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カエルなのかカエルじゃないのかどっちなんだい

この季節になると、そこら中にカエルが跳んでいる。
家から大きな道路に出るときに必ず通る、両側を田んぼに挟まれた、ギリギリ乗用車が通れる細い道には小さいカエルがわりと絶え間なく横切っている。そのカエルたちは結構小さいので、歩いていると避けれるのだが、車で通るときは避けようがないので、絶対にこの夏も私は知らない間にカエルを数匹、下手すると数十匹、車で踏み潰しているのだろうと思うと、カエルには足を向けて寝られない。でも私の寝床はその細道に足を向ける形になってしまっているので、実際毎日足を向けて寝てしまっており、だからと言って寝床を逆にしたり、カエルを踏み潰さないような努力を何もしていない自分は結局この文章を書くためだけにカエルに偽りの罪悪感を抱いているのかもしれないということを思うと、もう何も言葉が出ない。

犬の散歩をしているとき、前方にカエルがいるのが見えたので、犬がカエルに気づかないように避けて歩いた。無事犬はカエルに気づかず、カエルは道路を渡ることができた。その数秒後、私は右足に違和感を覚える。靴下を履いてスリッパ形式のサンダルを履いていたのだが、右足の甲とサンダルの間に「何か」があるという感触がある。カエルを見送るまではなかった感触だ。何かゴミが入ったのかな?と思ったが、なんとなくその物体の感触はゴミというには大きく固形感が強く、石というには柔らかいという感じだ。
もしかして、カエルがここにいる・・・?と思ったが、私は確かにカエルが道路を横切るのをこの目で見て安堵したし、私が見たあのカエルではないことは確かだ。しかし、この季節はカエルがたくさんいる。ということは、あの場にいたカエルは一匹ではなかったのかもしれない。私の目には一匹しか入らなかったが、私のサンダルにはもう一匹のカエルが入っているのかもしれない。しかし、私は靴下を履いていたため、カエル独特のあのぬめっとした感じが感じ取れず、あくまでもまだ「何かある」くらいの感覚しかなかったので半信半疑であった。ここまでは違和感に気づいて約2秒くらいの思考だ。

でももし、本当にカエルだったとして、カエル側からその状況を考えると、私以上に地位転変な状況であるに違いない。さっきまで道路の上で楽しく(?)飛び跳ねていると思っていたのに、次飛び跳ねた瞬間に視界はほとんど真っ暗になり、身動きが取れず、大きく揺れ動く「何か」に自分の身体が絡め取られてしまったのだ。自分で遊園地のジェットコースターに乗りたくて乗ったのではなく、日常をただただ過ごしていたら、急に真っ暗なジェットコースタに乗せられてしまったようなものだ。たまったものではない。そう思うと、このまま歩き続けることがとても申し訳なくなってきた。

まだカエルかどうかは分からないが、私は立ち止まり、下に目を向けずに右足のサンダルを脱いだ。再びサンダルを履くと違和感は無くなった。すると、私のいた場所からどこからともなく一匹のカエルが跳んでいった。
やはりあの物体はカエルだった。

カエルを日常に戻せて良かったと思う反面、実際カエルがサンダルの中にいたことを思うと、よく数秒間だけでも冷静でいられたなと思った。私はカエルが得意というわけではない。もし裸足だったら、あのぬめっとした感じですぐに「カエルだ」と分かるし、そのぬめっとした感じが気持ち悪くて軽く声を上げながらすぐにサンダルを脱いだはずである。
私はすぐに「カエルだ」と分からず、しばらくそのまま歩いたし、歩いている間に「カエルかどうか」に加えて「自分がそのカエルだったらどう思うか」ということまで思考し、ついにはそのカエルに同情すらする余裕があった。

私が靴下を履いていたことにより、カエルかどうか分からないということと、カエルのあのぬめっとした感じを感じなかったことが私の余裕を生んだ。それは一見、虫をティッシュで掴んだり、熱い鍋を鍋つかみで掴むことと同じ余裕のように思えるし、確かにその要素もあるが、自分が意識せずに何かを介したときにできる余裕というのは、「それが何なのか確信ができないこと」も大きな要因となっているように思う。いわゆる、「知らない方が幸せ」みたいなことだろうか。・・ちょっと違うか?

さらに、実際に素肌で触れることと、何か布などを介して物に触れることの感覚のギャップというのは思っているより大きいということにハッとしていた。靴下を履いているかいないかで、この数秒の私の鼓動の速さや身体の動きやリアクションや脳の信号の量は全く異なる反応になっていたことをこのカエルによって実感した。

自分が思っている以上に、素肌で何かに触れたり、人と人が肌で触れ合うことはとてつもないことであり、「人肌恋しい」という言葉にものすごく強い感情があるように思えてくるし、ましてやセックスなんてのはとんでもないことで、そう思うとこの世界はとんでもなく刺激で満ち溢れていることをカエルは教えてくれたので、私は毎日カエルに足を向けつつも、ありがとうという気持ちで眠ろうと思った。

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