まめじゅく~人生七転び八起きリベンジャーズ~2024年9月1日OPEN
2024年9月1日 起業する。
といっても、スタートは個人事業で小さく、小さく。だってお金ないもん。借りるの怖いもん(人生最初の独立開業は借金いっぱい抱えて終了したから)。
「起業」という言葉をあえて使うのは、自分の志がブレてしまわないように。すぐブレちゃうから。個人事業は「開業」というのが正しいのだろうだけれど、あえて大げさに「起業」と言い続けるのだ。
屋号は、
eagersouls
eager souls
EAGERSOULS
EAGER SOULS
4つのうちどれか。大文字がいいのか小文字がいいのか、間にスペースをはさんだ方がいいのか、英語は専門ではないからわからない。悩んでいる。
業務内容のひとつが「まめじゅく~人生七転び八起きリベンジャーズ~」の運営。
eager soulsの由来
eager souls は、日本語になおすと、どうしても陳腐な言葉になってしまう。「熱心な魂たち」なんて直訳すると、何だか違う。
出典は、
Stanley Baldwin 『On England and other addresses』の一節より。
著者は元イングランド首相。人に命令するのが誰よりも苦手な首相・・・それだけで愛着が沸く。ただ彼の思想信条に共感したというよりは、本書で出会った「eager souls」という言葉に、その表現に、発想に、胸打たれた。その件について話を続けるのは本稿のテーマから外れるため省略。
志道正宗とは誰か
通称「まめじぃ」の私は、ビジネスネームとして「志道正宗」を名乗っている。名乗ってはいるが、要するにeager souls=「志道正宗」と勝手にでっち上げて用いているのだ。50歳を過ぎても中二病全開な自分、実はちょっとだけすき。
なぜ本名を名乗らないかというと、理由はたくさんあるのだけれど、ひとつは、いまの職場の人たちに内緒にしておきたいから、という事はある。
別に知られて悪いことではないし、職場も副業は全然OKなので、むしろ応援してくれるようなところであるため問題にはならない。それでも、やっぱり職場での自分と、「志道正宗」・「まめじぃ」は別キャラクターとして活動したい。キャラが違い過ぎるので。
職場では礼儀正しく優しくて笑顔がさわやかなイケオジ(だって若い子たちがそう言ってくれるんだもん!)らしいのだが、実はそれは「職場用の作られたキャラクター」であって、志道正宗は別人格である。厳しいときは厳しいのだ。
もうひとつ、大きな理由がある。過去に人生がひっくり返るような大きな失敗をしてしまって、それで諸々、たくさんの方にとんでもないご迷惑をおかけしてしまった過去があるから。申し訳なさすぎて本名を名乗るのは憚られるのだ。
他にも理由はもっとあるのだけれど、そこはあまり重要ではないので省略。
まめじぃとは誰か
「志道正宗」と「まめじぃ」はどう違うのか。想いの込められた「志道正宗」という四文字だと堅苦しい気がするから、「まめじゅく」を営むじいさん(まだ52歳だけど)=「まめじぃ」と、そう名乗ることにした。「志道先生」なんて呼ばれたくない。そんな偉い人じゃないから「まめじぃ」と呼ばれたい。
一体何をやろうとしているのか
正直、ここが漠然としていて、うまく言語化できないのに、もう開業しようとしている。
私自身、人生がひっくり返るような大失敗、大失敗をやらかしてしまい(それも1度や2度じゃない)、たくさんの人に多大なるご迷惑をおかけした。理由は全部言い訳になる。ただいえることは、結果として、現在、まだ命があって、人生をやり直すチャンスを与えられている、ということだ。
それで、私と同じように(オマエと一緒にするなと思われるかも知れないが)、人生につまずき、どう生きていけばよいかわからず、苦しくて、誰にも相談できなくて、どうしよう、何とかしたい、そんな風に思っている人たちと、一緒に生きていく会社をつくりたいと考えたのだ。
ただ私には何もない。お世話になった弁護士の先生の辣腕によって、自己破産はギリギリ回避できたが、ほんとうに何もない。あるのは、あと何年生きられるかわからない命と、ブレブレにブレまくってすっころびそうになりながらも、何とかかんとかくすぶっている志だけだ。
別にNPO法人として立ち上げても良かった(まだその可能性も残している)けれど、ハードルが高すぎる。あまりにも私には高すぎた。
だから、まずは今年の9月に個人事業として立ち上げる。できれば来年、法人化(合同会社)したい。いやするぞ。そのつもりでやっている。でもくじけそう。
その後、世に認められるようになれば、株式会社か、それかNPO法人としてリスタートするか、何とかしていきたい。
もう、死ぬことばっかり毎日考えていた男が、人生をやり直そうと動きだしているだけでも、それだけでも、まあよし、なのであるが、
同じように(一緒にされたくないかもしれないけれど)、苦しんでいる人たちの背中を押せるようなことは、何でもしたいと思っている。
なぜ会社がいいかというと、NPO法人だと、やることが制限されてしまって、活動の自由さが失われてしまうのではないかと考えている。
要するに事業のテーマとしては、
という事なのだ。そのテーマに関することを何でもできる器を作りたいのだ。
「eagersouls(仮称)」のメイン事業である「まめじゅく~人生七転び八起リベンジャーズ」という名称も、要するに単に英語や数学や国語を教える塾、というわけではなく(いや教えるけれども)、人生をやり直すのに必要なことは全部ここで教わることができる、というのを目指している。
もちろんこんなの、私ひとりで成し得ることではないのだけれど、いまのところ誰も仲間がいない(古くからの友人は、自衛隊幹部やら外国の鍼灸整骨院の院長やら、みんな出世しちゃって雲の上)ので、ひとりで始める。死ぬまでひとりかも知れないけれど、それはそれで、いい。
やりたいことは「人助け」なのか?
私がやりたいことは、結局、ビジネスにしなくても良いことなのではないか?単に「人助け」がやりたいだけなら、ボランティアサークルに入るなり、自分で立ち上げるなりして、そこで仲間を集めて、一緒にやればいいじゃないか。
そんな風に、いつもブレてしまう。
人助けをして、自己満足がしたいだけなら、それでいいのだと思う。
でも、私は、ビジネスとしてやりたい。なぜなら、稼いだお金で、やりたいことがあるからだ。だからNPO法人はダメか。そうか。
何をやりたいかというと、
大人も子どもも誰でもいつでも来られる、「時々授業もやる自学スペース完備」の子ども食堂&cafe。
それも、寄付金頼みの常に資金難にあえぐような、脆弱なボランティア活動ではなくて、ちゃんと収益化できるようなところ。
・学びたい人が、学びたいだけ学べる場所づくり。
・居場所のない子どもも、大人も、ここに来れば安心できる場所づくり。
・学びたくない人が、ここに来るとなぜか学びたくなる場所づくり。
・生きていくのがしんどかった人が、ここに来るとなぜか、生きようと思える場所づくり。
人生につまずき失敗ばかりでも、ここに来れば、またがんばるぞと思えるそんな場所。
もう完全に、志というより夢想ではないかとも思えてきた。
でも、きっと自分はこういうことを夢見ながら、もがいてもがいて動いていないと、生きられない性分なのだと思う。
誰に何と言われてもいい。偽善だと笑って欲しい。それでも、私は、誰かが笑顔になってくれるなら、誰かの夢を応援できるなら、嬉しいし、楽しい。
何でこんな風に育ったのか知らないが、小さい頃から、誰かを応援しているときが、いちばん幸せなのだから。
自己満足のため、と言われたらそうなんだろうけれど、私も人生やり直している途中。自己満足で誰かの人生が救われ、私の人生も救われるなら、いいじゃないか、と開きなおることにしている。
「なすらぼonline」は、夢への第一歩。
「看護専門学校・准看護学校受験対策専門塾なすらぼonline」は、私の夢への第一歩なのだ。
看護師になりたい人を応援したい。
かつて、お世話になった看護師さんの過労死に、震えるくらいのショックを受けた。優秀な人材をもっと現場に、と心から思った。自分は到底なれるとは思わなかった。だって血、怖いもん。
進学塾を営んでいた頃、シングルマザーのご家庭で、安くない月謝を遅延なく毎月支払って下さるご家庭は、「経営者」と「看護師」のご家庭だけだった。
あるとき、保護者でシングルマザーでパートで働いていたお母さまに、看護学校にチャレンジしたいと相談された。
「せんせい、あのね、オンナがオトコの財布をあてにせず生きていくには、看護師は最強のお仕事なんです」
これは度肝を抜かれた。患者様の身になって、とか、医療に人生を捧げたいとか、そういうのじゃなくて、経済的に自立するために、看護師はコスパ最強なんだ、という主張。確かにそうだと思っちゃった。
だって、病院にもよるけれど、卒業後、指定の病院に就職して3年勤務してくれるなら、学費全部出すって制度、これはすごいと思った。
そうまでして、人材が必要な業界なんだと。
今でこそ、かつてのような深刻な看護師不足というのは、「全体的には」改善されつつあるとは思う。それは看護学校の倍率が、年々下落し続けていることからもいえる。
それでも、母子家庭で、収入が少ないご家庭が、年齢に関係なく国家資格を目指せて、お金を県や病院が支援してくれるなんて、そりゃあ「人生逆転」やんか(三重弁)!本人はもちろん、そのお子さんも救えるんやで(三重弁)!
だから「まめじゅく~人生七転び八起きリベンジャーズ」を名乗るまえに、「なすらぼonline」を先に立ち上げた。オンライン塾だから全国どこの誰でも出会うことができる。
これからも「なすらぼonline」は、「まめじゅく」の柱になる。
まだまだ生徒数は少ないが、かつて人生につまずき、一歩も外に出られず死にたい死にたいと震えていた人間が、また教え子に恵まれ、受講生全員合格という記録を出せているのは、よくやってる方だと思うぞ、と自分に言い聞かせている。
次の柱は「高卒認定」
私が「なすらぼonline」と並行しつつ、これから取り組もうとしているのは「高卒認定」である。中卒だという、ただそれだけで、看護専門学校は入れない。准看護師は目指せるものの、その後、正看護師にステップアップしようとすると、やっぱり高卒以上でないといけない。
看護師に限ったことではなく、将来の進路を考えるとき、学歴が問題にされることは多い。専門学校で学びたい、大学で学びたいと思っても、高卒以上でないと、そもそも受験資格さえない。
だから、高卒認定にチャレンジするということは、その人にとって大きな「人生逆転」の第一歩になると信じて疑わない。
これは自分に宛てた未完成原稿でもある
読者を想定せずに、思うがままに書きなぐった。まだ未完成原稿である。それでも公開してしまう。
それは、ブレてブレまくって、すっころびそうになる自分の志を、なんとか支えるためである。
誰にも読まれなくてもいい(ほんとか?)。
共感してもらえなくていい(かなり強がっている)。
たとえ、幻想なのだとしても、生きる意味が欲しいのだ。
自分なんかが、生きていていいと、思える理由が欲しいのだ。
だったら、一番得意なことで、一番大好きなことで、事業を起こすのだ。
それは、誰かを笑顔にしたい。誰かを応援したい。
あなたが夢を叶える瞬間に、私も立ち会いたい。
この世に生まれてきてよかったと。
こんな自分でも生きていてよかったと。
一緒にかみしめたいのだ。
何度でも見直すんだぞ、じぶん。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?