にとっては「実家」を売却する形となります。

私たちは出発する前から「ひとりでは行きたくないよね」と話していました。母は「父や母がいる気がしちゃう」と話ます。そりゃそうだろうなと感じます。私ですらそう思います。幼少期のモノがほぼ動かずにそのまま存続している家です。昔から時が止まっているという印象でした。そんな何十年も動かないモノたちの中から後世に残したいものを選びます。1軍を選ぶ形となりました。

私とお母さんのモノの選び方は全く違いました。母は捨てるのがまた大変だからとほとんどのモノに手をつけませんでした。ジュエリーくらいです。またおばあちゃんは大量の着物を持っていました。私は「持っている」とは言っても5枚くらいだろうと思っていました。しかしいざ掘り返して見ると違い、50枚はあったでしょうか。大量の着物を持って帰ることとなりました。こんなに持っていたのかと正直、驚きました。

私は本日来れない兄弟に言付けされたお皿や絵なども厳選しました。これが一番難しかったです。限られた時間の中で兄弟が満足しそうなお皿を選びます。ウチのおじいちゃん、おばあちゃんは裕福な方でした。そのため、どのお皿もちょっとしたブランドや〇〇焼みたいなのばかりです。結局、箱が立派かや染みがついていないかなどで選んでいきました。それでも袋5個分くらいにはなったので、相当の食器を持ち出したと思います。多すぎたかなと思いつつ、後から文句を言われたら嫌だしと私なりの厳選したものを持ち出しました。

絵も選ぶのが大変でした。おじいちゃん、おばあちゃん共に絵を描いていました。リビングにずっと飾ってある愛着のある誰かの描いた絵とおじいちゃん、おばあちゃんが描いた見たことないけどなんだか優しい絵のどちらを持って帰ろうと大変悩みました。結局どちらも厳選して持って帰ったわけなのですが、この時にデッサンなどではなく、ちゃんと絵を描くのは気持ちに残るなと思いました。トキメクと言うのでしょうか。このモノたちに見守られていたいなと思えたのです。

私には次女で上と下に兄弟がいますが、兄弟でモノの選び方が異なりました。ひとりは庭にある置物だけで良いと言い、もうひとりはアレコレ欲しいモノをリスト化してきました。これだけでも性格差が出るなぁと思いました。もっと言えばライフスタイルの違いでしょうか。庭にある置物だけで良いと言った方は転勤族です。3年に1度引っ越す必要があります。そのため厳選に厳選を重ねた中で、一番大切なものは置物だったのでしょう。もうひとりは持ち家ではないですが、当分引っ越す予定のないライフを送っています。そのためすごい量のモノを欲しがりました。

ちなみに、おじいちゃん、おばあちゃんには子供が2人います。私の母ともうひとりおじさんです。母とおじさんは家を売却するにあたり、全くモノを欲しがりませんでした。おじさんは男性ということもあるのでしょうか、モノの執着はありませんでした。母は自分でタンスをゴミに出したりと長年をかけて断捨離してきた身なので、モノはいらないと話していました。今回、おばあちゃん家を売るにあたり、家族のことでドタバタしたこともあるからでしょうか、潔く「モノは大丈夫」というスタンスを貫いていました。

私はどうでしょうか。私は絵や着物に興味が湧きました。そのため今回自分が持って帰るモノの主なモノは絵となりました。おじいちゃんはお酒が好きで、年代物のお酒がたくさんあったのですが、これらはかなり高価なモノなんだろうと思いつつも、全く知識がないので処分でいいやという所に至りました。モノを選ぶにあたり、教養とはこういうところに出るのかな?と思ってみたりしていました。

私の中で持って「素敵だな」と思いつつも、帰らなかったモノがあります。それは本です。おじいちゃんは私が大人になった時もなお、おじいちゃんの方が英語ができるくらい英語ができる人だったので、家にはたくさんの英語の本や絵に関する本、シェイクスピアのような昔の本がありました。私はかつてならこれらの本に興味が湧いたのだろうなと思いながら、それらを持って帰るという選択をしませんでした。

私はかつて本を収集することにハマっていました。家の近くにBOOK OFFがあったことも功を奏し、何かと買って帰っていました。楽しみもありましたが、本を気軽に帰ることで知識がつけられるかな?成長できるかな?という狙いをかなえようとしていました。そうした中で私が集めた本の一つに画集があります。様々な画家を買いました。20世紀の有名が画家の画集はほど買ったのではないでしょうか。30冊程度の分厚い本が今も実家(私の母の家、今回売る家ではない)にあります。

多くの本を買って思うのは、買うことに満足して読み直さないのです。そりゃあどの絵もトキメキを感じますが、その瞬間出会うことが大切といった形でした。私にとって本は「食事」のようなものでした。その時出会って、トキメキを感じて満足するのです。一度見た絵だけでは覚えないかもしれませんが、かつての私は絵を模写することを趣味としていることがありました。そのため様々な絵から自分の好みの絵を選ぶということをしていました。じっくり眺めて吟味しただけあって、たくさんのイメージを覚えています。じっくり味わっただけあって、その時は夢中になりますが、熱が冷めると見返すことがありません。すでに知っているものとなって鮮度が私にとっては落ちるので、もう一度出会わなくてもいいのです。

画集以外にもおばあちゃん家には様々な本がありました。それらに「もったいない」と感じつつも「私はいいかな」と思えました。本が好きな昔には考えられないことです。そうして1軍には本は選ばず、兄弟が少し欲しいと話していた本を数冊選びました。私は選びながらも「おそらく一生持って帰ることはないんだろうな」と思いながら選びました。きっと兄弟も本を「食事」のように捉えています。ただ、今回、おばあちゃん家を売却するにあたり、やっぱり未練があったのでしょう。私に数冊これがほしいと頼んだ家族の姿がそこにありました。

2.食後の休憩とアルバム整理後

食事を挟み、おばあちゃん家からのアルバムを整理した後に、再び書き連ねています。写真は驚くことに、おじいちゃんの生まれた時の写真がありました。おじいちゃんの生まれた時ということなので90年以上昔の写真になります。風化して全然わからない状態になっているかと思いきや違いました。おじいちゃんの顔が現代の白黒写真のようにはっきりと見てとれます。

写真を整理していて驚くことは他にもありました。おばあちゃん達が家を買った時の庭の植物の育っていなささ、今は森みたいになっているのですが、買った当時はなんと綺麗に整った形だったのだろうと、年数の月日を感じました。

他にも時の経過を感じたことはあります。おばあちゃんの幼少期の写真まであったのです。おばあちゃんのお母さんの写真までありました。その頃は着物が普段着なので、どの写真を見ても着物と割烹着のような形です。住んでいた家の写真も残っていて、まるでNHKの大河ドラマのような世界観です。本当にこんな所に住んでいたんだと感動しました。

3.写真を家族にシェアして一人になった後

昔の写真をスマホで写真を撮って、遠く離れた家族に見せたところ、大反響でした。昔のおじいちゃんの姿がおじちゃんそっくりだ、とか、おばあちゃんの姿がお母さんそっくりだ、とか、ウチがいかに富裕層だったか分かるねと言ったリアクションです。確かに写真を見返すと、本当に富裕層であることが伺えます。何より面白いのはおばあちゃんの若い頃が最近の流行りに流行な人と同じように見えることです。海にサングラスとワンピースで行く姿は、おばあちゃんは育児よりもお出かけに興味があったんだなと様子がわかりました。

今は部屋でひとりになって気持ちを書き起こしています。今日1日で色々なことがありました。モノに執着する家族、執着しない家族、かつての姿を見て団欒する家族。私が落ち着いて抱く感想はお金持ちであっても必ずしも幸せかどうかは限らないということです。

モノの話から言えば、おばあちゃん家には骨董品がたくさんありました。しかし今回「1軍」として持って帰ってきたのは、親しみがあるモノでした。骨董品というおばあちゃん達が押し入れで大切に保管しているモノよりも、毎日使いしているモノに良いなと感じたのです。

そういえば写真から意外な側面を感じました。それは普段笑わないなと思っていたおじいちゃんが、どの写真でも屈託のない笑顔で笑っていたことです。おじいちゃんが海に行った時の写真もあったのですが、柔道をやっていたと言っただけあって、筋肉質なカラダつきは健康そのものでした。写真を見て孫の私でも「素敵だな」と思えました。私が接してきたおじいちゃんは定年退職後のおじいちゃんが主なので、頑固で気難しいという印象でした。素敵な家族の姿を知れてよかったなと感じました。

他にもおばあちゃんについて穏やかな一面しか知りませんでしたが、写真からは流行やおしゃれが大好きな感じを覚えました。おばあちゃんが高校生の頃の写真もあったのですが、その頃の写真は「THE 学生」という真面目な顔をしているので、きっと働きはじめて自分で自由なお金を使えるようになってから、その側面が開花したのでしょう。

4.旦那さんと電話後

また時が開き、旦那さんと電話をしました。今日あったことや最近あったことを話しました。結果「今回のイベントが終わったらひとりになった方がいい」という所に行きつきました。

旦那さんに今日あった出来事を話す上で、私は「生活に重きをおきたい」という話をしました。その「生活」には車や家や家族といった「モノ」が含まれていました。この「モノ」とは「目に見えること」ということです。つまりは写真に写ることということです。私は今、生活のイメージが「目に見えること」として捉えているのです。

私は実家にいること5日目なのですが「昔に戻った」と思いました。一通り話して、旦那さんのリアクションを見てそう思ったのです。言うなれば「他責思考」、言うなれば「執着がある」、言うなれば「モノ重視で精神重視ではない」ということです。

これはおばあちゃん家の断捨離をした後だからこその私だとも言えるでしょう。しかし「生活に重きを置きたい」と話す私は「おじいちゃんとおばあちゃんは豊かな暮らしをしてた」や「普通はこういう生活しないよね」といった所から「家や車、家族が欲しい」ということをイメージして話していたのです。私の心は本当にそれを望んでいるかは別として。

私が「生活に重きを置きたい」と話終えた後、旦那さんはあまりリアクションをしませんでした。反応が薄いのです。「そうねぇ」「良いんじゃない」ということしか言いません。このような事しか言わない旦那さんが出てくると、決まって私はどこか誰かを責めたり強い口調で話している可能性があります。その反応を見て「あぁ、昔に戻った強い口調になっていたんだな」と気づきました。

親と5日間という長い時間一緒にいたこともあるでしょう。その生活サイクルの中で、私は自分の気持ちを置き去りにしました。モノを持って帰るというイベントにおいても、誰かの気持ちを真っ先に配慮していました。自分の気持ちは後回しにして。

おばあちゃん家で断捨離をする中で、1軍ではないから持って帰るのをやめるモノがありました。すると横でその様子を見ていたお母さんは「え?やめるの?」というリアクションをしていました。私はその反応を見て「いつでも捨てれるし、とりあえず持っていくわ」というリアクションをしていました。お母さんが一瞬もったいない、愛着がある形を読み取っていたのです。

お母さんはこの度一切モノを持って帰りませんでした。強いて言えばジュエリーくらいです。思い出の品などには興味を示しませんでした。持って帰るものは実用品ばかりです。ついには最近おばあちゃん達のために買った洗剤を持って帰ると言った時には驚きました。「もっと1軍な持って帰るモノがあるのに・・・」と私はなんとなく思っていました。

そのように利便性でモノを選択するお母さんはかつて家の断捨離をしています。その時にいかにモノを捨てることが大変か痛感しており、自分もいつかは身軽にならないといけないと思い、これ以上モノを増やさないようにしているのです。ですけれども、やっぱり実家であるおばあちゃん家には未練があります。元々お母さん自身の部屋であったおじいちゃんの部屋には「入れない」と言うし、特別な想いがありそうです。今回もひとりで行くのが嫌だからという形で私が呼び出された形でした。

私がモノを捨てる際に「え?捨てるの!?」とリアクションするお母さんを見て、持って帰る姿にはどこか乗り気で、置いて帰るのはどこか進めないお母さんを見て、私は「お母さんのため」にモノを持って帰る決断をしました。正直、そこでえいやと心を決めて捨ててきた方が楽だったと感じます。だけれども目の前の「周りの執着や自分の執着」と縁を切れずに、私なりにバランスを取った行動をしました。

カラダの疲れや心の疲れが旦那さんとの電話で出たのでしょうか?私は旦那さんに「どう思う?」という少し詰め寄ったニュアンスで話をしていました。敏感に普段よりも余裕のない私であることを感じ取った旦那さんは「そうねぇ」「良いんじゃない?」と受け止めることに徹します。私は自分に余裕がないのだと気づきます。

こうした一連の流れから、私は「自分がどうしたいか分からない」「ひとりの時間が必要」ということに至りました。私は仕事をやめるという決断をしてから、「より満たされる」ように動いてきました。「より満たされる」ように「エゴをなくす」ように生きてきました。その結果、ずいぶんと執着がなくなったと思います。しかし実家に帰るや断捨離するというイベントがあると、ひょっこり執着が顔を出すようです。

今の私はモノへの執着があって、精神的な観察には至っていません。おばあちゃん家から持って帰ってきたものは全て直感で「どうしてそれを持って帰るのか」ということまでは考えずに「おばあちゃん家から1軍を持って帰ってくる」というミッションを終えました。おばあちゃん家に滞在できる時間は限られていますし、モノは今日を逃せば全て破棄されるので、本気で集中して取り組みました。家族から頼まれていたのもありますし、仕事のように久しぶりに神経を冴えわたらせて取り組みました。

その甲斐あって、悔いなくモノを持って帰ってこれたと思います。できることはやりました。しかし仕事と同様で私の気持ちは置いてけぼりなのです。今回のおばあちゃん家から必要なモノを持って帰ってくる、という日はいつかやって来ることは幼い時からわかっていました。幼い時は「これ頂戴!」と言っても「だめ!」と言われたモノも自由に持って帰ることができました。

事前に持って帰るモノを決める人もいるでしょう。機会が1度しかないと聞けばそうする人もいると思います。しかし私は何も予想など立てずに行きました。他の家族の持って帰って欲しいものリストを片手に「1軍を持って帰って来る」ということを行いました。その結果私が選んだものは絵やぬいぐるみなどの愛着があるものだったのですが、これを得て私は何がしたいのだろうと思えています。1軍を持って帰ったけれども、それでもまだ量が多い気がして、ここから更にまた捨てようと思っています。しかしもったえなくて捨てれない私がいるのです。

まるで会社を辞める時のデジャブです。私がお母さんに会社を辞めようかなと伝えた時も「え!?辞めるの!?」というリアクションを得ました。このリアクションから、私はお母さんが会社を辞めてほしくないのだろうと思っていました。しかし実は違ってお母さんは「確かにもったえないとは思うけど、あなたの人生だから好きにして良いよ」と思っていたのです。きっと今回のモノも同様です。「え!?捨てるの!?」とリアクションをしますが「いらないならば捨てていいよ」となるのです。

他にもお母さんの「え!?捨てるの!?」というリアクションを見て、捨てることを辞めたりする私の行動にも、会社員の頃と同じ考えが反映されていると思います。目の前の人のリアクションに流されてしまうのです。流されに流され、私の気持ちを置いてけぼりにした結果、私は人生が面白くなく感じました。何のために生きているのだろう?という形になりました。そうして恵まれている環境を辞めてまで「より満たされる」ための追求をしたのでした。

人と関わる機会をなくし、エゴのない生活をしていくうちに、私は自分が求めていることに気が付けるようになって行きました。好きなこと、心地よいこと、求めていること。私は人や動物が好きですし、視覚的なことに興味を持ちます。あったかいお茶を飲んで深く呼吸するとリラックスしますし、自分が自由に冒険できることを求めています。自分の中の小さな比較の中で「より満たされる」ための自分の感度を高くした結果、かなり自分の好みや心が求めていることに気づけるようになったと思います。

そうした矢先での今回のおばあちゃん家から1軍を持って帰るミッションでした。普段から「自分の好きなもの」の感度を高くしているだけあって、私が欲しいものはすぐに見つけることができました。しかし家族から頼まれた「持って帰って欲しいもの」の厳選には時間がかかりました。「きっとこれが欲しいと思うだろう」と予想されるモノを選んでいくのですが、どんなに家族の感覚に合わせてみても、自分が必要としていないので「まぁいいか」となってしまいます。そこを混乱しながらも厳選したのが今回のミッションでの一番難しい所でした。

私は今、カラダも心も疲れています。カラダは純粋に重たいモノを運んだからという理由で疲れているのですが、心は誰かに沿おうと自分の心を置いてけぼりにしたせいで、何だか空っぽです。

ちなみに11月の私はずっとゲームをしていました。それは結婚式、ワクチンを打ったり、おばあちゃん家に行く、友達に会うなどのイベントが続くことがわかっていたので、何か中断しやすいモノを私の中で選んでいました。結果、イベント以外の時間はゲームをすることで自分のエネルギーをうまく回せていたと思います。しかし今回のことがあり「ゲームももう良いかな」という気持ちになりました。それよりも「自分とトコトン向き合いたい」と思うに至るわけです。

旦那さんに電話をかけた時「将来どうしたい?」と私は聞いていました。私は私自身、3ヶ月後の自分がどうしているか分かりません。もっと言えば1ヶ月後の自分の姿さえもわかりません。そんな中でなんとなく旦那さんと私のベクトルがずれている気がすると思って「将来どうしたい?」と言葉をかけていたのですが、ズレていたのは私の方かもしれません。1軍を限られた時間内に持って帰るというイベントの中でモノの執着が大きくなったのです。目に見えるモノを大事に思う気持ちが膨らんだのです。

これまでは「エゴをなくすため」というテーマの元、自分の気持ちを追求することを避けてきました。もちろんその都度考えているのですが、現実的に「自分がどうしたいか」ということを考えることを避けてきました。現実的に考えれば考えるほど、エゴが出るためです。そのためにあらゆることを気にかけないように心がけながら生きました。食べるもの、寝る時間、買うもの、取り組むものなどです。その結果、集中したり飽きたり、休んだりと色々な状態があるのですが、最初のうちはそれに意味づけしたりと忙しかったのですが、だんだんとそんな状態もあるよねと受け入れるようになり、状態が変わる私自身をこれで普通だよねと思う所まで持ってきました。

そうして今「現実的に自分だどうしたいか」を考える時がきたと思っているのです。引っ越そうとは前から思っているのですが、自分に何に興味があって、どんな世界の門を叩きたいから、その引っ越しをしようとしているのかを考えたいと思っているのです。精神面で何を大切にしているのかを浮き彫りにしたいと思っているのです。目に見えるモノではなく、私自身をハッキリした輪郭で捉えたいと考えているのです。

明日は引きこもって、湧いてくるなりの自分の考えを書き出そうと思います。どんな自分が現れるか楽しみです。おやすみなさい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?