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竹園別館Sam's place

結局のところバイトに明け暮れ受験対策をしなかった小生は、芦屋にあるデザイン専門学校への道を選ぶ。近所にある原チャで通える学校、まさにイージーな人生設計なのだが、入学した芦屋芸術学院はプロの育成を前提としており、そんな若者の甘えを許してはくれなかった。

予想以上にハードなカリキュラムは、170名いた同期が夏休みを跨ぐと100名を切り、卒業する頃には50名ほどに減るというパンチ力を秘めていた。もちろんここでケツを割るわけには行かないので、徹夜覚悟の課題提出もギリギリでこなし、人生で初めて努力という二文字を意識するようになる。

そんな課題に追われる日々の中でも唯一ランチタイムには気分が開放されていた。JR芦屋駅の北側には大原市場を始めさまざまな商店が居並び、その中心となっているのが巨人軍の定宿で有名な竹園旅館だった。実際に巨人軍の選手たちが専用バスで出入りするときは旅館の玄関に大勢のファンたちが押し寄せ賑わっていた。実は小生も子供の頃に竹園旅館の玄関口でじっと王・長島の登場を待っていた口だ。実際に観るスター選手は唯々かっこよかった。

小生たちがよく通ったお店は別館のSam's Placeと呼ばれるレストラン。そこは元商社マンのサムさんが料理長を務める洋食店で、英語のメニューも充実していることからカウンター席はいつも常連の外国人で埋まっていた。サムさんの英語はまさにネイティブで常連さんも楽しげに会話をしていた。中でも人気メニューは「タルタルステーキ」という牛肉のたたきのような料理。包丁で細かく切り刻み丸く盛り付けられた牛肉の中心に玉子の黄身が乗せられているやつだ。他にも聞いたことのないようなメニューが揃っていた。どこか北野町のthe Atticを感じさせるような異国ムードが懐かしく、そこには確かに外国文化が根付いていた。

さて、小生がいつもオーダーするのは「ソーセージカツ定食」だ。学生だけに予算的に選べるバリエーションは少なく、中でもボリューム満点だったのがソーセージカツ定食だった。本当のところ“ソーセージをカツにする必要があるのか”と疑いたくなるほど衣が剥がれ見た目には雑なのだが、かけられたソースが絶妙で、デミグラスソースに味噌が入っているような味は癖になる不思議な味だった。見た目にはよくある感じのソースなのだが、未だにあれに似た味とは出会えていない。

ある日のこと、昼食時にいつものように別館に入ると、そこには巨人の長嶋監督が取り巻きと共にお店を占拠するようにいた。どんと構えたのその佇まいはビッグスターの存在感。長嶋監督の笑い声が店内に響き渡っていた。まさにテレビや新聞で見るようなシーンだ。我等のような専門学生が例え常連客でも入り込む隙間はない。そこはすごすごと退散し、他の店で軽くランチを済ませて馴染みの喫茶店へと向かう。

「あー、長島のおかげでいつものランチが食えなかった」と入店していきなりママに不満をぶつけると「長島さんのことを悪く言うならオレが聞くで」とカウンターの奥にいた客がこちらを睨む。そこには筋骨隆々の男が座っていて、よくよく観ると巨人の淡口選手だった。もちろんひょろひょろの我等はすぐに謝罪。あとは何事もなかったかのように時が過ぎるのだが、居心地は良くないのでそこも早めに退散した。ローカル者の悲哀である。




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