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魔法使いのなみだ(4)

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 小屋へ戻ると、ユキはすぐさまキッチンのいすに腰をかけた。ミサトも同じようにテーブルを挟んだ反対側の椅子に腰を落ち着ける。まだ胸の奥がどくどくと忙しない。今日は、なんという日だろうとミサトは思った。夕方に目を覚まし、狼の声を聞き、ユキとともに狼を助ける。しかし解けた謎はふたつあった。


 ユキの言っていた薬屋という職業。それから、森を守っていると言ったこと。あれは今のように森の動物たちのための薬屋をやっているということだろう。
 ちいさく息を吐くと、同時にユキもため息をついた。やわらかなあかりがユキの黒髪をつやつやと照らしていた。
「さっきのウィンシーみたいな症状が悪化すると、あなたが知っているあの噂の姿になってしまうの」
 ぽつりぽつりと話し出すユキ。テーブルに突っ伏しているので顔は見えないが、いきなりのことに最初は耳がついていかなかった。反芻してみて、次は意味を理解できなかった。噂の姿?
「あなたの街に伝わっているのでしょう。魔物が襲ったような動物たちの亡骸が、まれに見つかるって。それが今この森で時々起こる病気なの。一晩で骨が腐る。魔物でもなんでもない、動物のかかる最悪の病気」
 突然の告白にミサトは言葉が出なかった。あの噂、両親から言い伝えられた人食いの魔物の怖い話。それが、動物を襲う病気だという。うそだ、と口から息だけ漏れる。母に叱られたときとは比較にならないほど愕然としていた。


「わたしのおばあちゃんたちはみんな魔法使いだった。でも、杖を持つような種族でも、呪文を唱えるような種族でもない。わたしたちは、ずっと薬を作ってきた。魔女の薬。それは昔秘薬としてこっそり人間の世界にも渡っていたの。もうずいぶん前のことだけど。そうね、もっと森が広かったころは街よりも村が多くてね。おばあちゃんたちは住みやすかったんだけど、あるとき立ち退きが命じられたの。森を開拓するから、奥に行けって。それでたくさんいた家族たちも親戚たちもどんどんどんどんいなくなって、その辺はおばあちゃんから聞いた話だけれど……ここに住むのは、今はとうとうわたしひとりよ」
 最初にユキが言った魔法使いというのは嘘ではなかった。ミサトの知っている魔法使いとは違っただけだろう。薬屋というのもどうやら代々受け継がれてきたことだと思った。
「そのうち、森が狭まるにつれ、街のごみや汚れを浄化することができなくなっていった。昔はたくさん薬草も生えていたし、空気を綺麗にする植物も虫たちもたくさんいたの。でも気づいたら、動物たちは病気にかかりやすくなっていた。その中の一番かかってほしくないのが、あなたたちが魔物に食われたと噂をする、あの病気よ。人間に被害があったのも、分からないけれど、病気になった誰かに咬まれたり、引っ掻かれたりして感染したんじゃないかな。わたしは今まで何匹も助けることができなかった。でも、今日摘んできたあの芥子(けし)は、あの薬と合わせることですごく効く薬になったわ」

「……ユキさん、ごめんなさい。ぼくあんなこと……」

「ねえ、人間って、どうして自分の間違いを他人のせいにしたがるのかしら……」

 君の仕業なの、ミサトはそう聞いた。昨晩、この場所で。あのときのユキの気持ちを思うと謝らずにはいられなかった。それから、捻じ曲がった噂が広まっていることにひどく腹が立った。
 なぜ、責任を魔法使いたちに押し付けたのだろう。なぜ森を狭めたのだろう。だんだん本当に怒り出しそうになるのをユキが顔を上げて制する。
「ミサトはいい子ね。うん、いいことを教えてあげる。あなたも古い魔法使いの血を引いてる。動物たちの声が、聴こえたでしょう?」
「えっ?」
 ミサトは思わずユキの目を見つめた。黒く、澄んだ瞳。その目が、仲間だと伝えているような気がして。
「遠い遠い、ずっと遠い先祖なんでしょうけど。普段は声が聴こえないと思う」
「どうして、ならぼくは動物たちの声が聴こえたの? それに今日ぼくがずっと眠っていたのはどうして?」
「たぶんわたしが力を持っていたからじゃないかしら。共鳴っていうのかな、この森にいたらきっと、その奥底の血が動き出すんだよ。あと、今日ミサトが夕方まで眠っていたのは体が疲れていたからだし、夜まで眠るくらいだと思ったけれど。さすがそこは魔法使いの血を引く者だわ」
 ふふっとくすぐったそうにひとつ笑って、そしてユキはこちらに向き直った。
「……ねえミサト。お願いがあるの」
「なに?」
 そう問うと、ユキは最高のあの笑顔でこう言った。
「今度はあなたがこの森を守って。わたしと一緒に」


 ミサトは来たときと同じように森の中を歩んでいた。湿った空気にときどき香る獣のにおい、枯れ草を踏みしめる妙に柔らかな感触。枝葉が頬や腕、ひざなどの剥き出しになった肌にぶつかり傷をつくっては逃げていく。

 ミサトは魔法使いの言葉を思い出していた。

 この森をわたしは出て行くことになる。もう、動物たちも住めなくなって他へ移動している。でも今ならまだ間に合うかもしれない。動物たちの病気のこと、噂が広まっているそれよりたくさんに、広めてほしいの。たぶん老人なら魔法使いのことを知っている人もいるわ。力になってくれるかもしれない。広めて、そして森を、動物たちを守ってほしいの。


 そう言って硬く握手をしたことを、最後に思い出してこぶしを胸に当てた。
 ミサトは足を懸命に前へと進める。ふと、遥か後方で小さく、ギャ、ギャと鳥の鳴く声が聴こえる。「ユキ、お母さんがまたいない!」そう声は言っていて、思わず顔がほころぶ。


 絶対に森を守らなければならない。

 ミサトはそう強く思い、ずっと先に見えてきた小さな小さな森の出口を目指した。


ーThe ENDー

image by:Cdd20


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