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音楽との距離感迷子

いつのまにか、音楽や映画のサブスクが当たり前になった。サブスクという言葉も、いつのまにか普通に使っているが、詳しく説明しろと言われても自信はない。

この「いつのまにか」が人間の順応力の高さと、恐ろしさを物語っていると思う。

昔は、わざわざTSUTAYAやゲオに行って、1枚だけ借りるつもりだったのに、「10枚1,000円キャンペーン」につられ、謎に苦労して選んだ10枚を借りることもしばしばあった。

今は、月額1,000円払ってCD10枚分も聴かない、なんてこともザラにある。

学生時代は、ひとつのアルバムを飽きるまで数ヶ月間ひたすら聴くのが当たり前だった。空で歌えるまで歌詞カードを読み込み、アルバムの流れも完璧に覚えていて、自分とそのアルバムだけの時間や空間がとても心地よかった。
飽きるころには、そのアルバムが自分の一部になっていたし、飽きるというより、十分に自分に染み込ませたから、また新しいものを取り入れようというかんじだった。

中学生の頃、椎名林檎の「勝訴ストリップ」ばかり聴いていた時期があり、同時期にドラゴンボールの漫画も読んでいた。
そのため、私の脳はこのアルバムを聴くと、必ずドラゴンボールを思い出すようにプログラムされている。
私の感覚では、ドラゴンボールのテーマソングはCHA-LA HEAD-CHA-LAでも、摩訶不思議アドベンチャー!でもなく、「虚言症」なのだ。

この話に共感できるのは、「勝訴ストリップ」を聴き倒している時にドラゴンボールを読み倒していた人だけなので、未だに共感者は見つかっていない。万が一見つかったら、ハイタッチと強めのハグをして一緒にカラオケに行きたい。

サブスクが当たり前になった今、このようなこともなくなり、なんとなく音楽が遠くなってしまったような感覚があり、少し寂しさを感じていた。

しかし、久しぶりにここ数ヶ月聴き続けているアルバムがある。KANDYTOWNという、HIPHOPクルーのアルバム「LAST ALBUM」である。

アルバム名通り、これは彼らにとって最後のアルバムであり、これを最後に活動を終了するとのことだった。

数年前、彼らを知ってから、なんだこの心地よいビートは!と少し驚いたのを覚えている。言葉であらわすのがとても難しいが、ずっと聴き続けたいと感じさせる、中毒性のある音だった。

人は、気分や体調によって聴ける音楽と聴けない音楽というのが少なからずあるかと思うが、私にとって彼らの曲は、わりとどんな状態の時でも聴きたいと思えるのだ。
なぜなのかは今だによく分かっていないが、頑張って言葉にすると、心地よいビートと揺るぎない軸と、少しのユーモアが混じったリリックと声が、自分を正常に引き戻してくれるような感覚がある。

KANDYTOWNは、幼馴染でできた十数人のクルーだ。彼らの曲を聴くと、仲間っていいなとつくづく思う。しかも一人残らず全員かっこいい。背景を知れば知るほど、人が彼らに惹かれる理由がどんどん分かってくると同時に、普通に悔しさでメラメラしてくる。

彼らの最後のアルバムは、やっぱり素晴らしかったし、武道館での最後のライブもオンラインでしか見れなかったが、やっぱり仲間っていいなと思わされるライブだった。

久々にこんなにひとつのアルバムを聴き込んで、やっぱりこのスタイルが自分は好きだなと思えた。
サブスクで気に入ったアルバムがあったら、ちゃんと円盤を買って歌詞カードと一緒に自分とアルバムだけの空間を謳歌しよう。その空間は、どんな高価なものを買うより贅沢だ。

正直、まだまだこのアルバムを聴いていたい気持ちもあるが、もう卒業して次のステージに進んでいる彼らの作品を、名残惜しくいつまでも聴いているのもちょっとシャクなので(笑)
そろそろこのアルバムも染み込んでいい色になってきたなというところで、自分も次のステージに進んでいこうと思う所存である。

音楽のことを文章にするのは少し抵抗があったが、このいい感じに染み込んだ感覚を残しておこうと思い、なんとか言葉を絞り出してみた。やっぱり言葉ってむずかしい!

自分もラッパーみたいに韻踏んだり上手いこと言ったりして〜な〜入れ〜歯〜🦷

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