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エレファントカシマシのこれから

前回のnoteで書いたけれど、やっぱりファンの心配を見透かすようなビッグニュースでしたね。

やっぱりエレカシの絆は強かった。
宮本浩次は自分からメンバーを切り離したり、ましてやエレカシ解散とかの選択をしないのは、これまでの経緯をみてもわかっていたし、石くん・せいちゃん・トミのみやじへの愛や敬意は、ファンにはきっと到底わからない次元のものなのだ。
彼とこれだけの長い間一緒にいられるのは、そもそもメンバーだって、規格外の人の一部だからなのであって、4人の関係性に他者の理解なんて求めてない気がする。

今回の動きをみて、彼らの絆の強さみたいなものが証明された気がして、私はなんだか勝手に嬉しいのだ。

メディアに出なくなったって、ツアーができなくなったって(音楽で飯を食えるくらいには)元気に音楽をやってくれていたらそれでいい。

「時」を待てばいい。
生きていれば遅いことなんかない。

宮本浩次が、エレファントカシマシが、なぜ音楽を作り続けているのか。
それは紛れもなく、その思想や思念を世間に届けたいからだ。
それくらい譲れないものがあるから、やめない選択を続けていると思う。

もちろん世間の一部にもファンは含まれていて、世間の中では最も彼らを理解し愛する近しい人たちなのだから、彼らはどんな形であれ、いつか私たちにその音楽や想いを届けてくれる。
私たちは、届けられた音楽を今までどおり、変わりなく愛し楽しむ。

そんな関係性でいいのだと思う。

また、私見でしかないし、余計なおせっかいでしかないけれど、宮本浩次という人は、いろんなことを感じすぎてしまうと思うので、中には取り込む必要のないであろう余計なものにも引っ張られたりしやすいかもしれない。
そんな繊細な彼が、大きな組織の中で生きていくのは、とても心労を伴う日々だったのではないかと思う。
さらに、ここ5年はソロ中心にやってきていたし、ソロが好調だったこともあって、きっと気も張りつめていただろう。

たまにメディアでみる彼が、優等生であればあるほど、私はどこかで無性に焦燥感を感じていた。
エレカシのみやじと、ソロの宮本浩次、どちらも彼自身であることに変わりはないけれど、やもすると真面目に取り組みすぎて本質の自分と世間の自分の間で葛藤や矛盾が渦巻いていないだろうか感じることもあった。
特にソロでの成功を手に入れる代わりに、本来の自分を抑圧していないかはちょっと心配になるくらいだった。
それくらい、優等生な宮本浩次だった。

そんな5年間の取り組みで彼は一体何を得て、何を失ったのだろう。
私たちファンにはわからない次元の話しで、想像もつかないけれど、その5年の結果、選択したのが今回の形なら、今後はその形をできる限り全力をもって応援したいと、いちファンとして思う。
それによって、また彼は何かを失い何かを得るのだろう。
そこから紡ぎ出される彼の言葉や音楽を、今のエレファントカシマシで奏でられて世に放たれていくのなら、楽しみ以外の言葉はないじゃないか。

結局、自分の人生は自分で決めるしかない。
周りがどう言おうが、自分が後悔ないかたちで生きていくしかない。
仮に口出ししてきた人がいたとしても、他人は自分の人生の責任なんかとってくれない。
それに、どうせ最後は全員死んじゃうんだから、見てくれをいくら作り上げたところで、最終的には記憶以外何も持っていけない。
だから「やっぱりあの時ああしておけばよかった」なんて思ったら、死んでも死に切れなくなっちゃうではないか。

だからこそ、いつだって彼はそれを歌っているし、自分で(自分たちで)運命の歯車をまわしていこうって決めているのだろう。

今この瞬間も「幸せよ、この指に止まれ」って思いながら、また何かを選択しているに違いない。
それは、人は皆同じだと思う。

そして、こっちの選択の方が幸せだって思って決めたことなら、きっと後悔の残らない選択になっているのではないか。
一時的に沈むこともある。
人生山あれば谷があり、また山がきて、信じて転がるエブリディってところだろう。

そういえば、もう桜が咲き始めた。

とりあえず、私の感覚では、今回の流れは、今まで賃貸住まいだったエレカシが、持ち家を建てたみたいな印象を受けている。
おめでたいことなんじゃないかな。

覚悟を決めた人は強い。
どうか、エレファントカシマシにこれからにたくさんの幸せが止まってくれますように。


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