見出し画像

志賀直哉『暗夜行路』

高校一年生の『現代の国語』に収録されている「城の崎にて」。授業で扱うたびに、脚注の解説に出てくる『暗夜行路』を、まだ一度も読んでいないことがずっと気になっていました。ようやく読了!

ひとは過ちをどこまで、赦せるのだろう。不義の子・謙作の魂の昇華を描破した、日本近代文学の最高峰。
祖父と母との過失の結果、この世に生を享けた謙作は、母の死後、突然目の前にあらわれた祖父に引きとられて成長する。鬱々とした心をもてあまして日を過す謙作は、京都の娘直子を恋し、やがて結婚するが、直子は謙作の留守中にいとこと過ちを犯す。苛酷な運命に直面し、時には自暴自棄に押し流されそうになりながらも、強い意志力で幸福をとらえようとする謙作の姿を描く。

新潮社 書籍詳細:暗夜行路より

『暗夜行路』は、志賀直哉の唯一の長篇ですが、11年の中断の時期も含めて草稿の段階から26年後に完成した作品です。発表までの経緯について詳細が記されている「あとがき」には、作品についても、次のように言及されています。

主題は女の一寸したそういう過失が、ーー自身もその為め苦しむかも知れないが、ーーそれ以上に案外他人をも苦しめる場合があるという事を採りあげて書いた。(略)
主人公は母のその事に祟られ、苦み、漸くそれから解脱したと思ったら、今度は妻のその事に又祟られる、ーーそれを書いた。(略)
『暗夜行路』は外的な事件の発展よりも、事件によって主人公の気持が動く、その気持の中の発展を書いた。

「あとがき」より

主人公時任謙作の人生を襲うのは、母と妻の過失に影響される事件だけではありません。生まれて間もない息子が丹毒となり、発病後一月で「苦みに生れてきたような」人生を終えることになります。

「どうして総てがこう自分には白い歯を見せるのか」
「今までの暗い路をたどって来た自分から、新しいもっと明かるい生活に転生しようと願い、その曙光を見たと思った出鼻に、初児の誕生と云う、喜びである事を逆にとって、又、自分を苦しめて来る、其所には彼は何か見えざる悪意を感じないではいられなかった」

その後、二人目の子供もできながら、自分の思いを持て余し続けている謙作は、「お互いに気持も身体も健康になって、又新しい生活を始め」るために、大山へ行くことを選びます。そして、物語は、あまりにも有名な大山の中腹で見る夜明けの場面へと繋がっていく訳ですが、ラストに向かって描かれていく謙作の「気持の中の発展」の静けさに、志賀直哉らしさを感じつつ読み終えました。

人類が地球と共に滅びて了うものならば、喜んでそれも甘受出来る気持になっていた。彼は仏教の事は何も知らなかったが、涅槃とか寂滅為楽とかいう境地には不思議な魅力が感ぜられた。

疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感ぜられた。彼は自分の精神も肉体も、今、この自然の中に溶込んで行くのを感じた。

彼は今、自分が一歩、永遠に通ずる路に踏出したというような事を考えていた。彼は少しも死の恐怖を感じなかった。

ここには、「城の崎にて」の志賀的死生観に通ずる静寂に加えて、人間も自然も全てを「只其所に置かれてある」ものとして受け入れることで満たされる精神の快さがあると感じました。私たち人間も、自然と同様に、ただそこに存在しているだけでよいのかもしれません。

謙作は黙って、直子の顔を撫でまわすように只視ている。それは直子には、未だ嘗て何人にも見た事のない、柔かな、愛情に満ちた眼差に思われた。

生死のふちを彷徨いながらも、謙作の浮かべている、無為自然ともいえる穏やかな表情を印象的に思ったラストでした。(八塚秀美)