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早朝のイチジクとり

ジィーー

というニイニイゼミの声で飛び起きると
辺りは明るくなり始めていた。

時計を見るとまだ5時08分。

夏至の頃に比べると明るくなるのが遅くなった。

まだ余裕のある時間だが
ソワソワしてもう起きることにした。

今日は近所の山にイチジクを取りに行く約束をしている。

身支度を整えていると次々と子どもたちが起き出した。

昨夜私が「明日は朝6時に散歩に出かける」といったので何かいつもと違う特別いいことがあるのでは?と予感したらしい。


一昨日のこと。
自然食品店でお茶の陳列棚を見ていたところ、たまたま隣にいらっしゃった70代後半くらいの女性が

「それにしても暑いわね〜」
と独り言のように呟いた。

「そうですね」
と相槌を打ったところその女性は話し始めた。

ご自宅は自然食品店から4kmほど離れた山の上だそうで、うちの近所だ。

身体を動かすために自宅からから徒歩でいらっしゃったという。

冷房を使用せずに生活する方が身体の調子がよいとおっしゃるので私も意気投合した。

「お互い頑張りましょうね」

と笑いながら励まし合って別れた。


その翌日夕方5時過ぎに自宅近くの小さな公園で子どもたちと遊んでいると

散歩中らしい70代後半くらいの女性が

「暑いわね〜
でもわたし冷房は使わないで暮らしているのよ〜」

と汗を拭いながら公園に入ってきた。
ベンチで一休みしようと思ったのかもしれない。

よく見ると昨日自然食品店でお話ししたあの方ではないか。

「昨日陰陽洞(自然食品店の店名)でお会いしましたよね?」
と言うと

「ああそうだったわね!」

とその女性も思い出したらしくしばらく立ち話をした。

故郷は九州の田舎で、山で食べられるものを見つけて採って食べるのが楽しみだった
という話から

「私、明日の朝早くイチジクを採りに行くのよ。一緒に行く?一度場所を覚えれば自分で都合のいい時採りに行ったらいいわよ。」

と誘われた。

「行きます!」と即答し

朝6時に集合しようと約束をした。
お名前はヤスイさんとおっしゃるらしい。


約束の時間に間に合うように家を出ると
まだ風は涼しく空がいつもより青く広く感じられた。

小学5年生長男、小学3年生次女、小学1年生三女を連れて待ち合わせ場所へ行くとヤスイさんはベンチでわたしたちを待っていた。

ヤスイさんはもうご自分の分のイチジクを採り終えていた。

「ほらこんなに採れるのよ!行きましょう。
まだたーくさんあるから大丈夫よ」

「子どもの頃のわたしたちのおやつだったわ。こういうのが何よりの楽しみだったの。これをジャムにすると美味しいのよ!」

白いビニール袋の中に黒い小さなイチジクがたくさん入っていた。

ヤスイさんの後に続いてその場所へ向かった。
向かっているのは私たちが毎日のように遊びに行く場所だ。

こんなところにイチジクの木があっただろうか?
イチジクは大好物だから葉っぱを見ればすぐにそれとわかるはずなのに。

「これよ!ほら!」

四方八方に伸びた枝に
たくさんの小さなイチジクが実っている。

一つ摘んで食べた。

種がプチプチとして酸味は弱く
ほんのり甘くて香りがいい。

ヤスイさんが枝を引き寄せてくれ
子どもたちもイチジクを摘み始めた。

よく見るとこれはわたしが子どもの頃
「ボンドの木」と呼んでいた植物だ。

実をもぎ取ると白いベタベタした液体が湧き出すので友達と"ボンドの木"と名付けた。

これがまさか食べられる実だったとは。

それにしてもイチジクの葉っぱにしては
ギザギザのない真っ直ぐな葉っぱだ。

「黒いのがいいわよ。赤いのと緑のはまだよ」

ヤスイさんに言われて黒いものを無心に摘んだ。

ジャムがひと瓶できそうなくらいの量の実を摘んだ。

いつのまにか日が登って
湿った黄緑色の葉っぱがキラキラ光っている。

もうそろそろ帰らないと3歳四女と0歳次男がお腹を空かせて泣いているかもしれない。

ヤスイさんとおしゃべりしながら
自宅へ向かった。

「子どもがいっぱいいると大変だけどね
思い返すと子どもを育てていた時期が
人生の一番の花だったわよ、
今は楽だけど寂しい思いもあるの」

別れ際に実家で採れた特別栽培のジャガイモをいくつか差し上げた。

「こういうのはパワーを感じるわね!」

ヤスイさんは小さく手を振って坂を下っていった。


ヤスイさんを見送って帰宅すると
案の定四女と次男は泣いていた。

でもこの小さなイチジクは傷みやすい。
気になって朝ごはんの支度をしながら同時にジャム作りにも取り掛かった。

作業を進めながら調べると
小さなイチジクは「イヌビワ」という名前だということがわかった。
イチジク渡来前はイヌビワのことを「イチジク」と呼んでいたらしい。

それでヤスイさんはイヌビワを「イチジク」と呼んでいたのだろう。

小鍋にイヌビワを入れて砂糖をまぶし、しばらく置いたら木べらで少し潰しながら強火で片時も目を離さず炊き上げる。

ジャムを炊くぷつぷつブツブツという音が忙しなく鳴る。

木べらで鍋底を絶えず掻き回し、鍋底に木べらで「1」を描いて鍋底が見えるようになったら炊き上がり。

甘い香りがキッチンに漂う。

ヤスイさんに
「ジャムにはレモンを入れるといいわよ」

とアドバイスをいただいたので
長女が近所で拾ってきた大きなレモンを絞って入れた。

赤褐色だったジャムは紅色に染まった。


炊き上がったばかりのイヌビワのジャム

そろそろ火を止めようかと味見をしているとと子どもたちがスプーンを持って寄ってきた。

作った分量のうち1/5くらいを味見隊が平らげた。

子どもたちは口々に美味しいと言った。そしてまた自分の遊びに戻った。

ヤスイさんの「人生の花」という言葉が頭の中でこだまする。

ジャムを瓶に詰めて冷水で冷やしながら
ジャムを舐める子どもたちの様子を繰り返し思い出した。


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