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【コラム】 KILROY WAS HEREで遊ぼう

KILROY WAS HEREって何?

「KILROY WAS HERE」この文字を見て、「お!」と思う日本人はどのくらいいるのだろう?
日本で生まれ育った私が「KILROY WAS HERE」と出会ったのは、おそらく2019年にグラフィティーの歴史について調べていた頃で、その前までは全く知らなかった。

しかしアメリカではこの言葉は馴染み深いもの、という記事を見た。本当かどうか分からなかったので、「Hello Talk」という海外の方と話せるアプリで聞いてみた。その反応を見ると、30代以上の人には結構知られてるとのこと。
「私のおじいちゃんがいっつもこの絵ばっかり描いてて、私はそれが嫌だった(笑)」というコメントがあり、思わず見知らぬ家族のほっこりエピソードが聞けたのはとても良かった。

というわけで薄々お察しの通り、「KILROY WAS HERE」は「絵」であり、第2次世界大戦の時にあらゆる場所で発見された、誰が描いたか分からない「落書き」なのだ。
その落書きはあらゆる場所で見られ、この奇妙な鼻の長い生物と「KILROY WAS HERE」の文字は世界中で広まり、アメリカ・イギリスなどで初期のミームとして流行した。

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photo by -anna-

ちなみに、この「KILROY WAS HERE」を日本語にすると、「キルロイ参上」となるのだが、直訳の「ここにいた」ではなく「参上」と訳すのが、なんとなく乙だなと思い、私は気に入っている。
「BNE」というグラフィティーアーティストも、「BNE WAS HERE」というステッカーを街中に貼ることで有名だが、日本の街で貼るステッカーは「BNE参上」と書いている。それを見るたび私は「この訳をBNEに教えた人、好きだな〜」と思うのである。万が一、その人がこの記事を読んでいたら友達になりたいので、ご連絡お待ちしております。

KILROY WAS HEREの誕生秘話たち

この「KILROY WAS HERE」、誰が描いたのかは未だ分かっていない。
誰のものとも分からないたった1つの落書きが、これだけ世界中で描かれ広まっているという事実に、私はとてもロマンを感じ、妄想を繰り広げる。
キルロイという人物は、この絵の通りスキンヘッドで鼻が特徴的な青年で、自分の名前を気に入っていたに違いない、と彼に想いを馳せる。
そして私のように妄想を広げた人々が、様々なキルロイ誕生秘話を語っているのである。

造船場の検査員であるジェームス・J・キルロイという男が、船の検査チェックのためにつけたサイン、というのが多くの人に信じられているそうだが、イギリスでは空輸軍団員が描いたサインとも言われている。

元々はイギリスで見られた「CHAD」というキャラクターの落書きとオーストラリアで見られた「FOO」という落書きが混ざったものではないかという説もある。確かにこれらはキルロイと同じような形をしていて、なかなか信憑性があるのではないかと思う。

信ぴょう性のあるもう一つの説は、イギリスの軍事学校の講師が黒板に描いた、回路図のようなものが元ネタではないかという説だ。
その図は非常にキルロイの絵にそっくりで、こちらの説もなかなか捨てがたいし、そうであるならとても面白い。(こうした個人的趣向によって歴史はねじ曲げられていく。)

ここまではまだ一部で、まだまだ別の秘話が語られているので、気になる方は調べてみると面白いと思うので、おすすめしたい。

また、第二次世界大戦中に米軍の中で有名になったキルロイの存在は、敵軍のナチスドイツの指揮官であるヒトラーの耳にも入った。ヒトラーは「キルロイというキャプテン・アメリカのようなスーパーソルジャーがヨーロッパを横断している」と考え、キルロイを探させたという話がある。
また、ポツダム会談が開かれた会場のトイレにも、キルロイの落書きがあり、それを見たスターリンが「キルロイって誰?」と通訳に聞いたという話まである。
そういった歴史的人物とのエピソードを聞くと、キルロイファンとしてはとても胸躍る。

コンテンツ化するKILROY WAS HERE

そんなキルロイファンたちによって、謎多きキルロイは、今で言う「二次創作」なんてかわいい言葉では言い表せないほど原型にとらわれない発展を遂げていく。

1947年、「KILROY WAS HERE」という映画が公開された。
これは先ほど述べたジェームス・J・キルロイを主人公にしたコメディ映画である。まさに昔ながらの雰囲気のあるポスターには、キルロイのポーズをしたジェームス・J・キルロイと思われる男の下に、女1人が男2人に挟まれた写真が掲載されている。
残念ながら配信サイトでの視聴はできず、おそらく日本語翻訳もされていない。AmazonではDVDが1600円程度で売られていたが、アメリカから取り寄せるものだったので、今回見るのは断念した。

ポスターから勝手に想像するに、頼りない造船場の検査官であるキルロイは、仕事のストレスを発散するため、船のチェックの際に落書きをたくさん描いていて、それを優しく見守る女性、そしてエリートのライバルとの話ではないかと思う。・・・なぜ私はこんなに平凡な発想しかできないのかと、少し頭を抱えるが、Amazonレビューで、「This was a strange movie」とあったので、そこまでベタなものではなく、少し奇妙な物語になのだろう。
この映画は、おそらく「JJキルロイがどういう人間だったか」という想像から作られたものと推測できることから、一見全うでストレートな発想の仕方かと思うが、落書き自体に焦点が当たっているようには思えないポスターデザインが、その奇妙さをすでに物語っているようにも思う。


その後、1983年にstyxというロックバンドが「KILROY WAS HERE」というアルバムを発売する。このアルバムと同時にショートフィルムが制作された。その物語は、近未来のロックが「悪」とされているアメリカで、ロックスター(という設定の)「ローバート・キルロイ」という男が捕まっており、若者の手を借りて脱獄して自由の世界を求めるというものだ。
アルバム名にもなっていたり、歌詞にも入っているほどキルロイが多用されているようだが、名前を借りているだけのようにも思えるほど、あまりにも突飛で不思議な世界観が繰り広げられている。
このアルバムの1曲目である「Mr. Robot」を聴けば、大体の日本人は「あー、知ってる!」と言うだろう。そしてこの最初の歌詞が、日本語だと言うことに同時に驚いてほしい。
私は「KILROY WAS HERE」というワードからこのアルバムに出会ったが、なかなか気に入って、最近のプレイリストの1つになっている。
このアルバムの1曲目「Mr. Robot」のPVを見れば、この不思議な世界観がクセになってくるに違いない。


時はたち2006年、同名の「Kilroy was here」という15分のショートフィルムが公開される。第二次世界大戦中のフランスを舞台にした、アメリカ兵とフランスの孤児たちの物語だ。戦時中の特殊な環境によって生まれた、人種も年齢も性別も言葉も超えた関係が見事に描かれ、15分で完全に引き込まれていく。
おそらくこの主人公の男がキルロイなのだろうが、その名前はこの映像のどこにも出てこない。しかし、この「Kilroy was here」というタイトルがいかに重要な意味を持つかということが、再生した15分後に必ずわかるはずだ。
これも、原型のキルロイとは名前や時代以外は共通点はないように思えるが、「本当にそうだろうか?」と、想像が膨らむ作品だった。
こちらはYouTubeで見られるので、是非見て頂きたい。


そして現在、2021年。「Killroy was here」という映画が公開される予定らしい。
このタイトルは少しスペルが違って、「Kilroy」の「l」が1つ増えて「Killroy」となっている。そう、「KILL」である。鋭い人は察しているかもしれないが、これは「B級ホラーコメディ映画」である。予告映像がYouTubeで見られるのだが、なかなかヒドくてかなり笑える。しかし、少しグロいのが苦手な方は見ないほうがいいかもしれないが、そういうシーンもすごくコメディタッチで描かれているので、そこまで目を覆うものでもないと、グロいのが苦手な私は思う。


また、今の世界のトレンドを創り出していると言っても過言ではないだろう、ヴァージル・アブローも度々自分のプロダクトに「VIRGIL WAS HERE」と書いているのを見る。これも「KILROY WAS HERE」のオマージュであり、「キルロイファン目線」で見ると、キルロイがまだ世界のトレンドの要素になっていることに、静かに歓喜するのである。

これからのKILROY WAS HERE

このようにたった一つの落書きが、あらゆる創作者の発想源となり、ここまで幅広い形で残されていく様を、キルロイ自身は想像もしていなかっただろう。
また、これが坊主で鼻の大きい生物と「KILROY WAS HERE」という文字の落書きでなかったとしたら、ここまで広まることはなかっただろうと思う。
この愛らしいキャラクターと、キルロイという人間が確かに「ここにいた」という事実が人間の想像力をかき立てた。
そして、その名前だけを共通のルールとして、人々はそれぞれの理想の「キルロイ」を創り上げていく。

こういったロマン溢れる現象は、現代のインターネットが普及したSNS時代では望めないと思われるかもしれないが、匿名性のあるインターネット環境だからこそ、その中で同じような現象が起こりうる可能性があると信じたい。

少しニュアンスは異なるが、日本ではTwitterに現れた「今夜が田中」という謎の人物をおびき寄せる為に、日本ヒップホップ界の錚々たるメンバーが集まったイベントが開催され、アルバムまで制作されたことがある。

今夜が田中はヒップホップなど様々な音楽に対する知識などを持ち、つかず離れずの絶妙な距離感でTwitterを使いこなし、愛嬌もとてもある人物だが、決してその正体を明かそうとしなかった。そんな田中の好きなアーティストを集めることで、田中にパーティーに来てもらおうとしたというのだ。
FNMNL記事より引用

このように、「正体は分からないが必ずいる、謎の人物」へのロマンは今も昔も変わらない。
キルロイにも田中にも、皆同じような憧れを持ち、想像力をかき立てられたのだろう。


もちろんグラフィティー文化にも「匿名性」が尊重される風潮があり、「正体がわからない奴がクールなライティングをする」ことに人は惹かれてしまう。
「KILROY WAS HERE」はグラフィティーブームよりも前に描かれたもので、当人は「ライター」でも「アーティスト」でもない。しかし、書くことによって「自分はここにいた」という存在証明をしている彼の精神は、確実にその後のグラフィティー文化の発展にもつながり、これからも変わらない普遍的なものだろう。そこには人間の「根底欲求」と「落書き」との不思議な関係性が浮かび上がってくるように思える。

そして、これほど1つの落書きが幅広く発展したことはないという意味では、「キルロイ超え」をした人物はまだ現れておらず、図らずもある意味、グラフィティー界の「ピカソ」となったキルロイに思いを馳せつつ、今後とも細く長く「キルロイコンテンツ」が増え続けていって欲しい。

そして、いつかそれだけを集めた「KILROY WAS HERE博物館」が建つ、楽しい未来があることを密かに願う。


参考
How 'Kilroy Was Here' Was the First Meme Ever
https://www.youtube.com/watch?v=LTG7TYLE5vs&t=459s

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