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25歳の私へ

2010年3月9日 18:44

「あなたにとって、人生とは何ですか??」

この問いに、みんななら何て答える?

きっと十人十色の答えになるだろうから、興味があります!

教えてー!

ちなみに私なら、こう答えます。

「私にとって人生とは、味わうものである。」

…どういう意味か説明すると、

たとえば、人生における悲しい出来事、面倒くさいこと、傷ついたり逃げたくなったり、その他もろもろ、排除するとしよう。

緊張するのが嫌だ、と思うのなら人前に出なければいい。
裏切られたくなければ、期待しなければいい。
何かを失いたくないのなら、そもそも何も愛さなければいい。

つまりね、人生における嫌な部分を排除するということは、同時に良い部分も排除することになるんだよ。

「悲しくない」という状態があるからこそ、「悲しい」が存在するんだ。
もし仮に、生まれたときから死ぬまでずっと悲しいままの人がいたとしたら、本人は自分が悲しいということにさえ気付けない。

まあこれには逆説もあって、生まれたときから死ぬまでずっと幸せなままの人がいたとしたら、本人は自分が幸せなんだと気付けないと思うんだけど。


だから私は、何かを失って悲しくなったら、「こんなに悲しくなれるほど失いたくないものを、私は持っていたんだ」と感じるのです。

たとえばライブとかで人前に立つときだって、緊張はするけど、「こんな緊張しちゃうような素敵な舞台に自分は立たせてもらっているんだ!ありがたい!!」と感じるし、
目の前に悩んでる人がいて、親身に相談にのることができるのも、過去に自分も同じように悩んだりしたことがあるから、他人の気持ちを理解してあげられる。


どんな苦しみも悲しみも、じっくり味わってみれば、自分が今までどれほどの幸せに囲まれて生きてきたのか、実感できるっつーもんです。


長くなっちゃった…


みんなの意見もぜひ教えて!


2010年4月5日 17:34

80年代生まれ(それ以前生まれも含む)のみなさん!

小学生の時、携帯電話なんて持ってなかったよね!?

まぁ私も携帯持ったのなんて中3からなんですが、携帯がなかった頃、授業中に手紙書いて休み時間に他のクラスの子と交換とかしてたなぁ…なんて思い出してさ

それこそmixi、2ちゃんねる、YOUTUBE、ウィキペディア、

あの頃ってなんにも無かったんだよな~~~

これらの変化って、ほんのここ10年くらいの話よ!

情報がたくさんあるのって、ホントにほんとに本当に便利。うん。


でも同時に、どれが本物かわかんない。


情報の取捨選択に費やす時間って…

結局便利じゃなくなってるような。

それでも生きてきた年数分だけ、そういう力を養っている大人はまだいいさ!

現代の子供たちは、どうやって「その情報」が本物か偽者か見分けているんだろうね!?


…なぁ~んてよく考えている今日この頃です!

世間に溢れる情報というのは、都合のいいように操作されているものもたくさんある。(もちろんそうじゃないものもあるけどね)

そういうものたちに踊らされて、大切な何かを失って欲しくないなぁ…

「大切な何か」って、私は「己の感覚を信じること」だと思ってます!

自分が自分の感覚で、好きだと思ったり良いと思ったりしたもの!!

まっさらな気持ちの中で、すーっと自分の胸に入ってくるもの!!

これらを忘れずに持っておけば、こんな世の中でも我を見失わずに進んでいけるんじゃないかしらー!

まあコレは常に自分自身に問いかけていることでもあるけどね♪


(以上mixiの日記より)


25歳の私へ。
ハロー、こちらは2021年1月20日。私は35歳になっちゃいました。
もうメッシュやツーブロにもしてないし、マツエクもしてない。
白髪もあるし、お肌もたるんできました。
でも、毎日オシャレしてるしそこそこ頑張ってるよ。
そして相も変わらず、毎日音楽を聴いてる。
ハッキリ言って、まだまだ苦難の道が続いてます。安息の日々は遠い。
でもあなたのこの言葉達を見て、気付くことができました。
私、そもそも安息なんて求めてたっけ。
「人生は味わうもの」であり、「大切な何かは己の感覚を信じること」だということ。
そうだよね。思い出したよ。

生きている限り、味わうことのできる人生がそこにある限り、可能性は無限に広がる。
そのことに感謝しなくちゃね。

ありがとうね。

p.s ちゃんとメイク落としてから寝なさい!あと日焼け止め絶対塗って!!

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