#1000日後に音楽フリーランスになる会社員 ⑲ 881日~875日のログ


残り:881日

誘われて京都観光にいってきた。
二条城って徳川家が使って、大政奉還もここで行われたと知った。まじか。
(学のなさの露呈)

大政奉還からもまだ150年ちょっとしか経ってないそう。(二条城内の記念碑みたいなもので知った)いや、それを考えると江戸時代の長さやばいな。
みたいなことを、今だと自身の人生と照らして考えられるけれど、これを10代のころに理解しろというカリキュラムかなり難しくない?

八坂神社からその裏の山の頂上まで登った。スマートウォッチが言うには55階相当の高さを上ったらしい。デスクワークにしんどいわ……
今晩はぐっすり眠れそう

途中で入ったカードショップで(観光なのにということは置いておいて)、「みんなでメイキング百合」というボードゲームを衝動買いした。いや、だって箱裏のカードの言葉が良いですもん。一人でも遊べるのも嬉しいポイント。明日触ってみる。

なんか喉痛いなと思ったけど、もしかして錦市場で試しに食べた舞妓はんひぃひぃの辛さのせいでは?(美味しかったので買った。)

「暇と退屈の倫理学」続きを読んでるが面白い。
ラッセルの退屈論において、退屈とは「事件(=今日と昨日から区別してくれるもの)が起こることを望む気持ちがくじかれたもの」であり、事件とは今日と昨日からを区別するためであればその内容はどうでもよいと解釈がなされている。

んな馬鹿なと直感で思いつつも、世の中には不平不満を愚痴ったり、悲しみを嘆くことで日常を生きている人がいるのも事実であり納得できる。
本では上で述べられら内容を一言で「退屈の対義語は快楽ではなく興奮である」とまとめられており、人は退屈している際に「楽しいことがないかな」と口にするが、実のところ楽しいことを求めていないのであると述べられる。

人間の行動原理としてこれまで関わった人を見ればこれは真であると納得できるが、自分はせめて楽しさの興奮で退屈を埋めたいなと思う(というかこれまで思っていた)

にしてもこの本、どこまでもメタ的でおもろいな。哲学というものが良く分かっていないが、この本の内容のようなことをどこまでも考えることと捉えるとのめり込む人がいるのもわかる。

残り:880日

ここから先は

1,984字

¥ 300