見出し画像

【キッチンと誰かのサンタになる心】2024.3.26

JASRACなのですが。これは‥。
人的ミスなのか、それともシステムの不具合か?とまず、手前共を疑うのが礼儀です。
人と人の間で「人間」と書く!「金八先生(黒板は向かって“人“という字は‥の文句)」(この番組は見たことはない理由は後述)のような雰囲気なにってしまいます。
父から引き継いでいる手帳には、私が子供時代に父の紙の登録の記録があるのに、ネットシステムが昨年でき、ネット検索したら「JASRAC登録の作品が抜けている?!」という事態。
3万円以上の値段をかけてJASRACから取り寄せた作品登録情報(自己出版の目録利用申請)し、新たなデジタルシステム(これまた表と外では異なります)で調べた結果であります。
うーん。
題名の登録違いかしら?入力が1箇所でも違うと出てこない可能性も。
さてこのJASRAC検索システム、著作権を継承した側が見られる内側(裏?)のメンバーサイトと、一般の利用者が見る外側(表?)の検索では、内容数が異なる場合があります。
外には、作品数が多い人ほど、その事情と内実はこちらが述べぬ限り永遠に分かりません。理由は外から第三者が利用者申請した時に(検索結果が出なくても不正使用となる危険があるので利用申請すべき)、内側から「これはそうですよ」と(登録題名の検索不具合も含め)了解を得る場合もあるからです。著作者の登録以外に申請されれば、それも上がってきて内側は登録数が外より多くなります。表が全てでもありません。
JASRAC検索結果が無いからOKでも無いのです。利用者は言わないといけない。
後から指摘をすることも、場合によってはできちゃう(できてしまう)わけです!
これに気がつきました、門外漢^_^!!←JASRACに詳細確認教しただけつまり各ポイントで人のミスはあるわけです。
無いとは言い切れず、過去に数が合わない理由はあり、今回もかな?と、人が変わると分からなくなる時代のようです。
「保護」を結局は人が、「人間」が管理する。父の曲(本来200を超える)を暗記して、どの楽器編成でと、本業の貴重な脳内分野の海馬領域を薬効やら禁忌の知識(相互作用は多岐ですが)に使用している私としては、そらに比べれば、たいした量ではないとはいえ、オーストラリアでもないなのに、「夏」に向かってサンタを呼びたくなります‥さて、そんな私の父(野田暉行)と母(香代子)は「ひとりっ子の教育」に共通した意思を持っていました。
それは「歌番組などのテレビは見せない」であります。このことが、3歳程度の二頭身の娘っ子にとって、過去投稿のように、

「幼稚園は行ってないけど、動物園は行った!!」と初のコミュニティ参加のつまはじき・村八分手前、滑り台上で、アドリブ返しを、今後のコミュニティをどこにするのか?という浮遊体質の、ある意味で(?)八方美人形成の元となりました。
どうしてか?それは自己の欲求と相手の欲求をどこまで擦り合わせるのか?の足元の枠が無いからです。時に、それなら全部「自己で押し切る」という強さが出てしまうから抑えております。波越さじ。

元々、母は読書家。『月光仮面』が白黒画面で「最終回」(点けたらハヤテのように終わった)の文字とともに自宅へテレビとしてやって来たのが幼少という時代です。母より11歳年上の父に至っては「クーラーなんて無かった」洗濯機、冷蔵庫はアメリカから大人になってから電子的になってき時代をほのめかす年代。沖縄県はもしかしたら、まだ地域によっては水道が行き届かず手洗いもある可能性の時代。父は月面着陸をオンタイムのテレビで見て、その新聞も我が家にありますが、戦後のカラーの刺激的な時代の幕開けに既に大人であったわけです。しかし母ほど読書家ではなく、かなりビデオやら新しい機械を使用する口実で、歴史物の映画などをかなり録画します。
母は「テレビでアンナ・カレーニナを見た気になるつもり?」という恐怖政治のような空気感は若くても出せます。とはいえ父も世界文学は揃えて持ってはいますが、母は「この翻訳家でこれを読むの?」とそこから恐怖政治のダメ出しの空気です。早熟に読み比べて厳選して手にしてきた人であります。そのため我が家では、二頭身には「ドラえもん」は見てよいことになりました。
歌番組も見たことがないので「ヒカルゲンジ」と同級生に聞かれてもローラスケートのかっこいい歌手ではなく「源氏物語?」と聞き返して、聞いてきた小学生男児がドン引きした(実際数10センチ後ろへ下がった)のを見て、「これからはカン(勘)で生きよう」と思いました。

そこから直感力が冴えて冴えて、知らない番組で誰が好きかとか、そんなことは、相手の心を読んでビッタシカンカンです!!「案外、分かってんじゃん?」とか言われてしまいした。1つも知らぬのに。分からなくとも、後から学ぶ機会があること。両親は「音」のハズレは取り戻せないと思っていたのか、自分達と違う時代の世間の幼少の始まりを見渡して、音に特化した敏感さを共通に大切にしていました。

元々左目が悪く見えない数秒で砂嵐のようになる乱視遠視スタートの娘っ子に気がついたのがやや遅く、ボーっとしている娘っ子。30代で老眼予告を無事乗り越えて(一旦視力が良くなる医師予告通り20-30代は視力良くなりましたが)シジュウナナ(47歳)手前でふんばっております。

さて、私の幼少期の記憶では、これからお夕飯時、母はまだキッチンで支度三昧、よくチーズパイを焼いてくれたお誕生日やクリスマス、独特のオーブン使用のため、ゴミ箱は緑の(結局40年使用した)冷蔵庫前に置かれています。そのフルカラーの記憶内で、その隣接のソファで「ドラえもん」を19時代に見ていた二頭身娘っ子のワタクシ。我が父、野田暉行は、なんとその居間より右奥映像のマンションベランダから急に現れ「今、サンタが来たよ!今!サンタが手渡してくれた!!」と大きなプラスチックの組み立てお家を持ち運んで、左奥の娘っ子の子供部屋(まだ予定程度)へ運び込みました。
とても不思議な感覚になり、初めて「サンタさん」を、意識してからなんと、18歳まで実際に「サンタさんが居る」と思っておりました!
なんというか、両親のプレゼントとは別に存在していたのです。

そんな父ですが、もう一つのエピソードがキッチンにありました。
私は独立後に母から聞いたことですが、母が買い物から帰ると、キッチンにあった消化器が空で泡だらけの壁になっていて、父がぐったりと、父専用の大きめの椅子に腰かけており、「火事?!」と母は驚いて聞いたそうです。すると父は「1つも効かない!!」と母に抗議したとかで。
Gが‥。「ゴキブリ(G)」が出た時用の手持ちのスプレーがどれも古かったのか、効かないと、最終手段に打って出た告白と、あわわ(おたついた)と、アワアワ(泡泡)の後始末は、母になり「ジ(G)・エンドTHE END」の発見に、相成りまして候えども、という意外な父の一面を、娘っ子(の前ではスリッパやら新聞紙で若い時は無理をしていたのでしょうか)の私も知りました。

目を皿のようにして「見分ける目」を持たねばならない時期に老眼にさしかかるという、もう少し早めにシステム変更になっていて欲しかったと思いながら、遠い目で思い出すのは案外日常の父であります。「あの四角を曲がると音が浮かぶ」、とはいえ四角の一節では音になりませんから、技術屋で防音室にこもって書き上げていた父の、束の間の休息のG。ほかにN「鼠」騒動とありますが、「ペチン!」とNのお尻をスリッパで叩いたら二度と来なかったという、人生でも滅多に無い話もあります。
私は私で、7歳で左肩にミツバチが止まり、ランドセル姿で赤信号をミツバチと一緒に待つという、変な経験があります。スズメバチと格闘して打ち勝った父ですとか、音の静かなところへ逃げると自然の脅威と隣り合わせです。熊に穴は開けられるわ、キツネが飼い犬のくんくん(私命名の雑種子犬)を嫁に取ろうと夜中に目を光らせ呼びに来てくんくんが震えるわ‥。台風で道路排水溝で、くんくんが「くーん」と流される、くんくんと散歩に出た父に3匹犬が着いてきて、飼い犬が4匹になった朝など。吾妻(あがつま)、六合村だけでなく、ハプニングばかりです。

数値と法則で測定批評できないことは、往々にして不要とされる世間ではありますが、未発見法則もあろうかと、どこかで思いながら。
両手の四重生命線と、左手の手の平を真横に横断する知能線のラストの「フィッシュ紋(幸運?)」と、人差し付け根の「フィッシュ紋」でも信じて(苦笑)頑張ります。


※ここまでの投稿はE World Japan 「私」野田瑛里子 著より抜粋です(元ネタ先)。
私的に検証しておりますが、私見投稿でもありますので、文責以上の責任は負いかねます。

父の公式サイトにのみ紐付けしております。
フェイスブック連結タイプでそちらからもご覧になれる(?)かもしれませんが、下記公式サイト紐付けのこのblog(?)以外は、投稿はしておりません。

なにせ、SNSへのやる気が2.5perですから、このまま年間どころか全体投稿数2.5🐹で終わる可能性もありながら、つれ「ず」れ致します。
【父の公式サイト】

https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/erikoから連結blog(?)

この記事は私が書きました

©️E World Japan 代表者名 野田瑛里子